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三八  ベロニカ



 かれらがさらに進みゆくうちに、いい身なりをして神殿に行く人々にたびたび出会った。一部のものは汚されないようにというファリサイ人的な恐れから、また一部のものは幾分同情しながら行列をさっと避けた。シモンが十字架をにない、主をお助けして約二百歩進んだ時、立派な家から気品ある体格の大きな婦人が、一人の少女の手をひき行列に向かって急いで来た。ベロニカであった。かの女はご苦難の主を、道すがら力づけようとの敬虔な熱望から、薬味の入った高価なぶどう酒を家で用意した。かの女は待ちかねてすでに一度行列の方に出かけて行った。わたしはイエズスが聖母にお会いになった時、かの女が行列のかたわらを歩いているのを見た。かの女は養女として引き取った少女の手を引いていたが、混雑のため、主に近づく折りがなかった。かの女は家のそばで主をお待ちしようと急いで行った。

 かの女はヴェールをかむって道に出た。肩には布きれをかけていた。九才ばかりの少女がそのかたわらに立ち、ぶどう酒の入った壺を布で隠し持っていた。先行の者はかの女らをいくら押しのけようとしてもむだであった。かの女は愛と同情とで全く改心したようになっていた。かの女は自分の着物にとりすがっている少女を連れて野次馬の列を通りぬけ、兵卒や獄吏の群れの間をくぐってイエズスのところまで進みよった。ベロニカはひざまずき、「どうぞ主よ - お顔をお拭きするのをお許し下さい。」と懇願しつつ布きれをささげた。イエズスは左手でその布をとられ、手の平で尊きお顔をそれに押し当てた。そして感謝しつつそれをベロニカにお返しになった。かの女はそれに接吻し、マントの下、胸のあたりに押しこみ立ち上がった。同時に少女は酒壺をおずおずとささげた。しかし獄吏や兵卒らの罵りのためにその気付け薬をイエズスに渡すことができなかった。その時までかれらはベロニカのすばやい大胆な行動に圧倒されていた。それでかの女は主に汗拭きをささげることができたのである。騎馬のファリサイ人、獄吏たちは行列の停止、特にイエズスに対する公然とした尊敬の行為にすっかり憤慨した。かれらは直ちに再び主を殴りつけ、引きずり始めた。その間にベロニカは子供を連れて家の中に逃げ込んだ。

 かの女は家に入ると、汗拭きをとり出して、テーブルの上にひろげた。その瞬間かの女は気が遠くなってばったり倒れた。子供は壺を持ったまま泣きながらそのそばにひざまずいていた。そこへ一人の家人が入って来た。そしてその光景を見た。かれもまたひろげてある布を見た。それにはキリストの血だらけの顔が恐ろしく、しかし驚くほどはっきりと写し出されていた。かれは非常に驚き、ベロニカを正気に返らせ、主のお顔をかの女に示した。かの女は悲しみと慰めとに満たされ、布の前に打ち伏して叫んだ。「今こそわたしは喜んですべてをささげましょう。主はわたしに思い出を下さったのですから。」

 この布の長さは巾の二倍ほどあり、繊細な羊毛織りであった。このような布は普通首にかけて歩くものであった。この布はのちにかの女の寝台のところに常にかけてあったが、その死後、聖婦人たちから聖母に渡された。聖母から使徒たちがいただき、教会の所有となったのである。

 ベロニカは洗者ヨハネの再従姉でエルサレム出身であった。聖マリアが四才の折、神殿仕えの乙女たちのところへ連れて来られた時、わたしはヨアキムとアンナがザカリアの父方の家に行くのを見た。そこに非常に年老いた老人が住んでいた。おそらくこの人はザカリアの伯父でベロニカの祖父であったろうと思う。聖マリアと聖ヨゼフの結婚式の際、ベロニカもそこに居合わせた。かの女は聖母よりふけて見えた。幼いころからベロニカはメシアにあこがれを抱いていた。当時多くの善意の人々は、このあこがれを秘められた愛のように抱いていた。他の人はそれについて考えてもみなかった。十二才のイエズスが神殿に上っていた時、わたしは当時、まだ未婚のベロニカが主に食事を与えているのを見た。ずっとあとになってかの女は結婚した。シラハという神殿衆議所の議員がその夫であった。始めのうちかれは主を非常にきらっていた。ベロニカはそのイエズスへの敬慕のゆえに夫からいろいろに苦しめられた。実際かれはベロニカをいくたびも地下室に押しこめさえした。しかしアリマテアのヨゼフとニコデモの感化でかれは改心し妻に対しても寛大となった。今ではベロニカがイエズスに従うことについてかれは何も干渉しなかった。イエズスに対する裁判の際かれはニコデモとアリマテアのヨゼフの方についた。そしてかれらやその他の善人たちと共に衆議所から除外されてしまった。ベロニカはすでに五十才をたしかすぎていたが、なお美しい立派な婦人であった。

 イエズスのご昇天後三年目に、ローマの皇帝は人をエルサレムに送って、イエズスの死と復活の証拠を集めさせた。そのためニコデモとベロニカおよび他の二、三の者がローマに召喚された。わたしはベロニカが皇帝のところにいるのを見た。皇帝は病気で、数段高くなったところにある大きなカーテンを張りめぐらした寝台に休んでいた。窓は見当たらなかったが、天井から光が差し込んでいた。そして紐が下がっていて引き窓を開閉出来るようにしてあった。皇帝は人々を控え室に出し、ただ一人でいた。わたしはベロニカが汗拭きのほかになお、イエズスの埋葬の時用いた麻布を持っているのを見た。そしてその汗拭きを皇帝の前に掲げていた。それは巾の狭い丈の長い生地であった。聖なる顔は一方のはしに写し出されていた。またそれは普通の肖像画よりも広く写っていた。それは救い主がその布の側面も顔のまわりにお当てになったからである。ベロニカの持っていた他の布には救い主のめちゃめちゃにむち打たれた体が写されていた。それは主の埋葬の時、そのお体を洗った布の一つであったとわたしは思う。わたしは皇帝がこの尊き布の一つにも触れたのを見なかった。かれはそれをただ一瞥するのみで癒された。かれはベロニカをローマに止めようとした。そして謝礼として土地のついた家とそれに善良な召使いを与えようとした。しかしかの女はおのが救い主の死したもうたエルサレムに帰り、そこで死ぬのを許されるほかは何も望まなかった。わたしはかの女が同伴者と共に帰り路につくのを見た。のちにエルサレムのキリスト信者迫害の際、ラザロとその姉妹が追放された時、ベロニカは他の数人の婦人たちといっしょに逃げた。しかし捕らえられ、獄舎に幽閉され、そこで真理の殉教者として餓死した。




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