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聖ウイルフリド司教 記念日 10月 12日
664年にイギリスのウイットビーで大きな教会会議が開かれた。そこは修道士と修道女両方が住む修道院を聖女ヒルダ院長が管理している所であった。会議の主な問題は復活祭の期日を定めることであった。これについてケルトの教会とローマ教会は異なる意見を持っていた。福者ベーダによると、キリスト教国のイギリスにおけるこの意見の相違を多くのキリスト信者たちが嘆いていた。
オスウィ王が教会会議を司会し、唯一の神に奉仕する者は皆一つの規定を守るべきであると言った。リンディスファーンのコルモン司教は、復活祭を守るためのケルトの規定は正しいと主張して、復活祭の日を決定する方法は聖ヨハネから伝わったと言った。これに対して聖ウイルフリドは「聖ヨハネを愚かだと言うつもりはありませんが、ローマ教会の復活祭を決める方法は聖ペトロから出ています」と言った。これを聞いたオスウィ王は次のように言った。「ペトロは天国の門番です。主が王国の鍵を彼に与えられたのですから、私は彼に従います。そうしなければ、私が主の国の門に着いた時に、ペトロは私のために門をあけてくださらないでしょう。」
ウイルフリドは、ノーサンブリアの領主の息子で、はじめリンディスファーン、次にローマで勉強して司祭に叙階され、30歳の時に司教に任命されてイギリスの北部の教区を統治し、709年に帰天した。