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聖コレタ修道院長 St. Coletta V. 記念日 3月 6日
老年まで子供を恵まれなかった夫婦が、熱心に祈った結果、首尾よく子宝を得たという話は、聖書にも幾つか記されているが、聖女コレタの両親もその通りで、長い間の念願が遂に叶って一人の女の子を産んだのは、母が60歳の時の事であった。そのコレタという名は、ニコレッタ、即ち「小さいニコレア」の略称で、常々聖ニコラオを一方ならず尊敬していた親達が、同聖人にあやかれとわざわざ愛児につけたものである。
彼女の父は大工で、家はフランスのコルビーにあった。コレタは祈りの結果出来た子である為か、幼い時から祈りが大好きであった。そして祈りを好んでよくこれをなす霊魂には、必ず従順、貞潔、謙遜、隣人愛などの諸徳が現れて来るもので彼女の場合もそうであった。その上コレタは花のような艶麗な器量を備えていた。しかしそれがしばしば罪の便りになる事もあると知っていた彼女は、心配して天主に御保護を願い、間もなくまるで別人のように青白い沈んだ容貌の子になった。それからの彼女は、一見尊敬の念は呼び起こしても、慣れ親しむ事は許さぬような印象を他人に与えたのである。
彼女はまだ小さい内に両親を失った。その後は後見人もいたが、彼女はその許可を得て財産を貧民に分かち与え、静かな隠遁生活に入り、なお間もなくフランシスコ第三会にも入会した。18歳の時の事である、ある日彼女が祈りにふけっているとイエズスが現れ給うた。主は人間が罪を犯すことをいたく悲しんでおいでのようであった。すると又聖フランシスコが現れて、主に向かいコレタに罪人の為の償いと聖クララの修道会の革新とをさせてはどうでしょうかと申し上げた。すると主はそれに快く同意された・・・・。
しかしコレタは之を自分の妄想ではないかと疑い、一層熱心に祈りと苦行に努めた。所がまたもクララ会を革新せよと命ぜられた。それでもまだ躊躇していると、今度は目が見えず、口も利けなくなり、もしこの命令に従わなければ決して救霊は得られぬであろうという御啓示を蒙った。ここに於いて彼女もクララ会の革新が天主の思し召しであることを悟ったが、さて自分にその大任を果たす力があるかと思うと危惧せずにはいられない。けれども天主は御自分の御業を成就する為、しばしば弱い人間を用い、親しくこれを導き給う事がある。今のコレタの場合もそうであった。その上幸いにも極めて信心深い、経験にも富んでいる一司祭が援助してくれる事になった。
そこでコレタは隠棲の場所を去ってローマに行き、教皇に謁見して、クララ会の戒律を、聖フランシスコが書かれたままの厳格さで守る誓願を立て、又それに依って同会を革新する許可を願った。教皇は精細な調査の後、その願いを容れ、彼女をその革新、或いは設立せんとする総ての修道院長に任命された。
教皇の援助を受けたコレタは、フランスに帰ってその各地を旅行し、そこここに修道院を建てた。間もなく敬虔な少女達はこの甚だ厳格な修道院に入るため四方から集まってくるようになった。
聖コレタの生涯には時々奇跡が起こった。しかしその中でも最も不思議なのは、何の財産もない彼女が幾多の修道院を建て、かつ又その修道女になった多数の少女達が、皆聖コレタの精神に活きて、厳しい苦行の生活を送り、しかもどうにか生計が立って行ったという事実である。もちろん彼女とその事業に反対した人々もない訳ではなかったが、かような妨害は如何なる善き事業にもつきものである。天主はそれを試練として許し給うので、為にかえってその事業は益々強固になり、いよいよ光輝を放つに至るのである。
コレタはあらゆる徳において修道女達の鑑であった。彼女は院長ではあったが自分では他人の目下の如く考え、最も賤しい仕事も喜んで為し、人の用はいくらでもしてやるが、自分の用は決して人にさせようとはしなかった。また謙遜なその心は、人に善い物を譲って自分は悪い物をとる所にも現れている。彼女は一番小さい部屋に住み、一番粗末な道具を用い、一番みすぼらしい服を着けた。長年同じ服ばかり着ていて、破れると繕い、破れると繕いしたため、最後には最初の服地が全くなくなったという逸話さえある。更に彼女が病人をいたわる情の細やかさは、生みの母親が子供の為につくす愛にも優るばかりであったという。
修道院に生活すること四十年、彼女にも最後の日が近づいて来た。彼女はその日をあらかじめ知っていたので、暫く前にベルギーのゲントにある自分の建てた修道院に行き、1447年2月、院内の修道女達をことごとく集めて最後のいましめを与え、3月6日を一期として帰天した。
聖コレタの設立した修道院は17カ所で、彼女の精神を遵奉して祈りの生活を行う。今はその他の国にも多く出来ているが、大抵は同じクララ会の中でも最も貧しい修道院で、その祈りは救霊の為に貢献する所すこぶる多い。
教訓
コレタの如くいつも天主の聖旨を果たすように心がけねばならぬ。天主は決して不可能な事は望ませ給わぬ。時には一見難しいように思われる事もあろうが、その場合にはそれ相応の豊かな聖寵を必ず与え給うのである。