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三十  マリア



 鞭打ちの刑の間マリアは深い思いに沈んでおられた。聖母はおん子が苦しまれたすべてのことを見て神秘的にそのご苦難に与っておられた。聖母のおん苦しみと殉教とは、その尊き愛のようにわれわれの理解を越えて大きかった。時々低い悲しみの声がお口からもれ、おん眼は赤く泣きはれていた。聖アンナと大変似ている聖母の姉マリア・へりは聖母をその腕に抱いた。マリア・へりの娘マリア・クレオファもそこに居合わせたが、ほとんどいつもその母の腕にすがりついていた。他の婦人たちはあたかも自分たちの死刑の判決を待つかのごとく苦痛と憂いに打ちふるえながら、低く嘆きをもらしつつ聖母のまわりに身をすりよせ集まっていた。 - マリアは長い空色のような上衣を着、その上に白い羊毛のマントと黄色のヴェールをかけておられた。マグダレナは苦痛と悲嘆に全く狂ったように打ちのめされていた。ヴェールの下の髪はもつれ乱れていた。

 わたくしはイエズスが鞭打ちの刑の後、柱の下に倒れておられた時、ピラトの妻、クラウディア・プロクレが聖母に大きな布の包みを贈っていたのを見た。しかしわたしはもうはっきり覚えていない。 - ピラトの妻が果たして次のことを確かに信じていたかどうか - すなわちイエズスが許されて、聖母にそのおん傷をぬぐわれ、かつ布で包まれるようになると。マリアは捕り手たちによって膚をズタズタに裂かれたおん子が駆り立てられて行くのを見た。主は聖母を見るため、目から流れる血を着物でぬぐわれた。聖母はいたましくもおん子の方に両手を差し伸べられ、血に染まった足跡を見送られた。民衆が向こうがわに行った時、わたしは聖母とマグダレナが鞭打ちの刑の柱の方に近づくのを見た。二人は他の聖婦人やかの女らのまわりに出て来たよい人々に囲まれて地面に打ち伏し、なお見つけることのできるイエズスの尊きおん血をみなかの布をもってぬぐい取った。

 わたしはマリアの顔が青ざめ、やつれ、その眼は泣かれたためにほとんど血のように赤くなっておられるのを見た。聖母の容姿は真に驚くほど、また書き現せないほど、素朴、率直、かつ単純であった。聖母は昨日以来、また夜通し恐怖と憂いと涙のうちにヨザファトの谷、エルサレムの町を歩きまわられたにもかかわらず、その着物はきちんと整い、かつ汚れもなかった。着物のひだ一つ一つにも尊さがこもっていた。聖母の身のまわりには威厳、清浄、純潔がただよっていた。かの女があたりを見まわす様子には全く気品がこもっていた。また首を少しまわされる時、ヴェールにできるひだにも非常な単純と清らかさが現れた。聖母は激しく動くようなことはされず、非常に苦しい時ですら、その動作は、単純であり、静かであった。聖母はあらゆる美しさは同時に無垢、真実、天真爛漫、威厳、および神聖そのものであったから。マグダレナは全くこれに反していた。かの女は丈が高く、その姿や、動作にも動きが多かった。かの女はささえ切れぬ苦しさの重荷のために、今はほとんど恐ろしいくらいの姿になっていた。その着物はぬれ汚れ、めちゃめちゃになり引き裂かれていた。その長い髪はとけて、破れたヴェールの下で、もつれていた。かの女はその苦しみのほかは何事も考えず、ほとんど狂人のようになっていた。そこにはかの女の以前の豪奢、放埒な罪の生活を見知っていたマグダラや、付近から来ている人々がたくさんいた。かの女は長い間、隠れた生活をしていたが、今、みなかの女を指さして、そのあさましい様子を嘲笑った、実際、マグダラの悪い人々はそればかりでなく、行きずりにかの女に汚いものさえ投げつけた。しかしかの女は何も気が付かなかった。それほどかの女は悲嘆にくれていた。

 わたしは聖母とその連れが鞭打ちの刑のあとでイエズスのおん血をぬぐいとってから、おん血のついた布をもって、さほど遠くない城壁に沿って建っている小さな家におられるのを見た。わたしはそれがだれの家かもはや覚えていない。





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