ローマミサ典礼書の新総則


―― 2000年7月発行。英文からの翻訳。 ――
赤字の部分は追加された箇所など)



<目 次>

前文

第1章  感謝の祭儀の重要性と尊厳
第2章  ミサの構造、要素、各部
第3章  ミサにおける務めと奉仕
第4章  ミサの種々の形式
第5章  感謝の祭儀を捧げるための教会堂の配置と装飾
第6章  ミサを捧げるために必要なもの
第7章  ミサおよび各部の選択
第8章  種々の目的のためのミサと祈願、死者のためのミサ
第9章  司教と司教協議会が行うことのできる適応



前文

1 過越の晩餐を弟子達と共に祝い、その中でご自分のからだと血の生贄を制定するため、主キリストは大広間を準備するようお命じになった(ルカ22・12)。教会は、この命令が自分にも与えられたものと常に考え、とうとい感謝の祭儀の執行に関する心構え、儀式、場所、式文について規定してきた。第二バチカン公会議の意向に基づいて定められた現行規則と、ラテン典礼の教会が今後ミサを捧げるときに用いる新しいミサ典礼書とは、教会の熱意、ならびに聖体の神秘に対する信仰と変わらない愛を示すものであるとともに、多くの新しい事柄が導入されたとはいえ、教会の絶え間ない確固たる伝承をあかしするものである。



《変わらない信仰のあかし》


2 ミサが本質的に生贄であることは、教会の全伝承を受け継いだトリエント公会議によって議決されたが、第二バチカン公会議はそれを再び肯定して、ミサについて次のように述べている。「救い主は最後の晩餐で、ご自分のからだと血による感謝の生贄を制定されたが、それは、ご自分が再び来られるまで、諸世紀を通して十字架の生贄を永続させるため、また愛する花嫁である教会に、ご自分の死と復活の記念を託すためであった。」
 このような公会議の教えはミサの式文の中で明らかに示されており、
一般に「レオニアヌム」として知られている古代の秘跡書ですでに明らかにされた、「教会がキリストの死と復活の記念を行う時、救いの力が私達のうちに働きます。」といわれている教義は、各奉献文の中に適切かつ性格に表現されている。すなわち、これらの奉献文の中で、司祭は記念を行い、神の民全員の名において神に対して感謝し、いのちに満ちた、とうとい生贄を捧げる。それは教会の捧げものであり、神がお望みになった生贄であって、司祭は、キリストのからだと血が、全世界に救いをもたらす生贄として御父によって受け入れられるよう祈る。
 こうして、新ミサ典礼書においては、教会の
祈りの法は変わることのない信仰の法にかなっている。すなわち、十字架上の生贄と、ミサにおけるその秘跡的再現は、奉献の仕方を除けば同一のものであることが教えられているのであり、この秘跡的再現は、主キリストが最後の晩餐において制定し、ご自分の記念のために行うよう使徒たちに命じられたのであって、ミサは同時に賛美、感謝、あがない、償いの生贄である。

3 両形態の聖体に主が現存されるという素晴らしい神秘は、トリエント公会議が信じるべきこととして提起したものと同じ意味と同じ文で、第二バチカン公会議および教会の教導権のその他の公文書によって確認されたが、そのことは、ミサの祭儀においては、キリストが実体変化を通して現存することを表す聖別のことば自体によるばかりでなく、感謝の典礼の中で行われる最高の尊敬と礼拝の内容と表現によっても宣言される。同じ理由から、キリストを信じる民は、聖木曜日の主の晩餐とキリストの御聖体の祭日に、この素晴らしい秘跡を特別に礼拝するよう導かれる。

4 奉仕の祭司職は司祭に固有のものであって、司祭はキリストの代理者として生贄を捧げ、神の民の集いを司会するが、この祭司職の本質は、儀式の中で司祭に帰せられる重要な位置と役目から明らかになる。この任務の根拠は、祭司職の制定が記念される聖木曜日の聖香油のミサの叙唱の中で述べられ、はっきりと詳しく説明される。この感謝の祈りの中で、祭司職の権限の授与が按手によって行われることが明らかにされ、新約の大祭司キリストの権能の継続として、祭司職の権限自体が、いろいろな任務を数え上げることによって説明されているからである。

