御聖体と聖母の使徒トップページへ    聖人の歩んだ道のページへ     不思議のメダイのページへ    聖ヨゼフのロザリオのページへ


二  イエズス晩餐におもむきたもう  


 ペトロとヨハネがエルサレムに晩餐の準備に行っている間に、イエズスは聖母や婦人たちおよびラザロと心から別れをされ、なおいろいろな教訓や訓戒を与えておられた。わたしはまた主が聖母とお二人だけで話されているのを見たが、その一つ一つのお言葉も覚えている。それは信仰のペトロと愛のヨハネとを過越しの祭の準備にエルサレムにやったことや、悲しみにかきくれているマグダレナについてであった。彼女は非常に深く主を愛していたが、その愛はなお人間的なので、苦痛のあまり生気を失うであろうと言うようなお話しだった。またユダの反逆について語られた。聖母はユダのためにもう一度主のあわれみを乞うておられた。

 ユダはいろいろな準備や支払いをせねばならぬという口実のもとにベタニアからエルサレムへまた出かけて行った。イエズスはユダのしていることをよく知っておられたが、九人の使徒たちにかれがどうしたか尋ねられた。ユダは一日中ファリザイ人の間を駆け回りすべて手筈を打ち合わせた。そしてかれは主を捕らえに行くはずの兵卒にまで引き会わされた。かれはいつでも不在の言い訳がたつように、あれこれ用心深く計画していたが、過越し祭の晩餐の少し前にイエズスの所へ帰って来た。わたしはかれの計画と考えとを見通した。イエズスが聖母とお話しをされていた時わたしはユダの性格についていろいろのことを知ることができた。かれは活動的で世話好きであるが、欲ふかく虚栄心が強くまた嫉妬深かった。かれはこのような自分の弱点を直そうと特に努力しなかった。かれはすでに奇跡さえ行い、またイエズスのおられない所で病人を癒したことすらあった。主が来たらんとしているご受難のことを聖母にお話しになると、聖母は主とともに死ぬことをしきりと望まれた。それには心うたれるものがあった。主は聖母が他の婦人たちよりもお苦しみの中で冷静にしていられるようおさとしになった。主はまた復活して聖母に出現されることもお話しになった。聖母はその時はあまりお泣きにならなかったが、深い憂いにとざされ深刻なお姿であった。イエズスは善良な息子のように聖母のすべてのおんいつくしみを感謝された。そして右手で聖母をおん胸に抱き、霊的に晩餐を主とともに祝うようにと言われた。

 正午近くイエズスは九人の使徒たちとともに、ベタニアからエルサレムに行かれた。ほとんどエルサレムの出身であった他の七人の弟子たちも同時にその後を追った。わたしは弟子たちの中に、ヨハネのマルコや、かつてさいせん箱にわずかの金を入れた、あの貧しい寡婦の息子のいたのを記憶している。寡婦の息子は、最近イエズスの弟子となっていた。聖婦人たちはおくれてついて行った。

 イエズスは連れとともにオリーブ山を回るいろいろの道を歩み、ヨザファトの谷に入り、カルワリオの山まで、あちらこちら歩まれた。主は弟子たちになお二、三の教訓を与えられた。またしゅじゅの物語のうちに、今まではかれらにパンとぶどう酒を与えたが、今日はご自身のおん血とおん肉を与えて、お持ちになっているすべてのものをみなにお与えになるつもりであるとお話しになった。ご自分のうちなる思いをすべて現わし、またご自身をも与えようとなさる愛に満ちたその時の主のお姿は感動的であった。しかし弟子たちはそれを理解できず、主は過越しの羊のことを話しているのだと思っていた。主が最後の物語の際に、どんなにか愛に溢れ、また忍耐深くしておられたかはとても言葉に尽くせない。

 聖婦人たちは後からマリア・マルコの家に行った。主とともにエルサレムに行った七人の弟子たちは、途中から主に別れて祭日のための衣類の入っている箱を広間に運び、突き出た玄関に置いてからマリア・マルコの家に行った。

 ペトロとヨハネが杯を持って来たころにはすでに広間の壁は弟子たちの手でじゅうたんが張りめぐらされ、掛物の明り窓も開かれていた。そして三つの吊りランプも用意されてあった。それから二人の弟子はヨザファトの谷に、主とその連れを呼びに行った。過越しの羊にあずかる他の弟子たちや友人たちは、ずっと後になってから来た。




次へ        前へ戻る         キリストのご受難を幻に見て 目次へ