教皇ベネディクト16世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ |
2005年12月22日(木)午前11時から、教皇庁クレメンス・ホールで、教皇ベネディクト十六世は、教皇庁の枢機卿・大司教・司教・各省庁の長官と議長に対して降誕祭のあいさつを行い、2005年の出来事を回顧しました。以下はその全訳です。
枢機卿の皆様
司教職と司祭職にある敬愛すべき兄弟の皆様
親愛なる兄弟姉妹の皆様
「人よ、目覚めなさい。神はあなたのために人となったからである(Expergiscere, homo: quia pro te Deus factus
est homo)」(聖アウグスチヌス『説教185』)。親愛なる教皇庁の協力者の皆様。キリストの降誕の真の意味を理解するようにという、この聖アウグスチヌスの招きのことばをもって、わたしは降誕祭を間近にする中で、皆様との集いを始めます。
皆様の一人ひとりに心からごあいさつ申し上げます。皆様が献身と愛情のこもったお気持ちを示してくださったことに感謝します。この気持ちをわたしに伝えてくださった首席枢機卿に感謝申し上げます。
神はわたしたちのために人となりました。これが、毎年ベツレヘムの静かな馬小屋から、地上のどんな辺鄙(へんぴ)なところにまでも伝えられるメッセージです。降誕祭は、光と平和を祝う祭りです。降誕祭は、内なる驚きと喜びを味わう日です。この驚きと喜びは全世界に広がります。なぜなら、「神は人となった」からです。ベツレヘムのつつましい馬小屋から、小さな幼子として生まれた永遠の神の子が、わたしたち一人ひとりに呼びかけています。神の子は、彼の内に生まれ変わるように、わたしたちを招きます。それは、わたしたちが、この神の子とともに、至聖なる三位一体との交わりを永遠に生きることができるようになるためです。
教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去
わたしたちの心は、このことを知って喜びに満たされます。この喜びの内に、年末にあたって、今年起こった出来事を振り返ってみたいと思います。わたしたちは、教会生活に深い痕跡を残すような、大きな出来事を経験してきました。わたしは、まず何よりも、わたしたちの敬愛すべき教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去を思い起こします。逝去に先立って、教皇ヨハネ・パウロ二世は、長い苦しみのときを過ごし、次第に話すことができなくなりました。ヨハネ・パウロ二世ほど多くの量のテキストを残した教皇はいません。彼以前のいかなる教皇も、ヨハネ・パウロ二世ほど全世界を訪問し、すべての大陸の人びとに直接語りかけることはありませんでした。
しかし、最後に教皇は、苦しみと沈黙の道を歩まなければなりませんでした。わたしたちは、受難の主日の教皇の姿を忘れることができません。教皇は、オリーブの枝を手に持って、苦痛を感じていることを表しながら、窓辺に近づき、主の祝福を送りました。そのとき、教皇ご自身も、まさに十字架に向かって歩み出しておられたのです。
次に思い起こされるのは、教皇公邸の礼拝堂での教皇の姿です。教皇は十字架を握りながら、コロッセウムで行われた十字架の道行きに参加しました。コロッセウムは、しばしば教皇ご自身が十字架を担いながら行列を先導された場所でした。
最後にわたしたちは、復活の主日に教皇が沈黙の内に行った祝福を思い起こします。わたしたちはこの祝福の中に、教皇が味わったすべての苦しみを通して輝き出る、復活と永遠のいのちの約束を認めました。教皇はそのことばと行いによって、わたしたちに偉大なことを伝えました。しかし、教皇が苦しみと沈黙の座からわたしたちに示した教訓も、同じように重要なのです。
最後の著作『記憶とアイデンティティ』(Memory
and Identity, Weidenfeld & Nicolson, London,
2005)の中で、教皇は、わたしたちのために苦しみの意味を解き明かしています。この解釈は、神学的な理論でも、哲学的な理論でもありません。それは教皇が、自ら苦しみの道を歩んで考えた末に得た結論です。教皇はこの苦しみの道を、十字架につけられた主への信仰に支えられながら歩みました。教皇はこの解釈を、信仰によって練り上げ、主の苦しみにあずかりながら体験した自分の苦しみに対して与えたのです。だからこの解釈は、教皇の沈黙の苦しみを通して語っています。それは苦しみを重要なメッセージへと変容させたのです。
悪の力
今挙げた著作の冒頭でも、またその終わりでも、教皇は、悪の力を目の当たりにして自分が大きな衝撃を受けたことを明らかにしています。教皇は、終わったばかりの先の世紀に、この悪の力を劇的なかたちで体験しました。著作の中で教皇はこう述べています。「この悪は、小規模の悪ではありませんでした。・・・・それは巨大な悪でした。それは、自らの悪意に満ちたわざを実現するために、国家のかたちをとった悪、社会制度となった悪でした」(p.