5 しかし、この奉仕の祭司職の本質によって、もう一つの重要な祭司職、すなわち信者の王的祭司職が明らかになる。信者の霊的生贄は、司祭の奉仕を通して唯一の仲介者キリストの生贄と一つに結ばれて完成する。感謝の祭儀は全教会の行為であり、その中で各自は神の民の中における自分の位階に応じて、自分に属することのすべてと、またそれだけを行うからである。その結果、祭儀の要素の中で、諸世紀の流れの間に、時にはなおざりにされたものに注意が向けられるようになった。教会は、キリストの血によって獲得され、主によって集められ、みことばによって養われている神の民であり、全人類家族の祈りを神に向ける使命を受けた民、救いの神秘のために、キリストにおいて感謝しながらその生贄を捧げる民、キリストのからだと血を受けることによって一つに結ばれる民である。この神の民は、その起源において聖であるが、感謝の祭儀に意識的、行動的、効果的に参加することによって、聖性の中に成長し続ける。



《絶えることのない伝承》



6 第二バチカン公会議はミサの式次第改訂の諸規則を定めるにあたって、他の諸事項のほかに、いくつかの儀式を「教父たちの最初の規則」に基づいて復元することを命じた。その際、聖ピオ五世が1570年にトリエント公会議のミサ典礼書を公布するときに発表した使徒憲章「クオ・プリムム」と同じことばが用いられている。このように、ことば自体が一致していることから、二つのミサ典礼書は四世紀の間隔があるとはいえ、同一の伝承を包含していることを指摘することができる。さらに、この伝承の内容を検討するならば、前者が後者によって巧みに完成されていることがわかる。

7 ミサの生贄としての性格、奉仕の祭司職、御聖体の両形態におけるキリストの真の恒常的現存についてのカトリック信仰が危険にさらされた困難な時代に、聖ピオ五世にとっては、不当に攻撃されている伝承を守ることが最大の関心事であり、儀式の変更は最小限に抑えられた。事実、1570年のミサ典礼書は1474年に出版された最初のミサ典礼書と少ししか違わず、しかも後者は、インノチェンス三世時代のミサ典礼書を忠実に写している。なお、バチカン図書館蔵の写本は、表現に関して多少の改訂を導入したが、「古代の権威ある著作者たち」についての調査にあたって、中世の典礼解説書の調査以上のことはできなかった。

8 これに反して今日では、聖ピオ五世のもとでミサ典礼書を改訂した人達が従った「教父たちの規則」は、学者達の無数の著作によって豊かになっている。すなわち、1571年にグレゴリオ秘跡書の第一版が出た後、ローマとミラノの古い秘跡書が批判版によってしばしば刊行され、また、スペインとフランスの古い典礼書の中に、重要な霊的価値のある祈りで、それまで知られていなかった多くのものが見いだされた。
 同様に、典礼の文献が数多く発見されたことによって、東西のそれぞれの典礼様式が作られる前の、古代諸世紀の伝承が知られるようになった。
 さらに教父学の進歩によって、感謝の秘儀についての神学は聖イレネオ、聖アンブロジオ、エルサレムの聖チリロ、聖ヨハネ・クリゾストモなど古代教会の優れた教父たちの教えから光を受けた。

9 したがって「教父たちの規則」は、私達に近い先達たちの伝承を守ることばかりでなく、ヘブライ、ギリシャ、ラテンの諸地域において栄えた互いに大いに異なる生活と文化形態の中で、教会の唯一の信仰が表現されてきた過去のすべての時代と様式を包含して考慮することを要求している。このような広大な視野は、多種多様な祈りと儀式があるにもかかわらず、聖霊が神の民に信仰の不変の遺産を忠実に守らせてくださったことを私達にわからせてくれる。


《新しい事態への適応》


10 新ミサ典礼書は、ローマ教会の祈りの法と近代の教会会議によって伝えられた信仰の遺産とが守られていることを証明するばかりでなく、それ自体が典礼の伝承の中で重要な位置を占めていることを表している。
 第二バチカン公会議の教父たちはトリエント公会議の教義を繰り返して述べているが、まったく違った時代に発言しているので、司牧のことがらに関しては四世紀前にはまったく予測できなかった提言や決議をしているからである。

