2005年8月6日 広島教区司教メッセージ
「戦後・被爆六十年、さらに証の時」




 六十年といえば還暦となる年であり、わたしたちがヒロシマの原点に立ち戻るにふさわしい年だと思います。このところ、戦後ずっと閉ざし続けてきた重い口を開いて、過去のつらく厳しい戦時中の体験を語り始めた方が各地におられます。




証言を語る、証言を聴く


 今ここでわたしが皆さんに強調し、また共有したいことは「証言」という働きについてです。兵士としてであれ、一市民としてであれ、戦争を実体験された方々に望みます。戦争の実際の姿をできるだけ多くの人々に、特に家族の人や、次世代を担う若者に語って下さい。悲惨な過去の体験を語るとともに、戦争に至った背景や原因などについても触れてくださると、平和を守るためには、平和を築くためにはどうしたらよいかをより具体的に思い巡らす機会が与えられることになります。


 歴史を振り返る作業は単に批判されたり、また追認したりすることではありません。前教皇ヨハネ・パウロ二世が全世界の人々に向けて訴えかけられたように、「過去を想い起こし、覚えていることはきたるべき未来に対する責任を担うこと」(平和アピール。一九八一年、広島)だからです。初代教会にあっては、イエズスをキリスト(救い主)であると「証しする」ことはすなわち「殉教」につながることでした。わたしたち広島教区民も今一度、「平和の使徒」として働くよう神から呼ばれたことを思い起こし、時には勇気をふりしぼって戦争の「証人」として自らの体験や思いを証言いたしましょう。


 一方、わたしたちは経験がないと何もわからないという狭い経験主義の立場をとりません。戦争を体験された方々の手記や証言集を通して、わたしたちにはかれらの思いの追体験が可能です。それには共感する力や思い巡らすこころの深さも求められるでしょう。また、過去の歴史について書かれた書物を読むことも参考になるでしょう。



広島に生きる者としての召命を



 もちろん戦争犠牲・被害者は国内にとどまりません。日本軍の軍靴は朝鮮半島や中国大陸のみならず、広くアジアの諸国に及び、多くの人々の命を奪い、生活を破壊しました。広島宇品港から数多くの兵隊がアジア各地に送り込まれたことを忘れてはなりません。ヒロシマは人類最初の被爆地であると同時に日本有数の派兵基地でもありました。


 そして、日本またアジアのぼう大な数の犠牲者や被爆者の叫び・望みの上に、今や世界に輝く憲法が、中でも第九条が生まれたのです。当時の日本国民はもはや戦争の惨禍にあうことはないと大いに喜んだといいます。


 わたしたち広島
教区民は人類の滅亡すら予感させた原爆が投下された地にある者の召命をしっかり生きていきましょう。武力による紛争の解決は真に平和につながらないということ、粘り強い対話による平和構築こそが悪循環から抜け出す道であることの確信をもって歩んでいきましょう。




識別と行動を



 もう一つ、強くお勧めしたいことはものごとをしっかり「識別する(見分ける)」ということです。教会がどの時代にあっても、いつも目覚めていて、主の道を歩もうと努めてきました。しかし、先の軍国主義の時代にあって教会は預言者的な使命を充分果たすのは困難でした。わたしたちは歴史に学んで、人のいのちの尊厳を傷つけたり、他の国の人々との共生をはばむような動きに、口先だけではなく、行いをもって対していきたいと思います。


 わたしはみなさんが職場や学校や、さらには家庭などさまざまな厳しい状態に置かれていることを存じております。しかし、みなさん、わたしたちはひとりぽっちではありません。主はみなさんが生活しておられるところに共におられ励まし、導いてくださいます。
 わたしたちの主キリストを心から信じ、心から平和を祈ってください。孤独な人、のけものにされている人の友となってください。それがまた、福音を生きる場で証することですし、平和のために働くことです。


 主キリストよ、あなたのもとにあるわたしたちが共に支え合い、励まし合い、聖なる息吹に満たされますように。わたしたちが平和を築くために力を注ぎ、喜んで主の証人(あかしびと)となることができますように。