189)。
わたしたちは悪に打ち勝つことができないのでしょうか。悪は真の意味で最終的に歴史を支配する力なのでしょうか。悪の経験のゆえに、ヴォイティワ教皇にとって、あがないの問題は、彼のキリスト信者としての生き方と思想の根本問題となりました。悪の力が及ぶことのできない限界はあるのでしょうか。教皇はこの著作の中でも、また、あがないについて書いた回勅(『人間のあがない主』)の中でも、そのような限界があると答えています。
悪の力に限界を与えるものは、神のいつくしみです。歴史の中で、悪の現れである暴力に対立するのは、神のいつくしみです。神のいつくしみは、神が持っている「完全な意味で悪とはまったく異なるあり方」であり、神ご自身の力だからです。黙示録のことばを用いて、わたしたちはこういうこともできます。すなわち、小羊は竜よりも強いのです。
『記憶とアイデンティティ』の終わりのところで、1981年5月13日の暗殺未遂を振り返りながら、神と世界とともに歩んだご自分の経験に基づいて、ヨハネ・パウロ二世はさらに深くこの答えについて考察しています。
ヨハネ・パウロ二世はいいます。悪の力に限界を設けるもの、いいかえれば、悪の力に打ち勝つ力とは、神の苦しみ、すなわち、十字架上での神の子の苦しみです。「十字架につけられた神の苦しみは、他の苦しみと同じような、苦しみの一形態にすぎないものではありません。・・・・わたしたちすべてのためにご自身をささげることによって、キリストは苦しみに新しい意味を与えました。すなわちキリストは、新しい次元、新しい秩序を開きました。それは愛の秩序です。・・・・十字架上でのキリストの受難は、苦しみに根本的に新たな意味を与えました。それは苦しみを内部から変容させたのです。・・・・この苦しみが、悪を愛の炎によって焼き尽くし、滅ぼすのです。・・・・人間のすべての苦しみ、すべての痛み、すべての病の中には、救いへの約束が含まれています。・・・・悪がこの世に存在する一つの理由は、わたしたちの愛を呼び覚ますためです。愛とは、苦しみに見舞われた人に、惜しみなく報いを期待せずに自らをささげることです。・・・・キリストは世をあがないました。『彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた』(イザヤ53・5)」(pp.
189ff.)。
ここで述べられたことは、たんなる学問としての神学ではありません。それは、教皇の信仰体験の表現であり、その苦しみを通して行われた考察です。もちろんわたしたちは、人の苦しみをやわらげ、罪のない人を苦しめる不正をなくすように、力を尽くさなければなりません。けれどもわたしたちはまた、人びとが苦しみの意味を見いだし、自分の苦しみを受け入れ、自分の苦しみをキリストの苦しみと結びつけることができるためにも、努力しなければなりません。
こうして苦しみは、あがないをもたらす愛と一つになり、そこから、世の悪と戦う力となるのです。
教皇の死に世界中から寄せられた反応は、圧倒されるような感謝の表現でした。この感謝は、教皇がその奉仕職の中で、世のためにご自身をすべて神にささげたことに対して与えられた感謝でした。憎しみと暴力に満ちた世において、教皇が人に仕えながら、あらためて愛すること、苦しむことについて教えてくださったことに対する感謝でした。いってみれば、教皇は、あがない主とあがないを、身をもって示しました。そして教皇は、本当に、世において悪が最後まで生き残ることはないのだということを、わたしたちに確信させてくださったのです。
ワールド・ユース・デーと世界代表司教会議
ここでわたしは、そのほかに二つの出来事について、簡単に触れたいと思います。この二つの出来事はともに、教皇ヨハネ・パウロ二世が始めたものです。すなわち、ケルンで開催されたワールド・ユース・デーと、御聖体についての世界代表司教会議です。世界代表司教会議は、教皇ヨハネ・パウロ二世が開始した聖体の年を締めくくるものでもありました。
ワールド・ユース・デーは、大きなたまものとして、参加者の記憶の内にとどまっています。百万人以上の青年が、ライン河のほとりの町ケルンと、ケルン周辺の町に集まりました。彼らは神のことばにともに耳を傾け、ともに祈りました。ゆるしの秘跡と御聖体の秘跡を受け、ともに歌い、ミサにあずかり、生きることの喜びを味わいました。そして、土曜の晩と日曜日の大きな集会で、御聖体の内におられる主を礼拝し、拝領しました。ただ喜びだけが、これらの日々を満たしました。
警官たちは、交通整理を行うほかに、何もすることがありませんでした。主がその家族を集め、あらゆる隔てと垣根を目に見えるかたちで乗り越えさせてくださいました。そして主は、わたしたちの大きな交わりの中で、わたしたちとともにいてくださることを体験させてくださいました。
