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六五  過越の週間



 その日の夜、一部の使徒はベタニアに行った。他の者はエルサレムで二、三の仕事を片付けた。先輩の弟子たちは後輩の者や、気弱な者を教えるために戻って行った。そしてラザロの家や会堂でそれを行った。またニコデモとアリマテアのヨゼフもラザロの所に滞在していた。聖婦人たちはその付属の建物に一緒に泊まっていた。

 使徒たちはルカを加えた数人の弟子たちとともにシカルに行った。かれらは幾組かに分かれていろいろの道を行き、旅舎や野天で主のご受難とご復活について教えた。それは聖霊降臨の際の改心の準備ともいうべきものであった。次いで一同は再び一軒の旅舎に集まった。トマスもまた二人の弟子とともに入って来た。使徒たちはかれに主がかれらの真ん中に出現されたことを説明した。しかしかれはそれを拒み、イエズスの傷に触れるまではそれを信じようとしなかった。また弟子たちが師のご出現をかれに断言した時にも、同じことをかれらの前で言った。トマは団体からしばらく離れていたので、その信仰が衰えていたのである。

 主のおん母はこの頃ベタニアで真面目に、物静かに、また人間的に悲しむというよりもむしろ厳粛にしていられるのを私は見た。

 マリア・クレオファは非常に愛らしく、すべての婦人の中で聖母に一番似ていた。しばしば私はかの女が、聖マリアを親しげにまた感動的にお慰めしようとして、聖母の方に身をかがめているのを見た。マグダレナは全く愛と悲しみに充たされていた。かの女は誰の前も恐れず、道で会う人毎にいかに人々が主を取り扱ったか、またいかに主がいまや再び復活されたかを非常な熱情をもって説明していた。かの女は世界の一切のことを忘れ、ただ主にのみ憧れていた。 - 

 マルタは今や苦しい地位にあった。かの女もまた悲しみに全く打ち砕かれていながらも、すべての人々の心配をしていた。すなわちかの女は一同の食事とその世話に心を配っていたのである。クザの寡婦ヨハンナは、なにかとマルタの手伝いをしていた。 -

 シレネのシモンはここに弟子たちを尋ねて来た。かれはまた自分の二人の息子らをそこで見付けた。

 その頃エルサレムでは、大祭司派の者たちがイエズスやその弟子たちと関係のあった人々の家を片端から回り。その官職を奪ったばかりでなく、自分らの団体から締め出してしまった。

 ニコデモとアリマテアのヨゼフは主のご埋葬以後、もはやユダヤ人とは何等関係していなかった。ヨゼフは人々の間に高い信望があり、またその隠れた功績と謙遜な行為によって悪い人たちからも尊敬を受けていた。 - 

 私の非常に嬉しかったことは、ベロニカの夫もまた妻に対する態度を変えたことである。ベロニカは夫に、イエズスから離れるよりもむしろかれと分かれた方がよいと言ったので、かれはイエズスに対すると言うよりも、むしろ妻への愛からかの女と妥協したのである。ユダヤ人はかれの官職もまた奪ってしまった。 - 

 ピラトは少しも落ちつくことができないのでエルサレムを去って行った。ヘロデもまた二、三日以来マケルスに移った。しかしそこでもまたじっとして居れず、再びマディアンに赴いた。 - 

 その頃私はイエズスが各地に出現されたのを見たが、最後はガリラヤのヨルダンの近くで、そこには大きな学校があった。ちょうど大勢の人々が集まり、イエズスについて語り、またそのご復活に対する疑問を述べあっていた。その時主はかれらの真ん中に現れ、少しばかりお語りになって再びお消えになった。こうして私はいろいろな地方における主のご出現を見たのである。

 使徒はシカルから再び帰途につき、あらかじめベタニアへ到着を知らせる使者を送った。そして数人の弟子たちは安息日の礼拝のためにエルサレムに行き、他の者たちはその日を再びベタニアで祝うように告げさせた。かれらはすでに一定の掟をもっていた。使徒たちはしかし各地を滞在せずに巡回しつづけた。かれらはおそく晩餐の広間についたので、用意されていた食事をすることができず、直ちに安息日の礼拝を始めた。私はかれらの多くの動作がすでにユダヤ人の安息日の習慣から離れているのを見た。

 聖母はますますエルサレムに愛着をもつようになっておられた。それは夜明けと夜の中にイエズスのご受難の道を歩まれることが習慣となっていたからである。聖母は主がお苦しみになり、また地面に倒れた場所をすべて認め、またそこでお祈りになった。こうして聖母はおん子のご受難を、その黙想のうちにくりかえされたのである。聖母がこの十字架の道の信心とキリストのご受難の黙想をはじめてなされ、イエズスのご死去後もまたそれをお続けになったことは確かなことである。





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