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七十  ご昇天



 驚くべきご昇天の前夜、私はイエズスが聖母および使徒たちとともに、晩餐の家の奥の広間にいられるのを見た。弟子や婦人たちは側室で祈っていた。部屋の中央には灯の入ったランプの下に晩餐の卓が置いてあった。使徒たちは式服を着ていた。聖母はイエズスに向かいあっておられた。聖木曜日の時のように救い主はパンとぶどう酒を変化された。次いで主が聖なる秘跡をお与えになった時、私はそれが輝けるもののごとく使徒の口に入って行くのを見た。ぶどう酒の変化の際には、主のみ言葉が赤い光線のようになって杯の中に注ぐのを見た。 -

 この最後の日には、マグダレナ、マルタ、マリア・クレオファもまた御聖体を拝領した。

 かれらが家を出る前に、師は聖母をかれら一同の母、仲介者、弁護者としてお示しになった。

 聖母はご自分の前に、うやうやしく身をかがめて立ったペトロおよび他のすべての者たちの上にそのおん手をひろげて祝福された。

 日が白みはじめた頃イエズスは使徒たちとともに晩餐の家を出られた。聖母はイエズスのすぐ後に歩まれ、弟子たちの群れは少し離れて従った。

 一同はエルサレムの町の中を通ったが、あたりはすべてまだもの静かであった。

 主のお話しやその行動はますます真面目に、いよいよ早くなって行った。昨夜の主は私には大変思い遣りのあるように思われた。わたしは一同が今歩いている道は枝の主日の道であることがわかった。そして私は主がかれらに教えと戒めとによって、すべてをもう一度本当に生き生きとさせるために、皆とともにご受難のあらゆる道を歩かれるのだと感じた。主のご苦難のある事件が起こった場所毎に、主はしばらくの間立ち止まり、かれらに教え、その場所の意味を説明された。

 カルワリオに通ずる門の前で、一同は道からそれて、木の下に腰を下ろした。イエズスはかれらに向かって座られ、一同を慰め、また教えられた。そのうちに夜は明け始め、かれらの心は少し軽やかになった。主は多分自分たちの所に留まられるかも知れないと考えたからである。

 信者の新しい一群が来た。イエズスはその友らとともに再び道に出られたが、カルワリオまでは行かずに街を回ってオリーブ山の方に曲がって行かれた。そして主はまたその群衆とともに、美しい長い草の生えた、大変気持ちのよい場所でお止まりになった。驚いたことにはこの草が少しも踏みにじられなかった。人々の群れはここでは今や非常に多くなっていたので、私にはそれを数えることができなかった。

 イエズスはここで大変長い間お語りになった。人々は今や主が一切を終わり、別れのためにお立ちになったのを見た。一同はこのことを確かに認めてはいたが、そのお別れはそうすぐ来るとは考えていなかった。かれらはここにたっぷり一時間以上はいた。エルサレムではその間にすべてのものが活動を始めていた。人々はオリーブ山上の大群衆に驚いた。街からも大群衆が押し寄せて来た。狭い道には人々がひしめいていた。ただイエズスとその友の周りに少しばかりの空間を残すだけであった。

 次いで主はゲッセマネの方にお歩きになった。そしてオリーブの園の方から山に登って行かれた。主が捕らえられた道はお歩きにならなかった。人々の群れは一大行列のようにあらゆる道から続いて行った。垣や柵をこわしてしまった人も何人かはいた。イエズスはますます輝き、いよいよ早くなって行かれた。弟子たちは主の後を急いだが、主に歩調を合わせることはできなかった。主が山の頂上に到着されると、あたかも白日のようにお輝きになった。すると天から虹色に輝く明るい輪が主の方に降って来た。他の者たちは眩しそうに大きな輪をつくって師の周りに立っていた。イエズスご自身は主をとりまいていた光線よりもさらに明らかに輝いていた。