「わたしたちはイエズスを拝みに来たのです」。これが、ワールド・ユース・デーを過ごすために選ばれたテーマでした。このテーマには二つのすばらしい姿が含まれていました。この二つの姿が、初めからわたしたちにふさわしい態度をとるよう促してくれました。第一は、巡礼者の姿です。巡礼者は、自分の仕事や日常生活を後にして、根本的な目的を探しに出発します。この目的とは、真理、正しい生活、神にほかなりません。
人生の目的をめざして歩む人の姿は、さらに二つのことをはっきりと指示しています。
まずわたしたちは、わたしたちの周りの世界を、自分で手を加えることのできるたんなる素材と考えずに、その中に「造り主の手のわざ」を見いだすように招かれています。「造り主の手のわざ」とは、世を造り出したロゴス(理性)と愛です。世は愛によって生み出され、世はこの愛についてわたしたちに語っているからです。そのことは、わたしたちが注意して見れば、わかります。わたしたちの内なる感覚が呼び覚まされ、もっと深い次元で現実を把握できるようになれば、わかるのです。
さらにもう一つの招きがあります。それは、歴史の中で示される啓示に耳を傾けるようにという招きです。歴史の中で示される啓示だけが、創造のわざの沈黙の神秘を解き明かす鍵をわたしたちに与えるからです。この啓示は、真の意味で世界と歴史の主である方に到達するための具体的な道を、わたしたちに示します。この方は、ベツレヘムの貧しい馬小屋でご自身を示されました。
ワールド・ユース・デーのテーマに含まれたもう一つの姿は、礼拝する人の姿です。「わたしたちはイエズスを拝みに来たのです」。あらゆる活動を行う前に、世界の変革を行う前に、わたしたちは礼拝しなければなりません。礼拝だけが、わたしたちを真の意味で自由にします。礼拝だけが、わたしたちに行動の基準を与えます。世界にはわたしたちを導いてくれる基準もなく、一人ひとりが自分の法となる恐れがあります。そのような世界だからこそ、礼拝を重視することが根本的に必要なのです。
ワールド・ユース・デーに参加したすべての人は、あの百万人の青年の深い沈黙をいまだに忘れることができません。その沈黙は、聖なる秘跡の内におられる主が祭壇に置かれたときに、わたしたち皆を一致させ、高めてくれました。ケルンで示されたこれらの姿を、わたしたちの心の中に忘れずにとどめようではありませんか。これらのしるしは意味を持ち続けます。お一人おひとりの名前を挙げませんが、この機会に、ワールド・ユース・デーの開催を準備されたすべての皆様に感謝したいと思います。しかし、何よりも、ともに主に感謝しようではありませんか。まことに、主のみが、わたしたちが体験したようなかたちであの日々をわたしたちに与えてくださることができたからです。
御聖体についてのシノドス
「礼拝」ということばは、わたしがお話ししたい第二の大きな出来事へとわたしたちを導きます。すなわち、世界代表司教会議と御聖体の年です。教皇ヨハネ・パウロ二世は、回勅『ECCLESIA DE EUCHARISTIA 教会にいのちを与える御聖体』と使徒的書簡『MANE NOBISCUM DOMINE 主よ、一緒にお泊りください』によって、わたしたちに根本的な指針を与えてくださいました。同時に教皇ヨハネ・パウロ二世は、ご自身が聖体への信仰を生きることによって、教会の教えを具体的なかたちで示しました。
さらに教皇庁典礼秘跡省は、回勅『ECCLESIA DE EUCHARISTIA教会にいのちを与える聖体』と密接に関連する指針『あがないの秘跡』(Redemptionis
Sacramentum)を発布しました。この指針は、『典礼憲章』の適切な実施のための実践的な手引きとなるものです。これらのものに加えて、御聖体に関する教えをさらに発展させるために、何か新しいことを述べることが現実に可能だったでしょうか。
これこそ、世界代表司教会議のすばらしい経験にほかなりませんでした。世界代表司教会議では、シノドス参加司教の発表によって、現代の教会における御聖体に生かされた生活の豊かさが考察され、言い尽くすことのできない御聖体への信仰が表明されました。シノドス参加司教の考えと発言は、シノドスの「提言」と密接に関連したかたちで、シノドス後に発布される文書の中に示されなければなりません。
ここでわたしは、ワールド・ユース・デーとの関連で少し前に述べた点をあらためて強調するにとどめたいと思います。すなわち、肉と血、からだと心、神性と人性とをもって御聖体の内に現存する、復活した主を礼拝するということです。
教会のいたるところで、人びとが御聖体礼拝の喜びを取り戻し、その成果が現れているのを見て、わたしは感動しています。典礼改革が行われていた間、感謝の祭儀とミサ以外のときに行われる御聖体礼拝は、互いに対立するものとしばしば考えられました。当時広まっていた反論によれば、御聖体のパンがわたしたちに与えられるのは、それを観想するためではなく、食べるためだと考えられました。
教会における祈りの経験は、感謝の祭儀と聖体礼拝を対立させるこのような考え方がどれほどおかしなものであるかを示してきました。かつてアウグスチヌスはこう述べています。「誰もまず礼拝することなしにこの肉を食べてはならない。・・・・礼拝しなければ、われわれは罪を犯すことになるだろう(…
