御聖体と聖母の使徒トップページへ    聖人の歩んだ道のページへ     不思議のメダイのページへ    聖ヨゼフのロザリオのページへ


十九  ペトロの否定



 ペトロとヨハネは何の術もなくまただれにも訴えることもできず、この恐ろしい場面を傍観しなければならなかった。ヨハネは証人が館を立ち去った時出て行った。かれは聖母におん子のことを知らせようと思った。しかしペトロは出て行けなかった。かれは主を非常に愛していたので自身もうすっかり取り乱していた。かれはいたく泣いていたが、できるだけそれを隠した。そしてあまり長く立ちどまっていて疑われはしまいかと恐れ、兵卒や種々雑多な人々の集まっている火の方へ行った。主を嘲弄した人々は出かけて行ってはまた帰って来て火のまわりに集まり、話や、卑劣な意見に花を咲かせるのだった。ペトロは黙っていた。しかしその顔に表れている同情と深い悲痛な表情からイエズスの敵たちに疑われるを得なかった。そこへ門番の女が火の所にやって来た。人々はイエズスの弟子たちについて馬鹿話をしたり、そしったりしていた。その女もすれた女のようにその話の仲間入りをしてペトロをじろじろ見ながら言った「おまえもガリラヤ人の弟子の一人だね」ペトロはドギマギしてすっかり臆病になった。かれはこの野蛮な人間たちにこずかれるのを恐れた。そして言った。「とんでもない!女よ!おれはあの人を知らない。おれにはおまえさんがどんなつもりでそう言うのかさっぱり合点がいかない。」かれは早々立ち上がり、みなから逃れようとして中庭から出て行った。それはちょうど町の外で鶏が鳴いている時であった。わたしはその時鶏が鳴いていたのを聞いたかどうか覚えていない。しかし町の外で鳴いていると感じた。ペトロが出て行く途中をまた他の女が見とがめてまわりの者に言った。「あの男もナザレトのイエズスといっしょにいたよ。」他の者はすぐ尋ねた。「おまえもかれの弟子たちの一人ではなかったかい。」ペトロはますます臆病になり、混乱して「違う!違う!そんな人を知りもしない。」と断言した。かれは中庭を抜けて外庭に急いで行った。すると知り人たちが塀の上からこちらを見ているので、ペトロはかれらに用心をさせようと走って行った。かれは泣いていた。そして主に対する心配と悲しみでいっぱいになっていたので、自分が主をいなんだことを意識さえしていなかった。外庭には大勢の人がひしめき合い、その中にイエズスの友も混じっていた。門番はかれらをそれより中へは入れさせなかった。しかしペトロは外に出るのでとがめられなかった。するとたちまち二、三人のイエズスの弟子が涙にくれながらペトロの所に走り寄り主のことを尋ねた。ペトロはいたく悲しみ憂えて、はっきりしたことは言わず、ただ言葉少なく、ここは危ないから向こうに行くようにとすすめた。それからペトロはかれらと別れ、悲しみにかきくれてあてどもなくさまよい歩いた。弟子たちは急いで町の方へ戻って行った。

 ペトロは少しも落ち着けなかった。イエズスへの愛にかられてかれはふたたび中庭に入った。門番はかれがニコデモとアリマテアのヨゼフの斡旋で入場したのを覚えていたので、ふたたび入れてくれた。かれはすぐ前の広場の方には行かず法廷のうしろにある大きな円形の広間の方に行った。その広間にはまた中庭に通ずる出入り口が一つついていた。悪党たちはこの広間にいる議員たちの所にちょうど主を引きずり込んで嘲弄していた。ペトロはみなから疑い深そうに見られていることに気づいていたが、イエズスを憂える心に駆り立てられ入口の方に近づいた。そこにはあらゆるならず者たちがひしめき合って、主の嘲弄される所を見物していた。ちょうどかれらは主に麦わらの冠をかむらせて引きずり回していた。主はペトロを厳粛に戒めるごとく見つめた。しかしペトロはまったく悩みに打ち砕かれていた。かれは周囲の者たちが「あいつは一体何者だい」と聞いているのを耳にし、ふたたび中庭の方に戻って来た。かれは深い憂い、また同情と恐れですっかり混乱していた、そしてとぼとぼとやっと歩みを運んでいた。かれは目を付けられていることに気づいたので中庭の火の方にゆき、そきにしばらく腰を下ろした。そこへ外で彼を見かけ、その狼狽振りを見ていた者が二、三やって来て、イエズスやかれの活動のことなどをそしり始めた。そしてその一人が言った。「ほんとうにおまえもあいつの仲間だ。おまえはガリラヤ人だ。おまえのなまりがちゃんとそれを証明している。」ペトロは何とか言い訳をして、よそへ行こうとしていた所へ、マルコの兄弟がやって来て言った。「おや!おれはおまえをオリーブ山の庭でイエズスといっしょにいたのを見なかったかな?おまえはおれの兄弟の耳を傷つけた奴じゃないか。」

 ペトロはせっぱ詰まってのぼせてしまった。かれはみなから逃れようとして、自分はそんな人を知らないと呪いかつ誓い始めた。そして外庭の方へ走って行った。

 ちょうどその時、人々は広間の地下にある牢獄に主を入れようとして、円形の広間から主を庭の中に引いて来た。主はペトロの方を向き大層悲しそうに見つめられた。その時ペトロは「鶏が二度鳴く前におまえは三度わたしをいなむであろう」という主のお言葉を思い出した。このお言葉は恐ろしい力となってペトロの心を捕らえた。悲しみと憂いとに疲れ果て、「主をいなむよりも、むしろ主とともに死のう」という思い上がった約束も主の厳しい警告もすっかり忘れていた。しかしイエズスの一瞥に会って過ちを犯したという意識はかれを打ちのめしてしまった。ペトロは、虐待され罪なくして裁かれ、黙々として一言ももらしたまわぬ救い主に、かれをあのように心をこめて戒められた主にそむいてしまったのである。かれは後悔に気も狂わんばかりになり、顔をおおうて走り出て激しく泣いた。かれはもはや話しかけることを恐れなくなった。自分はだれであるか、またいかに大きな罪を犯した者であるかを、だれにも語ることを敢えてしただろう。だれが僭越にもそんな場合、ペトロより自分は勇敢であり得ると言い得ようか。危険、窮迫、恐れ、混乱の中に疲れ果て、一睡もせず、夜を徹し、身も心もすり切れた状態にペトロはいたのだ。かれはその夜次から次へと迫り来る悲哀に打ちのめされていた。その上かれは子供のような、また熱情的な性格であった。主はペトロを自分の力に任せられた。だからこそ「誘惑に落ちいらぬように覚めて祈れ」というお言葉を忘れる者はみなそうなるように、かれもまったく無力になってしまったのである。




次へ         前へ戻る           キリストのご受難を幻に見て 目次へ