11 すでにトリエント公会議は、ミサの祭儀の中に教理教育のために有益な多くのことがらが含まれていることを認めたが、そこから実際的な多くの結論を引き出すことはできなかった。事実、感謝の生贄を捧げるにあたって国語の使用が許されるよう多くの人から求められたが、このような要求に対してトリエント公会議は、当時の事情に基づいて,教会の伝統的教えを再度、強調することが義務であると考え、感謝の生贄はまずキリストご自身の行為であるから、その固有の効力は、信者がそれに参加するしかたによって影響されるものではないと教えた。そこで、穏やかな言葉遣いではあるが断固として次のように指令した。「ミサは、信じる民の教育に大いに役立つものを含んでいるが、国語で行うことはよくないと教父たちは判断した。」また、「奉献文の一部と聖別のことばを小声で唱えるローマ教会の儀式は処罰すべきである。ミサは国語のみで行うべきである。」と主張する者は断罪されなければならないと宣言した。しかし、このように、一方でミサにおける国語の使用を禁じておきながら、他方では、そのかわりに教理教育をするよう司牧者に命じて次のように言っている。「キリストの羊たちが飢えることがないよう……聖なる教会会議は人々の世話をする牧者たちと他の人々に次のことを命じる。すなわち、ミサの祭儀の中で、しばしば自ら、あるいは他の人を介して、とりわけ主日と祝日に、ミサの朗読箇所を解説し、またこの最も尊い生贄の神秘について説明すべきである。」

12 教会を、現代における使徒職の要請に適応させるために集まった第二バチカン公会議は、トリエント公会議と同様に典礼の教育的、司牧的性質を深く理解した。
そして現代では、ラテン語で行われる儀式の正当性と効力を否定する者はカトリック信者の中に一人もいないので、次のことを許可することができた。すなわち、「国語の使用はしばしば大いに有益で有り得るので」その使用許可を与えた。こうして各地で始まった国語使用の力強い努力の結果、司教たちと使徒座自身の指導のもとに、民が参加する全典礼祭儀が国語で行われるようになり、祭儀を通して祝われる神秘がより深く理解されることになった。

13 しかし、典礼における国語の使用は重要ではあっても一つの手段なので、そのほかに、祭儀の中に含まれている神秘についての教理教育がより明確に表されるよう、トリエント公会議のいくつかの規定を実行することを第二バチカン公会議は勧告している。これらの規定は、あらゆるところで守られていたとはいえないもので、たとえば主日と祝日に説教すること、祭式の間に指示を与える権限などである。
とくに第二バチカン公会議は、「ミサへのより豊かな参加の方法として、司祭の聖体拝領の後に信者が同じ生贄から主のからだを受けること」を奨励することによって、「信者たちがそれぞれのミサにおいて霊的だけではなく秘跡的拝領によって」、御聖体により豊かにあずかるべきである、というトリエント公会議の教父たちの願いを実行に移すよう励ましている。

14 同じ精神と司牧の熱意から、第二バチカン公会議は両形態による拝領についても、トリエント公会議の規定を新しい観点から見直すことができた。今日ではパンの形態だけによる拝領も完全なものであるという教義を疑う者はいないので、時には両形態による拝領を許可することにした。それは、秘跡のしるしがより明確に表現されることによって、信者が、参加する神秘をより深く理解する特別な機会が与えられるからである。

15 こうして教会は、伝承の遺産である「古いもの」を守ることによって真理の教師としての役目を守るとともに、「新しいもの」を考慮し採用する務めを果たす(マタイ13・52参照)
事実、新ミサ典礼書には現代の必要に応じる教会の祈りとして、とくに他の儀式を伴うミサと種々の機会のミサが記載されているが、これらの祈りでは、伝承と新しい要素とが適切に組み合わされている。したがって、多くの言い回しは教会の古来の伝承に基づき、何度も出版されたミサ典礼書を通して知られているものをそのまま取り入れたが、現代の必要と状況に適応させたものも数多くある。これに反して他の祈り、たとえば教会、使徒、人間活動の聖化、人類共同体、現代特有の必要などのための祈りは、最近の公会議の新しい文献から思想や表現をかりてまったく新しく作られた。
 現代世界の事情に関する同様の考え方に基づいて古来の伝承による文章を用いるにあたって、話自体を現代神学の言葉で語り、今日の教会規則の実情に合うものとするために、文章を多少変更したとしても、貴重な宝を傷つけることにはならないと考えられた。そこで、地上のことがらの評価と使用に関する若干の表現、また他の時代に特有の、ある種の償いの形式に関する表現は変更された。
 このようにしてトリエント公会議の典礼規則の大部分が第二バチカン公会議の規則によって豊かにされ、仕上げられたのであって、それは信者を典礼に近づかせる努力、すなわちこの四世紀の間続けられ、とくに近代、聖ピオ十世とその後継者たちによって行われた熱心な典礼の努力が実を結んだのである。


第1章 感謝の祭儀の重要性と尊厳


16 ミサの祭儀は、キリストの行為であり、位階によって秩序づけられている神の民の行為であって、全教会にとっても、地方教会にとっても、また信者一人ひとりにとっても、キリスト者の生活全体の中心である。実に、ミサの中にキリストにおいて世を聖とされる神の働きの頂点があり、また人々が、聖霊において神の子キリストによって父に捧げる礼拝の頂点がある。さらに、ミサの中では、あがないの諸神秘が一年を周期として思い起こされ、こうしてあがないの諸神秘が、ある意味で現存するものとなる。そして、他の聖なる行為とキリスト者の生活のすべての行いはミサに結ばれ、ミサから流れ出、ミサに向かって秩序づけられている。