 主は左のおん手を胸におき、右のおん手を挙げつつ全世界を祝福された。群衆は身じろぎもせずに静かに立ちつくしていた。すると天から下って来た光は主ご自身から発する光と合流した。それはあたかも一つの太陽が、他の太陽の中に沈み、またイエズスのおん姿がこの天来の光の中にとけこんでしまったかのようであった。私はそのおん頭が見分けられなくなっても、主が天来の光の中にまったく消え去ってしまわれるまでは、なおそのみ足を見ることができた。私は八方から無数の霊魂がこの天来の光の中に入って行き、主とともに天に昇ったのを見た。私は救い主が次第に高く飛び去りつつ小さくなって行かれたということはできない。むしろ主は光雲の中に消え失せられたのである。この雲から光の露が一同の上に降りた。かれらはこの光に得堪えず、驚きと恐れにとらわれてしまった。イエズスのもっとも身近に立っていた使徒と弟子たちは目も眩み、地面を見、多くの者は地上に打ち伏した。聖母はかれらのすぐ後ろに立たれ、静かに前をみつめていられた。

 しばらくたって光が少しうすれると、全群衆は大いなる静けさと深い感動のうちに見上げたが、そこにはなお光の残映があった。私はこの光のうちに始めは小さい二つの姿がだんだんと降りて来たのを見た。ついにそれはおおきな姿となり、長い衣を着て杖を手に持って立った。それは預言者のように見えた。かれらが群衆に語るやその声はラッパのように高らかに響いた。私にはそれはエルサレムでも聞こえるだろうと思えた。かれらは極めて静かに立って言った。
 「ガリラヤの人々よ、なぜここに立って天を見つめているのですか。あなたがたの中から天に召されたこのイエズスは、あなたがたがかれの天に昇ったのを見たように、再び来られるでしょう。」

 この言葉の後にその姿は消えた。輝きはなおしばらくの間つづき、ついに消え去った。

 弟子たちは呆然としていた。かれらは何が起こったかを知った。主はかれらから天のおん父の許にお帰りになったのである。多くの者たちは心痛と悲嘆から、失心したように地上に倒れてしまった。最後にかれらが気を取り戻すと、他の者が周りにひしひしと集まって来た。そして自然に幾つかの群れになった。聖婦人たちもまた歩み寄って来た。こうしてなおかれらは長い間止まり、考え込み、語り合い、上を見上げていた。ついに弟子たちは晩餐の家に赴き、聖婦人たちも後に従った。二、三の者はなだめることのできぬ子供のように泣き、他の者は深い反省に沈んでいた。聖母とペトロおよびヨハネは極めて落ちつき、慰めに充たされていた。しかし私は二、三の者がなお感動もせず、疑いを持ち、信ぜずにいるのを見た。 - 群衆がすっかり立ち去った頃はすでに昼をすぎていた。

 使徒と弟子たちは今や孤独となったことを知るや、始めは不安となり見捨てられてしまったように感じた。しかしイエズスのおん母の静かな存在は、かれらを慰めをもって充たし、また聖母がかれらの母であり代願者であるとの主のみ言葉はかれらに平和を与えた。

 エルサレムではユダヤ人の間に明らかな恐怖が支配していた。私は多くの者が家の中に集まり、門やかんぬきをしめているのを見た。かれらはすでに数日来特別な不安に襲われていたが、今はまったくそれにとらわれてしまったのである。

 その翌日からは、私は使徒たちがいつも一緒にいるのを見た。聖母はかれらとともに晩餐の家におられた。イエズスの最後のお食事以来、私は祈りとパンを割く時には、主が占めておられたペトロの席の前に、マリアがいつもおられるのを見た。私は今やマリアは使徒の間に大いなる意義を持つに至ったという印象を受けた。

 十一人はすっかり引き籠もっていた。私は大勢のイエズスの帰依者のうちのだれも晩餐の家にいる使徒らの所に来たのを見なかった。かれらはユダヤ人の迫害を避けていたのである。弟子たちが他の部屋で出入りしていたその間も、使徒たちは厳しく定められた祈りに専心していた。

 わたしはかれらの多くの者が夜にも主のご苦難の道を深く黙想しつつ歩んでいたのを見た。 -

 マチアの選挙の際には、私はペトロが使徒の輪の中央にいるのを見た。弟子たちは開け放した側室に集まっていた。ペトロは弟子の群れの中に立っていたヨゼフ・バルザバとマチアとを推薦した。この弟子たちの中にはユダの地位に推されることを望んでいた者も幾人かいた。この二人はそのようなことはまったく考えてもいなかったし、またそのようなうぬぼれた希望などは少しも持っていなかった。その翌日二人の上にくじがかけられた。二人はその時居合わせなかった。くじがマチアに当たると、一人が弟子たちの控え室に行き、選ばれた者をつれて来た。





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