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聖セヴィリノ・ボエチオ殉教者 St. Severinus Boethius 記念日 10月 23日
ボエチオは480年、ローマのアニチイ家という有名なキリスト教の家庭に生まれ、早く父を亡くしたため、元老院議員アウレシウス・シマクスに引き取られて、その娘のルスチカナと結婚した。
510年ボエチオはローマの執政官となり520年から2年間東ゴート族のテオドリック王の高官として仕えたが、不幸にしてテオドリック王に対する謀叛を起こしたと訴えられた。彼は東のユスチヌス1世皇帝をテオドリック王の代わりに王位につけようとしたと言われ、また魔術師で、正しい秩序を破壊する手紙を書いたと非難されたのであった。
ボエチオは9ヶ月間パヴィアの牢獄に入れられ、その間に有名な「哲学の慰め」のほかに三位一体についての論文も書いた。これはエウティケスとネストリウスの異端を攻撃して書かれたものであるが、この他に3つの神学的著作があった。また数学と音楽に関する著作もある。アリストテレスとチチェロについての注釈書も書いている。
しかし、中でも「哲学の慰め」は彼の傑作として残っている著作である。それは5巻で構成され、その中で自分が苦しみのため早く老けたこと、しかし神が世界を治められることに対する自分の喜び、自分についての真の知識、悪は必ず罰せられ、徳は最後には報いられること、真の幸福はただ神の中にのみ見出されることなどが述べられている。この本は中世期における最も評判のよい本の一つになった。
ボエチオが亡くなったのは524年であったが、200年後に彼の遺骨はパヴィアのサン・ピエトロ教会に安置され、今日まで残っている。