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聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女  St. Magdalena Sophia Barat V.  記念日 5月 25日



 カトリックの女子修道会も数多あるが「聖心会」の如きは、最も大にして最も著名な一つであろう。同会経営の女子教育機関は殆ど世界の各国に亘って置かれ、我が国においても東京、神戸の両市にその女学校が設けられている。故に本日同会の創立者なる聖女マグダレナ・ソフィア・バラの生涯について語ってみるのもまんざら興味のない事でもあるまい。何故なら彼女の精神こそ、即ち同会活動の原動力を成しているからである。

 彼女は1779年12月13日フランスのジョアニーに呱々の声を挙げた。父母はそれほど高い身分ではなかったが共に信心深く、娘をも敬虔にしつけ育てた。マグダレナが初聖体の拝領を許されたのは、僅か10歳の時で、フランス大革命の勃発する少し前の事であった。彼女にはルドビコという11歳年上の兄が一人あって、若い時から司祭を志していたが、この人が妹の教育を引き受けようと申し出た。両親も喜んでこれを許したので、ルドビコは授業を興味深くして一層効果を挙げるために妹の友達二人も加えて教える事とし、まず時間割を作ったが、その中には小学校で学ぶ課目ばかりでなく、更に高等な文学、歴史、地理、数学、博物等の学問から、ラテン語、ギリシャ語などの語学まで含まれていた。ルドビコは前に総てこれらを学んだことがあったのである。
 もちろん宗教や信心に関する知識を授ける事も忘れはしなかった。というよりむしろ宗教の課目には他の学科にも増して力を注いだという方が当たっていよう。何故ならその頃はあたかも革命の行われた時代で、宗教を学ぶ機会が甚だ少なかったからである。
 かようにして兄ルドビコは最新の注意を以て妹を教育した。が、父母は、時々は習っているマグダレナ自身も、一体何の為かく数多の学科を勉強する必要があるのだろうと訝しんだ。しかしこれは皆全知なる天主の御摂理に他ならなかった。即ち主は将来彼女を上流の若き女性の教育に携わる修道会の創立者たらしめる思し召しで、指導者、教育者として恥ずかしからぬ教養を積ましむべく、あらゆる方面の知識を授け給うたのであった。

 ソフィアが一身を天主に献げる決心をしたのは、もう余程以前からの事であった。けれども当時の世の有様では、何事も不可能に思われた。で、彼女は天主に祈りつつおもむろに時機を待つ事としたが、その間かって知らぬ憂いと悲哀を体験せねばならなかった。それは兄のルドビコが、他の多くの司祭達同様革命党の手に捕らわれ、戦慄すべき迫害を受けて殺害されようとした事である。しかし幸いに彼は奇跡的に一命を全うすることが出来た。ソフィアの祈りはその恵みを、慈悲深きイエズスの聖心からかちえるのに成功したのである。
 やがてナポレオンが天下を掌握すると、人民は再び信仰の自由を得た。その頃司祭としてパリで活躍していたマグダレナの兄は、彼女にもしきりに上京をすすめて来た。父母も最初は躊躇の色を見せていたが、遂にそれを許した。彼女はかくて若い心を躍らせつつ都にいる兄の許に急いだのである。
 兄のルドビコもかねてから修道生活に入りたいという望みを抱いていた。ある日彼は知人のヴァレン司祭にこの自分の心を打ち明けたついでに、妹の修道女を志している事をも物語った。ところがヴァレン師はその時はしなくても、かつて腹心の友たりし今は亡きデ・ツルネリ神父の事を思い浮かべた。この司祭は聖人のような高徳の士であったが、生前イエズスの聖心に特別の信心を献げ、以て人々の救霊につくす一修女会の創立を心がけながら、惜しくも果たさずにして逝いたのであった。ヴァレン師はルドビコの妹こそこの親友の計画を実現する使命を天主から託された女性であるまいかと思い一日彼女に逢ってその事を勧めてみた。と、始めの内こそソフィアも逡巡していたけれど、遂にその天主の思し召しなる事を悟ってその修女会の創立を思い立ったのである。
 彼女の決意を聞くと、前に勉学を共にした二人の友もすぐさま同志となった。なお他に素直で善良な心を持つ一人の少女も仲間に加わった。ヴァレン師はこの四人の為にまず日課を定めてくれた。
 その年、即ち1800年の11月21日の事である。ヴァレン師の献げる御ミサに4人の若き女性は恭しくあずかったが、聖変化がすむと、彼らは自ら一身を天主なるイエズスの聖心に献げる祈りを高らかに唱えた、この日、この宣誓こそ、実に聖心修女会のはじまりをかくするものに他ならなかったのである。
 それから幾ばくもなくして、この小修女会は早くも最初の小さな女学校と付属寄宿舎とを手に入れる事が出来た。そしてその経営の為、もちろん小さく貧しいものながら、また最初の修道院をも買い入れ、黙想を行って活動の準備をした。宣誓の記念日が来ると彼らはまた誓願を新たにした。会は主の聖心の豊かな御祝福を蒙り、新入会員もあって次第に大となり、聖心の精神を以て同会の精神とした。その精神とは謙遜、隣人愛,犠牲心、清貧、忍耐、従順などの諸徳を含んでいるのである。
 会の発展は停止する所を知らず、次々と新しい学校を設けねばならなかった。本当の戒律も漸次出来上がった。マグダレナ・ソフィアは23歳で総長となり、没するまでの62年間その職に在って、重任を全うした。その長い間会は隆盛になる一方であったけれど、総長はまた絶えず苦しみを味わねばならなかった。というのは一体彼女は生来丈夫な方ではなかったのに、激務、心労、旅行、その上しばしば重病を患って、ますます健康を損なったからである。実際生命を危ぶまれた事も一再に止まらなかった。しかし主はいつも彼女を死の危険から救い出し給うたのであった。
 苦しみは彼女の肉体ばかりでなく霊魂をも襲ってきた。自分に対し姉妹に対し与えられる誹毀讒謗やあらゆる試練は、彼女の心を懊悩させずにはいなかった。しかし彼女は黙々と一切を耐え忍んだ。ただ事一度会の幸福や救霊の問題に関するとなると、毅然として一歩も後へは引かなかった。
 マグダレナ・ソフィアの総長としてのたゆまざる活動を裏付けるものは、その同胞に対する燃えるような熱愛に他ならなかった。彼女は教育家、教師たる者の模範であった。会の教育事業に就いて彼女の与える賢明な指導は、いよいよ彼女の真価を知らしめずにはおかなかった。彼女の統率の下に、会は小さい芥子粒から見上げるような大木にまで成長したのである。
 功成り名遂げたソフィアは、1865年の5月25日85歳の高齢で帰天した。死後天主は数多の奇跡を以て彼女に光栄あらしめ給い、為に彼女は1908年の5月24日福者位に、1925年5月24日に聖人位に挙げられるに至った。



教訓

 天主の御摂理に信頼せよ、小さな出来事も天主の御計画に、肝要欠くべからざる事がしばしばある。人々はよく偶然というが、天主にあっては偶然ということは一つもないのである。