nemo autem illam carnem manducat, nisi prius adoraverit; … peccemus non
adorando)」(『詩編講解』98・9:CCL XXXIX,
1385)。
実際、わたしたちは、御聖体を通じてただ何かを受け取るだけではありません。そこで行われるのは、人格と人格の出会いであり、一致なのです。けれども、わたしたちと出会おうとして来られる方、わたしたちとご自身を一致させようと望まれる方は、神の子です。このような一致を実現するための唯一の方法は、礼拝です。
御聖体を拝領するとは、わたしたちが拝領する方を礼拝することを意味します。礼拝することによって、また礼拝することを通じてのみ、わたしたちはこの方と一つになります。ですから、中世において形をとった御聖体礼拝が、御聖体の神秘そのものから発展したのは、きわめて当然のことでした。礼拝することによって初めて、深く真の意味での拝領が可能となります。そして、このように主と個人的に出会うことから、社会への派遣が行われます。社会への派遣は、御聖体の内に含まれています。また、社会への派遣は、主とわたしたちの間の隔てだけでなく、何よりも、わたしたちと他の人を隔てるあらゆるものを取り除くことを望みます。
第二バチカン公会議閉会40周年
ここでわたしが考えたい、今年の最後の出来事は、第二バチカン公会議閉会40周年の記念です。この記念から次の疑問が生じてきます。公会議の成果は何だったのでしょうか。人びとは公会議を十分受け入れたのでしょうか。ふさわしい公会議の理解とは何でしょうか。また、不適切な、あるいは間違った公会議理解とは何でしょうか。まだしなければならないことは何でしょうか。教会のかなりの部分において、公会議の実施がある意味で困難だったことを誰も否定できません。偉大な教会博士、聖バジリオは、ニケア公会議後の教会の状況について次のように述べています。やろうと思えば、このことばは、過去40年の間に起こったことにあてはめることができます。バジリオは、教会の置かれた状況を嵐の暗闇の中で行われる海戦になぞらえます。「意見が対立し、互いにいがみ合う者たちの騒がしい叫び声、理解を超えた流言、絶え間なく騒ぎ立てる混乱した話し声――これが、今やほとんど教会全体を満たし、行き過ぎや誤謬によって信仰の正しい教えを歪めている」(『聖霊論』30・77:PG
32, 213A; SCh 17bis, p. 524)。
わたしたちは公会議後の状況にこの劇的な記述をそのままあてはめたいとは思いませんが、すべての出来事のいくぶんかはこの記述に反映されています。ここで疑問が生じます。なぜ、教会の多くの部分において、これまで公会議の実施がそれほど難しかったのでしょうか。
この疑問に答えるには、何よりも、公会議の正しい解釈が必要です。あるいは、今日、そういってよければ、適切な解釈法、すなわち公会議の解釈と適用の鍵となる正しい方法が必要です。公会議の実施における諸問題は、二つの相対立する解釈法が互いに反目し、論争し合うことから生じました。一方の解釈法は混乱をもたらしました。他方の解釈法は、静かに、しかしいっそう目に見えるしかたで、実を結んできましたし、今も実を結びつつあります。
まず一つの解釈法があります。これをわたしは「不連続と断絶による解釈法」と呼びたいと思います。この解釈法は、しばしばマス・メディアの共感や、一部の現代神学をも利用してきました。他方では、「改革による解釈法」があります。改革とは、主がわたしたちに与えた、一つの実体としての教会の連続性の中で行われる刷新のことです。教会は時の中で成長し、発展します。けれども教会は、常に同一のものであり続けます。それは、旅する神の民という一つの実体だからです。
不連続による解釈法は、あえて公会議前の教会と公会議後の教会の断絶を帰結させます。この解釈法は、公会議文書そのものは公会議の真の精神をまだ表現していないといいます。この解釈法の主張によれば、公会議文書は妥協の産物です。すなわち、一致を得るために、今や的はずれな、多くの古い事柄を残し、再確認することが必要だったというのです。しかし、公会議の真の精神は、こうした妥協の中に見いだすことのできるものではありません。むしろそれは、文書に含まれた新しい事柄への動きの中に見いだされます。
このような革新のみが、公会議の真の精神を表すものであり、この革新から、またこの革新に従うならば、前進することが可能となると、彼らは考えます。文書は公会議の真の精神とその新しさを不完全にしか反映していません。だからこそ、勇気をもって文書を飛び越え、新しさのための余地を残すことが必要になります。このような新しさによって、たとえぼんやりとしたかたちであれ、公会議のもっとも深い意図が表されることになります。
一言でいえば、必要なのは、公会議文書に従うことではなく、公会議の精神に従うことなのです。こうして、この公会議の精神をどう規定すべきかという問題を考えるための、広大な余白が残されることになるのは明らかです。そこから、あらゆる奇抜な発想も可能となります。