17 したがって、ミサ、すなわち主の晩餐の祭儀を秩序だてることによって、それぞれの立場に応じて、これに参加する奉仕者と信者が、期待される実りを豊かに受けることができるようにすることは重大な関心事である。主キリストはこの実りを獲得するために、そのからだと血の感謝の生贄を制定し、それを受難と復活の記念祭儀として、愛する花嫁である教会に委ねられたのである。

18 そのためには、それぞれの
典礼集会の性格や他の事情を考慮に入れた上で、祭儀全体が、信者の意識的、行動的、充実した参加を促すものとなるように整える必要がある。これは心身の参加を意味し、信仰、希望、愛に燃えるものであって、教会が望み、祭儀自体の性格からも求められている参加であり、それに対してキリスト者は、洗礼の秘跡によって権利と義務をもっている。

19 信者の出席と行動的参加は、祭儀の教会的性格を最もよく表明するものであるが、時としてそれが得られない場合があったとしても、感謝の祭儀は常にその効果と尊厳を備えている。それはやはりキリストと教会の行為であって、その中で、
司祭は自らの主要な務めを果たし、常に神の民の救いのために行動するからである。
 
それゆえ、司祭はできるときはいつでも、毎日であっても感謝の奉献を執り行うよう勧められる。 

20 感謝の祭儀は、典礼全体がそうであるように、感覚的なしるしを通して行われ、それによって信仰が養われ、強められ、表現されるのであるから、教会から提示された形態と要素であって、人と場所の状態に照らして行動的な充実した参加を促進し、また、信者の霊的利益に適切に応じることのできるものを選んで調整するよう、よく配慮する必要がある。

21 したがって、この総則は、感謝の祭儀を適切に調整する一般的な筋書きを述べ、各々の祭儀の形式を整える規則を示すことを目的としている。司教協議会は自分の担当する地域のために、『典礼憲章』に基づいて、それぞれの民族、地方、共同体の伝統や特質に沿う規定を定めることが出来る。

22 部分教会において感謝の祭儀は最も重要である。
教区司教は委ねられた部分教会において神の神秘の主要な分配者であるので、典礼生活全体の指導者であり、推進者であり、保護者である。司教が司式して行われる祭儀、とくに司祭団と助祭と会衆の参加を得て司教が執り行う感謝の祭儀のうちに、教会の神秘が表される。そのため、こうした荘厳なミサの祭儀は教区全体の模範とならなければならない。
 それゆえ、司教は司祭と助祭と信徒が儀式と典礼式文の真の意味をいつもより深く理解するよう留意し、こうして彼らは生き生きとした実りのある感謝の祭儀へと導かれるのである。この同じ目的のために、司教は祭儀そのものの品位を高めるよう配慮し、品位を向上させるために聖なる場所や音楽や芸術の美しさが可能な限り発揮されなければならない。

23 さらに、祭儀が典礼の指示や精神により十全に合致し、その司牧上の効果が増すために、この総則とミサの式次第の中で、いくつかの順応と適応が明らかにされている。

24 こうした適応の大部分は、いくつかの儀式や式文の選択、すなわち、歌、朗読、祈願、勧めの言葉、身振りの選択によっている。それらは、必要性と準備の度合いと参加者の特質によりよくこたえることが出来るもので、そのような選択は司式司祭に委ねられている。けれども、司祭は自分が典礼に仕える者であること、また、自分の考えでミサの祭儀に何かを加えたり、取り除いたり、変更したりすることは許されないということを心にとめなければならない。

25 さらに、いくつかの適応はミサ典礼書のそれぞれの箇所に指示されている。こうした適応は、『典礼憲章』によれば、教区司教あるいは司教協議会のそれぞれが行うことができる(以下の387,388‐393を参照)。

26 多様性とより深い適応に関しては、人々と地域の伝統と特質に留意して、『典礼憲章』第40条の精神を必要に応じて導入しなければならず、指針『ローマ典礼とインカルチュレーション』と以下の箇所(395‐399)で述べられていることが守られる。



第2章 ミサの構造、要素、各部



ミサの一般的構造

27 主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、キリストを代理する司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18・20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される。十字架の生贄が続けられるミサの祭儀において、キリストは、その名のもとに集まっている集会の中に、奉仕者の中に、そのことばの中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに本体のまま現存される。

