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守護の天使 Fest. Sts. Angelorum Custodum 記念日 10月 2日
守護の天使の祝日を迎えるに当たり、我等は天主の広大な御慈悲の程を、つくづくと感ぜずにはいられない。即ち天主はその御憐れみから、聖い天使を我等の友とし案内者とし守護者として与え給うた。それで我等は天主並びに天使方に感謝を献げる為、10月2日に守護の天使の記念を行うのである。
天主が人間を守護せしめる為聖天使を遣わし給うたことは、既に旧約聖書の中に記してある。トビアがその旅行中一位の天使に導かれ護られたなどはその一例で、なおかような話はヤコボ、ユディト、ダニエル、エリアその他多くの人々の場合にも見出されるのである。
更に転じて新約聖書を見ると、使徒聖ペトロが天使に獄中から救い出された話がある。聖ヨゼフが天使に先ずエジプトへ逃れよとの告げを受け、後パレスチナへの帰国をすすめられた話がある。諸聖人の生涯や一般の人々の各自の生活にも天使の守護を実際に証拠立てるような事が少なくない。
我等は肉眼で天使を見ることが出来ないから、そのおかげで多くの危機から護られ救われた事を考えない。世には如何に人が度々不思議に危機を免れる人があるだろう!殊にそれは無邪気な子供の場合に多い。我等の信仰によればその説明は極めて容易である。わけても主は天使が子供等を守護している事について明らかに仰せになった「汝等慎みてこのいと小さき者の一人をも軽んずることなかれ、汝等に告ぐ、彼等の天使達に在りて、天に在すわが父の御顔を常に見るなり」と。人を守護する為に天主から遣わされた天使を守護の天使と呼ぶ。この守護の天使達も他の天使達のように天に在り、肉体を有せぬから我等の肉眼に触れない。しかし彼等は我等を見、我等を助ける。守護の天使は我等の行為の証人であって。人間の為す善悪をことごとく目撃しているのである。これは何と厳粛な思想ではないか!もし我等が常に独りではなく、聖天使に付き添われているのだということを忘れぬならば、我等はもっと善に励み悪を避けるに相違ない。何か悪事を為そうと考えたとき、それに対する躊躇、或いは心配が生ずるのは、しばしば守護の天使のすすめであり、何か善い考えが湧き出るのも度々守護の天使の暗示による。守護の天使は我等の臨終の時も、死後の審判の時も、我等の傍らを去らない。そして確かに我等の為天主の御憐れみを求めてくれるであろうが、我等が生前よく彼の導きに従い、彼のことをしばしば考えたのでなければ、その助力も徒労に終わるのである。故に心して彼の祝日を守ろうではないか。
教訓
しばしば、少なくとも朝晩守護の天使を思い出し、あらゆる霊肉の危険からわが身を守り給うよう祈り、誘惑の時には悪魔を追い払って頂くよう願おう。そうすればいつか彼も我等を輝く天国に導いて下さるに相違ない。