このようにして、公会議の性格そのものが根底から誤解されることになります。彼らはこのようなかたちで、公会議を、旧憲法を廃止して、新憲法を制定するための憲法制定議会のようなものと考えるからです。けれども、憲法制定議会は、委任者と、委任者による確認を必要とします。委任者とは、憲法が奉仕する国民のことです。公会議教父はそのような権限をもっていませんでしたし、いかなる者も公会議教父にそのような権限を与えていません。また、いかなる者も公会議教父に対してそのような権限を与えることはできなかったのです。なぜなら、教会を本質的な意味で設立したのは主であり、この教会はわたしたちに与えられたものだからです。それは、わたしたちが永遠のいのちを得ることができ、また、このような展望に基づいて、世のいのちを照らし、また世そのものをも照らすことができるためです。
司教は、彼らが受けた秘跡を通じて、主のたまものを管理します。司教は「神の秘められた計画を委ねられた管理者」(一コリント4・1)です。だから司教は「忠実で賢い」(ルカ12・41-48参照)者でなければなりません。このことは司教に、主のたまものを正しく管理することを求めます。それは、このたまものがいわば隠れた場所に隠されることなく、実を結び、こうして、主が終わりに管理者にこういうことができるためです。「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」(マタイ25・24-30、ルカ19・11-27参照)。
福音書のたとえ話は、主に奉仕する際に求められる忠実さがもつ発展的性格を表現しています。このようなたとえ話から明らかになるのは、公会議においても、発展と忠実さが一致しなければならないということです。
公会議の目的
不連続による解釈法の反対は、改革による解釈法です。改革による解釈法を最初に示したのは、教皇ヨハネ二十三世による1962年10月11日の公会議開会演説でした。後にこの解釈法は、教皇パウロ六世が1965年12月7日に行った公会議閉会演説でも示されました。
ここでは、わたしは、改革による解釈法をはっきりと述べた、ヨハネ二十三世の有名なことばを引用するにとどめたいと思います。ヨハネ二十三世はこういっています。公会議が望むのは、「教義を弱めることも歪めることもなしに、純粋で完全なしかたで伝えること」です。教皇は続けてこういいます。「わたしたちの務めは、あたかも骨董(こっとう)趣味のように、この高価な宝を守ることだけではありません。わたしたちの務めは、わたしたちが生きている時代がわたしたちに求めている活動に、誠意をもって、畏れることなく取り組むことです」。必要なのは「教会の教えのすべてを、完全に、また正確に守ることです」。このことは「正統な教義との忠実かつ完全な一致の内に示されます。しかしながら、教義は、さまざまな研究方法と現代思想のさまざまな文学的形態を通して研究され、拡大されなければなりません。信仰の遺産における古代の教義の実体と、同じ意味とメッセージを保ちつつ、その教義を提示する方法は、別の事柄です」(『第二バチカン公会議文書集』:Sacrosanctum
Oecumenicum Concilium Vaticanum II, Constitutiones Decreta
Declarationes, 1974, pp.
863-865)。
特定の真理を新しいしかたで表現するためには、この真理についてあらためて考え、この真理と生き生きとした関係をもつことが必要なことは、明らかです。また、新しいことばを生み出すことができるためには、表現しようとする真理を深く理解しなければならないこと、さらに、信仰に関する考察を行うには、その信仰を生きることが必要であることも、明らかです。その意味で、教皇ヨハネ二十三世が提案した計画はきわめて厳しい要求だったといえます。それは、信仰と発展の総合が厳しい要求であるのと同じです。
けれども、この改革による解釈法が公会議の実施を導いた場合には、かならず、新しいいのちが育ち、新しい実を結んできました。公会議から40年が過ぎて、わたしたちは、積極的な側面が、1968年前後の混乱した時期に見られたよりも、ずっと大きく活発なものとなったことを示すことができます。今日わたしたちは、よい種が、たとえその成長は遅くても、たしかに育ちつつあるのを目にしています。またわたしたちは、公会議が成し遂げたわざに対して、ますます感謝を深めているのです。
教会と現代
公会議閉会演説の中で、パウロ六世は、不連続による解釈法が説得力を持つように思わせる、もう一つの特別な理由を指摘しています。
人間に関して激しい議論が行われてきたことが、近代の特徴です。このような議論をめぐって、公会議は特別な意味で人間論というテーマを取り上げました。公会議は、一方で教会と信仰の関係を問題にすると同時に、他方で人間と同時代の世界の関係を問題にしました(ibid.,
pp.