28 ミサは、ある意味で二つの部分から成り立っている。ことばの典礼と感謝の典礼とである。この二つは、一つの礼拝祭儀を構成するほど、互いに緊密に結ばれている。ミサには、神の言葉とキリストのからだの食卓が用意され、信者はそこで教えられ、また養われる。なお、祭儀を開始する開祭と、祭儀を結ぶ閉祭がある。




ミサの種々の要素

《神の言葉の朗読とその説明》


29 聖書が教会で朗読されるときには、神ご自身がその民に語られ、キリストは、ご自身の言葉のうちに現存して福音を告げられる。したがって、神の言葉の朗読は典礼の最も重要な要素であり、一同は尊敬をもってこれを聞かなければならない。聖書朗読による神の言葉は、すべての時代のすべての人に向けられ、すべての人が理解出来るものであるとしても、生き生きとした展開、すなわち、典礼行為の一部である説教によって、いっそう十全な理解とその効果が増大するものである。


《司祭が担当する祈願およびその他の部分》


30 司祭が担当するものの中で、第一の場所を占めているのは感謝の祈り(奉献文)であり、これは祭儀全体の頂点である。次に、諸祈願、すなわち集会祈願、奉納祈願、拝領祈願がある。これらの祈りは、キリストの代理として集会を司る司祭が、聖なる民全体と会衆一同の名によって神に捧げる。それゆえ、「公式祈願」と呼ばれるのである。

31 なお、集会の座長の役割を受け持つ司祭には、儀式の中に定められているいくつかの指示を与える務めがある。
典礼注記で指示されているところで、司式者は参加者の理解力にこたえるためにある程度まで適応を行うことが出来る。しかしながら、司祭は典礼書に示されている導入の意味を守るよう心がけ、それを簡潔な言葉で表現するようにする。神の言葉を告げること、終わりの祝福を授けることも座長である司祭の務めである。さらに、初めのあいさつの後と回心の儀の前に、ごく短い言葉で、その日のミサに、朗読の前には言葉の典礼に、感謝の祈りの間ではなく叙唱の前には感謝の祈りに信者を招くことが許され、また散会の前に、聖なる行為全体の締め括りをすることも出来る。

32 「座長の担当する」部分は、その性格上、明確に大きな声で述べ、一同はこれを注意深く聞く必要がある。したがって、司祭がこれらの祈りを唱えているときには、他の祈りを唱えたり、歌を歌ったりせず、また、オルガンその他の楽器も演奏しない。

33 しかし、司祭は
司式者として、教会と集まった共同体の名において祈りを唱えるが、奉仕の務めを心を込めて敬虔に果たすことが出来るように、自分の名において祈ることもある。このような祈りは、福音朗読の前、供え物の準備のとき、司祭の拝領の前後に示されており、沈黙のうちに行われる。



《祭儀におけるその他の式文》


34 ミサの祭儀は、本性上、「共同体的」性格をもっているので、司式者と信者会衆との間に交わされる対話や応唱などは大きな力をもっている。すなわち、それらは共同の祭儀の外的なしるしであるだけでなく、司祭と会衆との交わりを促し、作り上げるのである。

35 司祭のあいさつや祈願に対する信者の応唱と答唱は、共同体全体の行為を明らかに表現し、育むものとして、あらゆる形態のミサにおいて信者会衆が行うべき行動的参加である。

36 このほか、信者の行動的参加を表し、促すために非常に有益な部分がある。
ともに呼び集められた全会衆の担当するもので、とくに、回心の祈り、信仰宣言、共同祈願、主の祈りである。

37 その他の式文の中には、
1.栄光の賛歌、答唱詩編、アレルヤ唱と福音朗読前の唱句、感謝の賛歌、記念唱、拝領後の歌のように、それ自体独立した儀式、または行為であるものと、
2.入祭の歌、奉納の歌、パンを割るときの歌(平和の賛歌)、拝領の歌のように、ある儀式に伴うものとがある。


《種々の式文の唱え方》


38 司祭、助祭、朗読奉仕者、または一同がはっきりと大きな声で唱える式文は、朗読、祈願、指示、応唱、歌唱など、その式文の性質や、祭儀の形態、祭儀の程度に応じた声で唱える。さらにそれぞれの言語および国民性の特質をも考慮に入れる。
 したがって、典礼注記および以下に述べる規定における「唱える」または「述べる」という言葉は、歌唱においても朗唱においても、上述の原則を守った上で理解しなければならない。


