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五八  聖土曜日



 わたしは晩餐の広間にいる男たちを見た。かれらはすっかり静まり返っていた。かれらは祈りや読書のために集まったり、まただれか来た人に門を開けてやるために立ったりしていた。聖母のおいでになる建物には広間があった。そこについたてと毛氈せ仕切った小さな室がしつらえてあった。そこで婦人たちは暫時まどろんだ。夜中すぎかの女らはもはや再び起き上がり、ランプの下に集まって聖マリアと共に祈った。

 明け方の三時頃ヨハネは他の弟子たちと共に、戸をたたいて婦人たちを起こした。かの女たちは直ちにマントを着て聖母と共に広間を出た。墓が封印されている時。ちょうどそのころわたしは一同が神殿に行くのを見た。その日はすでに非常に早くから犠牲が始められたので、神殿は夜中から開かれていた。しかし今日はあらゆるものが荒涼として取り乱されていた。聖母は連れと共に自分たちが薫陶をうけた場所に別れを告げようとしておられるようにわたしには思われた。そこに灯はついていたが、二、三の番人と下僕のほかはだれも居なかった。

 シメオンの息子たちとアリマテアのヨゼフの甥が今日見まわり役に当たっていた。かれらは聖母に近づき、聖母とその連れたちとを案内し神殿の中を回って地震のためにこうむった被害を示し説明した。ほとんどすべてがまだそのままであった。方々の壁には大きなひびが入り、今にも倒れそうになっていた。大きな幕が裂けてしまったので、今までのぞくことが許されもしなければ、出来もしなかった至聖所がすっかり見えるようになっていた。聖母はその連れと共にイエズスの活動によって聖別されたあらゆる場所をごらんになった。かの女はひれ伏してその地に接吻され、その所がご自分にとって重要な理由を二言、三言もらされた。他の者たちも主のお働きになったこれらの場所に敬意を表した。

 神の母は常ならば非常に聖なるべきこの日に、民の罪の証拠としてすっかり荒廃した神殿から涙ながらに、また非常に厳粛な態度で立ち去られた。聖母が他の者と共に再び晩餐の家にお帰りになったころ夜も明け始めた。ヨハネは他の弟子たちと共に晩餐の広間に入った。聖婦人たちは付属の建物に入った。

 かれらはその一日をさびしい悲哀のうちに、あるいはいっしょに祈りつつ過ごした。みな、主のご死去に居合わせたヨハネに内心畏敬の念と一種の恥ずかしさを感じていた。しかしかれは他の弟子たちに対し愛と同情にあふれ、子供のような無邪気さで他の者たちのうしろに控え目に隠れた。わたしは一度またかれらが食事をしているのを見た。すべては至って物静かに、また家は閉ざされたままであった。扉がたたかれるとかれらはおずおずと開いた。かれらはここでは何者も恐れる必要はなかった。それはこの家はニコデモのもので、かれらは過越し祭の儀式のためにそれを借り、ここにいる権利があったからである。

 そちらをみる度に、わたしには以上のような光景が目に映ったが、一旦聖母の思いを観想し始めると、聖なる墓とその入口に向かって立ったりあるいは座ったりしている番人たちをわたしは見るのだった。カシウスもそこにいた。かれは深い静けさ、内なる世界に閉じこもっていた。墓の扉は閉ざされて石でふさがれていた。その扉を通してわたしは主の体が横たえられたままの姿で、光と輝きとに包まれているのを見た。二位の祈れる天使がそばにいた。 - わたしが主のご霊魂について観想しはじめると、主が古聖所にお下りになり非常に大きなまたいろいろな場面が現れた。しかしわたしはわずかにその一部分だけしか覚えていない。今それを出来るだけ詳しく語ろうと思う。




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