1066f.)。「同時代の世界」という一般的なことばの代わりに、もっと明確なことばを使うならば、ここでいわれている問題はいっそうはっきりします。すなわち、公会議は教会と現代の関係を新たなしかたで規定しなければならなかったのです。
教会と現代の関係をめぐっては、ガリレオ裁判以来、激しい議論が行われてきました。カントは「純粋理性の限界内の宗教」を主張することによって、この関係を切断しました。そして、フランス革命という過激な時代も、この関係を切断しました。このとき、事実上、教会にいかなる余地を認めることも望まない国家と人間という概念が行き渡ったからです。
19世紀のピオ九世の時代、教会の信仰と、極端な自由主義および自然科学が衝突しました。後者はその知識が現実全体のすみずみにまで及ぶことを主張し、頑強に「神という仮説」を不要なものにしようとしました。そのため教会は、このような近代の精神に対して極端に厳しい糾弾を行わざるをえませんでした。こうして、両者の間で積極的で実り豊かな相互理解を行う余地はもはやないかのように考えられました。また、近代の代表者を任じる人びとからも、この糾弾に対する徹底的な拒絶が行われました。
けれども、その後、近代も発展していきました。人びとは、アメリカ独立が近代国家の一つのモデルを示していることを理解し始めました。このモデルは、フランス革命の第二段階において生じた、極端な傾向をもった理論的モデルとは異なるものでした。
自然科学も、自然科学の方法自体から生じる自身の限界を、ますますはっきりと自覚し始めました。自然科学の方法は、優れた成果を上げているにもかかわらず、現実の全体的な性格を把握することはできないからです。
こうして両陣営は次第に互いに対して心を開き始めました。二つの世界大戦の間の時期、また特に第二次世界大戦後、カトリック信者の政治家は、価値中立的でなく、キリスト教によって開かれた偉大な倫理的源泉に根ざした近代世俗国家が存在することを示しました。
カトリックの社会教説も次第に発展しました。それは、急進的な自由主義とマルクス主義的な国家理論のどちらでもない、重要な考え方を示すようになりました。自然科学は、いかなる意味においても、自らの方法に神が近づくことはできないと宣言していました。しかし、自然科学は、この方法が現実全体を捉えるものではないことを、これまでになく明らかなしかたで理解するようになりました。こうして、自然科学者は再び神に扉を開きました。それは彼らが、自然科学の方法と、その方法が捉えうるすべてのことよりも、現実が大きいことを認めたからです。
第二バチカン公会議当時、三つの問題が答えを求めていたということができます。第一に、信仰と現代科学の関係を再定義しなければなりませんでした。さらに、これは、自然科学だけでなく、歴史科学とも関わる問題でした。なぜなら、ある学派では、歴史的・批判的方法が聖書を解釈するための最終的な手段だと主張され、それ以外の聖書解釈の方法はまったくありえないかのように考えられたからでした。こうして歴史的・批判的方法が、重要な点において、教会の信仰によって形成された聖書解釈と対置されたのです。
第二に、教会と近代国家の関係を新たに定義しなければなりませんでした。近代国家は、さまざまな宗教や思想をもった市民を平等に扱うために、宗教・思想を異にする人びとが秩序と寛容をもって共存し、自らの宗教を自由に実践するための責任をとるにすぎないからです。
第三に、このことともっと広範なかたちで関連をもった、宗教的寛容の問題がありました。それは、キリスト教信仰とさまざまな世界宗教の関係を新たに定義づけなければならないという問題でした。特に、最近行われたナチ支配による犯罪を踏まえて、また、広い意味で、長く難しい歴史を振り返りながら、教会とイスラエルの信仰の関係を新たなしかたで評価し、定義づけなければなりませんでした。
これらは皆、きわめて重大なテーマです。公会議の後半で扱われたのは、これらの大きなテーマでした。今の文脈の中でこれについて十分な考察を加えることは不可能です。これらの問題は、ともに一つの問題を形成しています。そして、はっきりいえることは、これらすべての問題から、ある種の不連続が生じる可能性があったということです。実際に、ある意味では不連続が現れました。けれども、具体的な歴史的状況とそこで出される要求とを区別してみると、さまざまな原則の連続性が放棄されなかったことが明らかになります。このことは、一見しただけでは、見過ごされがちです。
さまざまな次元において見られる、この連続性と不連続の組み合わせの内にこそ、真の意味での改革の本来の姿があります。連続性において行われる革新の過程を通じて、わたしたちはこれまでにもまして具体的なしかたで、次のように考えることを学ばなければなりません。すなわち、非必然的な事柄――たとえば、自由主義のある種の形態や、聖書の自由な解釈など――に関する教会の決定は、それ自体として非必然的なものとならざるをえないということです。なぜなら、こうした決定は、それ自体において変化しうる特定の現実に関してなされるからにほかなりません。こうした決定において、不変的な側面を表すのは、原則だけであることを認めるように努めなければなりません。不変的な側面は、表面に見えないところに隠れて、内部から決定を導き続けているからです。他方で、決定の具体的な方法はそれほど不変的なものではありません。これらの方法は歴史的な状況に基づいており、そのため変化しうるものだからです。