《歌 の 重 要 性》


39 主の再臨を待ち望みつつ一つに集まるキリスト信者は、詩編、賛歌、霊歌をともに歌うように使徒からすすめられている(コロサイ3・16参照)。歌は、心の喜びのしるしであるからである(使徒言行録2・46参照)。いみじくも聖アウグスチヌスは、「歌うのは愛している証拠」と言った。また、古くからの諺にも、「よく歌う人は倍祈ることになる」とある。

40 したがって、国民性やそれぞれの
典礼集会の能力に留意した上で、ミサの祭儀においては、大幅に歌を用いるものとする。本来歌うようになっている式文であっても、たとえば週日のミサでは、必ずしもいつも全部を歌う必要はないが、主日と守るべき祝日に執り行われる祭儀において奉仕者と会衆の歌が全くなくならないように留意しなければならない。
しかし、実際に歌う部分を選ぶ場合には、重要性の大きいものの中からまず選ぶべきである。とりわけ、司祭または
助祭あるいは朗読奉仕者が歌うべきもので、会衆の答唱がこれに伴うもの、もしくは司祭と会衆が同時に歌うべきものから始めるべきである。

41 
グレゴリオ聖歌はローマ典礼に固有な歌として、他に同等のものがあれば首位を占めるべきである。他の種類の教会音楽、とくに多声音楽は、典礼行為の精神に合致し信者全体の参加を促すものである限り、決して排除されない。
各国の信者が集まる機会も日増しに多くなっているので、このような信者が、少なくともミサの通常式文のある部分、とりわけ、信仰宣言と主の祈りを、やさしい旋律を用いてラテン語でともに歌うことが出来ることが望ましい。



《動 作 と 姿 勢》



42 司祭と助祭と奉仕者の動作と姿勢、あるいは、会衆の動作と姿勢は、祭儀全体が優美さと高貴な簡素さによって輝き、祭儀の個々の部分の正しい十全な意味が理解され、全員の参加が育まれるよう努めなければならない。それゆえ、個人の好みや自由裁量に対してよりも、典礼法規とローマ典礼様式の伝統的な実践によって定められたこと、ならびに神の民の霊的共通善に寄与することに対して注意が向けられなければならない。
 すべての参加者が共通の姿勢を守ることは、
典礼に集まったキリスト者の共同体の構成員の一致のしるしである。それは、参加者の心情の表現であり、また心情を育むものだからである。

43 信者は、入祭の歌の始まりから、あるいは司祭が祭壇に向かうときから集会祈願の終わりまで、福音の前のアレルヤ唱のとき、福音の朗読のとき、信仰宣言と共同祈願の間、そして、奉納祈願前の祈りへの招きからミサの終わりまでは立っているものとする。ただし、以下に述べる部分を除く。 座るのは、福音の前の聖書朗読および答唱詩編の間、説教の間、奉納の供え物の準備のときである。また、適当であれば、拝領後の聖なる沈黙の間にも座る。
 
健康上の理由や、場所が狭かったり出席者の数が多かったり、他の重要な理由がない限り、聖別のときには跪くものとする。しかし、聖別のときに跪かない者は、聖別の後に司祭が跪くときに、深くおじぎをしなければならない。
 しかし、
ミサの式次第に記されている動作や姿勢を、法の規定に従って国民性や民族の理にかなった伝統に適応するのは、司教協議会の権限である。ただし、祭儀の各部分の意味と性格にかなったものとなるよう指示すべきである。会衆が、感謝の賛歌が終ってから奉献文の結びまで跪くことを続ける習慣があるところでは、これは尊敬をもって保たれる。
 同じ祭儀において
動作と姿勢の統一を得るために、信者は、典礼書に定められたことに従って助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が祭儀の間に述べる指示をよく聞くことが大切である。

44 司祭が
助祭および奉仕者とともに祭壇に行くこと、助祭が福音を告げる前に朗読福音書や福音書の本を朗読台に運ぶこと、信者が供え物を運んだり拝領のために進み出たりすること、これらの行為や行列は動作のうちに数えられる。このような行為や行列は、固有の歌を歌いながら、それぞれ定められた規定に従って美しく行われるようにする 。


《沈   黙》


45 聖なる沈黙も、祭儀の一部として、守るべきときに守らなければならない。沈黙の性格はそれぞれの祭儀のどこで行われるかによる。回心の祈りのときと祈願への招きの後には各人は自己に心を向ける。聖書朗読または説教の後には、聞いたことを短く黙想する。拝領後には、心の中で神を賛美して祈る。
 祭儀そのものの前にも、教会堂、祭器室とそれに隣接する場所で沈黙を守ることは大変ふさわしい。こうして、敬虔かつ正しい方法で行われるべき聖なることに向けて、すべてが整えられるのである。

