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聖ルチアおとめ殉教者 St. Lucia V. M. 記念日 12月 13日
聖ルチアは初代キリスト教会の偉大な殉教童貞であって、聖アガタ、聖アグネス、聖セシリアなどと共にミサ典文にも諸聖人の連祷にもその名を記されている。ルチアとは「光明」という意味であるから、実際聖会の光となった彼女に、最も相応しい名前ということが出来よう。
彼女は前後300年間の長きに亘ったローマ帝国のキリスト教迫害末期シシリー島のシラクサで生まれ、ディオゥレチアノ皇帝の御代壮烈な死を遂げた。両親はいずれもカトリック信者で、彼女を手中の珠といつくしみ育てたが、父は早く世を去ったので、母オイチキアは娘の身を堅めようと、折柄申し込みのあった某貴族の縁談を承諾した。然るにルチアは既に天主に身を献げ、終生童貞を守る誓願を立てていたから、これを聞いて大いに当惑したものの、その事を打ち明けては母の心を苦しめるばかりと一人小さい胸に案じ煩い窃かに天主の御配慮を希っていた。
所が間もなく母が病気に罹り、一進一退なかなか快復しなかった。すると親切な近所の人が、50年ほど前に殉職した聖女アガタの墓では、よく奇跡的に病人が治るから、貴女も参詣してその御取り次ぎを願って見てはどうかと勧めてくれたので、彼女もその気になり、娘ルチアに付き添われて同聖女の墓参りをし、共々熱心に祈った所、なるほどさしもの難病もたちまち薄紙を剥ぐように全快してしまった。伝説によれば、その時聖アガタがルチアに現れ、「貴方は自分で天主様にお願いして母上の病気を治すことが出来るのに、どうして私に取り次ぎを求めたのです?」と言ったとの事である。
さてルチア母子はこの奇蹟に一方ならず打ち喜び、天主や聖女に心からの感謝を献げたが、ルチアは今こそ日頃の秘密を打ち明ける絶好の機会と、「この御恩報じに何かよい事をせねばならぬと思いますが、実は私、もう余程前から終生童貞を守る誓願を立てておりますので、その通り一生を送りたいと思います」と話した。母はこの言葉に一時は大いに驚いたけれど、根が信仰の篤い人だけに、やがて快く娘の望みを許したが、ただ結婚の為の財産を今すぐ貧民に施そうというルチアの考えには反対して、臨終に遺言して死後これを寄付するがよいと勧めた。しかし超自然の光に心を照らされたルチアは「それでも善業は死んでからするより活きている中にする方が天主の聖旨にも適い、功徳にもなると思います」と言い張って遂に母を納得させ、嫁入り仕度の財産をことごとく貧しい人々に分け与えたのであった。
ルチアを貰うつもりであったかの貴族は、この事を聞いて大いに怒り、彼女がカトリック信者であることをパスカシオという知事に密告したから、彼はすぐさまルチアを裁判所に拘引させ、その信仰を棄てるように命令したが、もちろんそれに屈服するような彼女ではない、正々堂々と道理を説き断固としてこれを拒絶したから、知事は「こざかしいことを申す女だ。よし、それでは責め道具を用いてやろう。そうすれば如何なその方も恐れ入るであろう」と威嚇した。そしてルチアがそれに対し、主は私共が裁判所に引かれたような場合、どう答え、何を言ったらよいかと心配してはいけない、言うべき事はその時になって心に住み給う聖霊が必ず教えてくださるから、と仰せになりました。それですから私は返答に困ることは決してありません」と言うや、知事は嘲弄の語気で尋ねるよう「ではお前の心にも、その聖霊とやらが住んでいるというのか?」「はい、聖い信仰を持っている純潔な人は誰でも聖霊の聖殿です」「それならその方の貞操を奪い、その聖殿を打ち壊してやろう」
かくてパスカシオは意地になって、ルチアを屈服せしむべく、配下に命じて之を魔窟に連れ行かせようとした。所が彼女が天を仰いで主の御加護を求めると、その身体は急に盤石の如く重くなり、屈強の者共が五、六人がかりで押しても引いてもびくともせぬばかりか、遂には牛に引かせてさえその場を一寸も動かすことが出来なかった。で、パスカシオは業を煮やし、今度は周囲に薪を積み、之を火炙りにしようとしたが、不思議や火にも焼けない。ほとほと困り果てた揚げ句斬罪に行わしめたが、ルチアは剣で首を刺されてもなお数時間活き存え、その間に御聖体を拝領し、聖主を胸に抱きしめ、聖なる一致の法悦の中に幸福な死を遂げたのであった。
教訓
聖女ルチアの母が奇跡的に病癒えた感謝に娘の終生童貞を守る決心を許したのは、彼女も報恩の念篤い婦人であったからである。我等も日頃天主から数々御恵みを蒙っているが、果たして之を心底から有難いと思い、及ばずながらそれに報いようという志を有しているであろうか。省みてルチア母子に倣う所がなければならぬ。