したがって、基本的な決定は有効であり続けますが、この基本的な決定を新たな状況に適用する方法は、変化することがありえます。ですから、たとえば、信教の自由は、人間が真理を見いだすことができないことの表現と考えられて、そのために相対主義の公認となることがありえます。そのとき、この社会的・歴史的な意味で必要とされた信教の自由が、不適切なしかたで形而上学的な意味をもつようになり、このようにしてそれはその真の意味を失ってしまうのです。したがって、このような信教の自由は、人間が神に関する真理を認識することができると信じ、この真理が持つ尊厳に基づいて、この認識に結ばれているような人にとって、受け入れることができないものです。
このことと完全に区別しなければならないのは、人間の共存のために必要な、信教の自由の概念です。あるいは、外から強制できず、人が自ら納得する過程を通じて初めて受け入れなければならない真理の本質的な帰結としての、信教の自由の概念です。
第二バチカン公会議は、『信教の自由に関する宣言』によって近代国家の本質的原則を認め、受け入れました。こうして公会議は、教会の最古の遺産をあらためて発見したのです。その際、教会は、イエズス自身の教えとも(マタイ22・21参照)、またあらゆる時代の殉教者の教会とも、完全に一致していると自覚することができました。古代教会は自然に、皇帝と政治指導者のために祈ることを義務と考えました(一テモテ2・2参照)。けれども教会は、皇帝のために祈りはしても、皇帝を礼拝することは拒否しました。こうして教会は国家宗教をはっきりと拒絶したのです。
初代教会の殉教者たちは、イエズス・キリストの内に現された神への信仰のために死にました。ですから彼らは、良心の自由と、自分の信仰を告白する自由のために死んだということもできます。いかなる国家も信仰告白を強制することはできません。信仰告白を行うことは、良心の自由の内に、神の恵みによって初めて可能なのです。宣教する教会は、すべての民にそのメッセージを告げ知らせるために、信教の自由を守るよう努めなければなりません。教会の望みは、すべての人のために存在する真理のたまものを伝えることです。
同時に教会は、自分の活動によって、国家の独自性や文化を破壊するつもりがないことを、国民と国家に対して約束します。かえって、教会は、国民と国家がその心の奥底で待ち望んでいる答えを与えようと望んでいます。この答えによって、文化の多様性が失われることはありません。それどころか、人びとの間の一致が強められ、そこから諸民族間の平和も促進されます。
変わることなく一にして聖なる教会
第二バチカン公会議は、教会の信仰と近代思想のある種の本質的な要素の関係を新たに定義することによって、ある種の歴史的な決定を見直し、場合によってそれを修正しました。しかしこのような明白な不連続においても、教会は実際には、その内的な本性と真の同一性を保持し、深めたのです。
教会は、公会議の前も、公会議の後も、同じ教会でしたし、今も同じ教会です。それは一、聖、公、使徒継承の教会として、世々を通じて旅しています。教会は「世の迫害と神の慰めとを通って旅を続け」ます。こうして教会は、主が来られるまで、主の死を告げ知らせます(『教会憲章』8参照)。
現代に対するこの根本的な「然り」によって、あらゆる緊張が解かれ、こうして実現される「世界への開放」が、すべてを造り変えて完全な平和に導くだろうと期待した人が軽視していたのは、現代という時代が抱える内的な緊張と矛盾です。
このような人は、人間本性がもつ危険な弱さを軽視していたのです。この危険な弱さこそ、歴史のあらゆる時代、歴史のあらゆる出来事において、人間の進歩を脅かしてきたものです。人間が物質と自分自身に対して新たな可能性と力を手にするようになっても、この危険は消えてはいません。それどころか、この危険は新たな様相を帯びています。このことは、現代の歴史を一瞥(べつ)するだけで、はっきりとわかります。
現代においても、教会は依然として「反対を受けるしるし」(ルカ2・34)であり続けます。当時枢機卿だった教皇ヨハネ・パウロ二世が、1976年に教皇パウロ六世と教皇庁に対して行った霊操のテーマとして、このことばを選んだのは、いわれのないことではありません。公会議は、福音と、人間のもつ危険と過ちとの対立を、解消することができませんでした。
その反対に、公会議が意図したのが、間違った矛盾、あるいは表面的な矛盾を克服することであったことは明らかです。それは、福音の要求をその偉大さと純粋さを完全に保ったままで現代世界に示すためでした。