ミサの各部

A.開祭

46 言葉の典礼の前に行われる式、すなわち入祭、あいさつ、回心の祈り、憐れみの賛歌、栄光の賛歌、集会祈願は、開始、導入、準備の性格をもっている。
 
これらの目的は、一つに集まった信者が一致するためであり、また神の言葉を正しく聞き、「感謝の祭儀」をふさわしく行うよう自らを整えるためである。
 
典礼書の規定に従ってミサと結びつけられて行われるいくつかの祭儀では、開祭は省かれるか、特別の方法で行われる。


《入   祭》


47 会衆が集まってから、司祭が助祭と奉仕者とともに入堂するとき、入祭の歌が始められる。この歌の目的は、祭儀を開始し、会衆の一致を促し、会衆の思いを典礼季節と祝祭の神秘に導入し、司祭と奉仕者の行列を飾ることにある。

48 入祭の歌は聖歌隊と会衆が交互に、あるいは先唱者と会衆が交互に、あるいは会衆または聖歌隊のみが全部を通して歌う。ローマ聖歌集、あるいは簡易ローマ聖歌集の中にある交唱を、その詩編と合わせて用いることが出来るし、聖なる行為、あるいは日または季節の性格に適した他の歌を用いることが出来るが、その歌詞は司教協議会によって認可されたものでなければならない。
 入祭にあたって歌を歌わない場合には、ミサ典礼書の中にある交唱(入祭唱)を会衆、または信者のうちの幾人か、あるいは朗読者が朗唱する。そうでなければ/FONT>司祭自身が唱える。その場合、初めの勧めの言葉(31)にそれを適応させることが出来る


《祭壇の表敬と会衆へのあいさつ》


49 祭壇の前に着いたら、司祭と助祭と奉仕者は深くおじぎをして祭壇に表敬する。表敬のしるしとして、司祭と助祭は祭壇に接吻する。司祭は、適当であれば十字架と祭壇に献香する。

50 入祭の歌が終ると、司祭は
自席で立ち、会衆全体とともに自分自身に十字架のしるしをする。それから、集まった共同体にあいさつをして、主の現存を示す。このあいさつと会衆の応答は、ともに集まった教会の神秘を表す。
 会衆のあいさつが済んでから、司祭
あるいは助祭、あるいは他の奉仕者は、短い言葉で、信者をその日のミサに招くことが出来る。


《回 心 の 祈 り》


51 その後、司祭は回心の祈りをすすめる。これは、沈黙のための短いひと時の後、共同体全体が一般告白の式文をもって行い、司祭の許しの言葉によって結ばれる。しかし、この言葉は、許しの秘跡の効果をもつものではない。
 主日、とくに復活節の主日は、いつも行っている回心の祈りの代わりに、洗礼を思い起こすために水の祝福と灌水を行うことが出来る。


《あ わ れ み の 賛 歌》


52 回心の祈りの後、あわれみの賛歌が始まる。回心の祈りの中ですでに行われた場合はこの限りではない。この歌は、信者が主に呼びかけて、そのあわれみを願う歌であるから、通常、一同によって、すなわち、この役割をもっている聖歌隊または先唱者と会衆とによって行われる。
 応唱は通常、二回繰り返される。ただし、種々の言語や音楽の性格、あるいはその他の事情から、三回以上繰り返すことが出来る。
あわれみの賛歌が回心の祈りの一部として歌われる場合、個々の応唱の前に「短い句(トロープス)」を入れることが出来る。



《栄 光 の 賛 歌》


53 栄光の賛歌は、きわめて古いとうとぶべき賛歌であって、聖霊のうちに集う教会は、この歌をもって神なる父と小羊を称え、祈るのである。この賛歌の言葉は他の言葉に変えることが出来ない。司祭あるいは適当であれば先唱者か聖歌隊が歌い始めるが、全員が一緒に、あるいは会衆と聖歌隊とが交互に、あるいは聖歌隊が歌う。歌わない場合には、一同が一緒に、もしくは二つに別れて互いに応唱して唱えるべきである
 この賛歌を歌うか、または唱えるのは、待降節、四旬節以外の主日、および祭日と祝日、さらにとくに盛大な祭儀のときである。