公会議が現代に対して示した歩みは、かつてきわめてあいまいなしかたで「世界への開放」と呼ばれてきました。しかし、この歩みは、つまるところ、信仰と理性の関係という永遠の問題に属しています。信仰と理性の関係という問題は、常に新たなかたちをとって繰り返し現れるからです。公会議が直面しなければならなかった状況は、たしかに過去の時代に起きた出来事と比較することができます。
聖ペトロは、その第一の手紙の中で、キリスト信者は、自分たちの信仰の根拠(ロゴス)の説明を求める人には、いつでも弁明(アポ-ロギア)できるよう備えているようにと勧告しました(一ペトロ3・15参照)。
これは次のことを意味しています。すなわち、聖書の信仰は、議論と、ギリシア文化との接触にさらされなければなりませんでした。こうして聖書の信仰は、翻訳されることを通じて、神が与えた唯一の理性によって、自分たちとギリシア文化を画する違いだけでなく、両者の一致や類似を認めることをも学んだのです。
13世紀に、ユダヤ人やアラブ人の哲学者を通じて、アリストテレス哲学が、プラトン主義の伝統によって形成された中世キリスト教と接触しました。そして、信仰と理性は和解不可能な対立に陥る危険にさらされました。そのとき、信仰とアリストテレス哲学との新たな出会いを率先して仲裁したのは、トマス・アクィナスでした。トマスは、信仰が当時の有力な理性の形態と積極的な関係をもつことができるようにしたのです。ガリレオ裁判によって非積極的なしかたで始まった、近代理性とキリスト教信仰の長い議論が、さまざまな段階を経て行われてきました。しかし、第二バチカン公会議によって、広く新しい考え方が必要とされる時代が到来したことは間違いありません。
たしかにわたしたちは、この考え方の中身を、公会議文書の中に荒削りなかたちでしか読み取ることができません。けれどもそこには根本的な方向性が示されています。こうして、今日特に重要となっている、理性と信仰の対話は、第二バチカン公会議の基礎の上にその方向づけを見いだしたのです。
わたしたちは今やこの対話を、大きく開かれた精神をもって、同時にまた明確な霊的識別を行いながら進めていかなければなりません。このような明確な霊的識別を、まさにこの瞬間に世界がわたしたちに期待しているのは、理由のないことではありません。だからわたしたちは、今日、感謝の心をもって第二バチカン公会議に目を向けるのです。わたしたちが正しい解釈法に導かれながら、公会議を解釈し、実施するなら、公会議は絶えず必要とされる教会の刷新のために、力となることができますし、またいつまでも力となることができるでしょう。
教皇ベネディクト十六世の選出
最後に、おそらくわたしはもう一度、今年の4月19日のことを思い出さなければならないでしょうか。その日、枢機卿団はわたしを選んで、教皇ヨハネ・パウロ二世の後継者、ローマ司教の司教座における聖ペトロの後継者としたのです。それはわたしにとって大きな驚きでした。このような任務は、わたしの召命として想像してきたことをはるかに超えるものでした。ですからわたしは、ただ心から神に信頼することによって、初めてこの選択に対して従順をもって「はい」ということができたのです。そのときと同じく、今も、わたしは皆様にもお祈りくださるようにお願いします。皆様の祈りの力と支えだけが、わたしの頼りだからです。
同時にわたしは、わたしを受け入れてくださり、また、今なお大きな信頼と親切と理解をもってわたしを受け入れ、日々祈りによってわたしを支えてくださっているすべての人に、心から感謝申し上げたいと思います。
降誕祭が間近に迫っています。神なる主は、外的な力をもって歴史の脅威に立ち向かうことはなさいませんでした。わたしたち人間は、この世のありさまを見て、そのような期待をするのですが。神なる主の武器は、いつくしみです。主は馬小屋の中で生まれ、ご自身を幼子の姿で現しました。これこそが、主がその力をもって立ち向かうやり方なのです。それは暴力による破壊的な権力とはまったく異なるものです。まさにこのようなしかたで、主はわたしたちを救うのです。まさにこのようなしかたで、主は、何がわたしたちを救うかを示してくださるのです。
この降誕祭の日々の間、心からの信頼をもって主と出会いにいこうではありませんか。羊飼いたちがしたように。東方から来た賢者たちがしたように。わたしたちを主へと導いてくださるように、マリアに願いましょう。主ご自身にも、み顔をわたしたちに輝かせてくださるように、願いましょう。そしてまた、主が世の暴力を打ち負かし、主のいつくしみを味わわせてくださるように、主に願いましょう。このような気持ちをこめて、わたしは心より皆様すべてに、わたしの使徒的祝福を送ります。
略号
CCL : Corpus Christianorum Series Latina
PG :
Patrogia Graeca
SCh : Sources Chrétiennes