《集 会 祈 願》


54 次に司祭は、会衆に祈るようすすめる。そして、一同は、司祭とともにしばらく沈黙する。それは、自分が神のみ前にいることを意識し、自分の願いを思い起こすためである。それから司祭は、「集会祈願」と呼ばれる祈願を唱える。この祈願によって、祭儀の性格が表現される。教会の古くからの伝統に従い、この祈願は、聖霊において、キリストを通して、神なる父に向けられることになっており、以下のような方法で、三位に言及する結び、あるいは長いほうの結びの言葉によって結ばれる。・父に向かう場合…「聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエズス・キリストによって」
・父に向かうがその終わりが子に言及されている場合…「キリストは聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられます」
・子に向かう場合…「聖霊の交わりの中で、あなたは父とともに支配しておられます。世々に到るまで」
 会衆は、嘆願に心を合わせ、「アーメン」という応唱によってこの祈願を自分のものとする。
 ミサでは常に集会祈願一つだけ唱えられる。

B.ことばの典礼

55 ことばの典礼の主要な部分を構成するのは、聖書からとった朗読と、朗読の間にある歌である。説教、信仰宣言、および共同祈願すなわち信者の祈りは、それを展開し、結ぶものである。説教による解説を伴う聖書朗読の中で、神はその民に語られ、あがないと救いの神秘を説き明かし、霊的な糧を与えられるのである。そして、キリストは、ご自身の言葉によって信者の間に現存される。この神の言葉を、会衆は
沈黙と歌によって自分のものとし、信仰宣言によって自己に結合する。また、神の言葉に養われた会衆は、共同祈願によって教会全体の必要と全世界の救いのために祈りを捧げる。


《沈   黙》


56 ことばの典礼は、黙想を助けるように行われなければならない。したがって、内省を妨げるような落ち着きのない行動はいっさい避けなければならない。ことばの典礼では、集まった会衆に合わせて、短い沈黙の一時をとることが望ましい。それによって、聖霊に促され、神の言葉を心で受け止め、祈りをとおして応答を用意することが出来る。この沈黙の一時は、第一朗読と第二朗読の後、また説教が終ってから適宜とることが出来る。



《聖 書 朗 読》


57 聖書朗読において、神の言葉の食卓が信者に備えられ、聖書の宝庫が開かれる。したがって、新旧両約聖書の統一と救いの歴史の統一を明らかにする、聖書朗読の配分が保たれるようにしなければならない。また、神の言葉を含む朗読と答唱詩編を聖書以外の他の文書に代えるべきではない。

58 会衆の参加するミサの祭儀では、朗読は常に朗読台から行われる。

59 伝統によれば、朗読を行う務めは司式者の務めではなく奉仕者の務めである。それゆえ、朗読は朗読者によって行われるべきであるが、福音は助祭あるいは他の司祭によって告げられる。しかし、助祭あるいは他の司祭が不在の場合は、司式司祭自らが福音を朗読する。さらに、ふさわしい他の朗読者が不在の場合は、司式司祭が他の朗読も行う。それぞれの朗読の後に応唱が行われ、集まった人々はそれにこたえて、信仰と感謝の心をもって受け取った神の言葉に誉れを帰する。

60 福音の朗読はことばの典礼の頂点である。
福音の朗読に最大の尊敬をはらうべきことは、典礼自体が教えていることであって、他の朗読にもまして、福音の朗読は特別の栄誉をもって飾られている。福音を告げ知らせるために選任された奉仕者は、福音あるいは祈りによって自らを準備し、信者はキリストが現存され自分に語っておられることを応唱によって認め、公言し、朗読そのものを起立して拝聴するのであり、また、福音書に対しても尊敬のしるしが示されるのである。


《答 唱 詩 編》


61 第一の朗読の後に答唱詩編が続くが、これは、ことばの典礼に欠くことのできない部分であり、典礼の面からも司牧の面からも重要な意義をもっている。それは、答唱詩編が神の言葉の黙想を助けるからである。
詩編は個々の朗読にこたえ、通常は朗読聖書からとらなければならない。答唱詩編は、少なくとも会衆のこたえに関する部分は歌われることがふさわしい。したがって、詩編唱者もしくは詩編の歌唱者は、朗読台あるいは他のふさわしい場所で詩編の節を唱える。会衆全体は座ってそれに耳を傾け、直接に詩編が唱えられる場合、すなわち答唱句なしで唱えられる場合を除いて、むしろ通常は答唱句によって参加する。しかし、会衆が詩編形式の答唱をよりやさしく行うことが出来るように、詩編を歌う場合には、朗読に応答する詩編の代わりに、一年の種々の季節、もしくは聖人の部にある答唱と詩編の詩句を用いることが出来る。詩編が歌われない場合、神の言葉の黙想するのによりふさわしい方法で朗唱する。
朗読聖書に指定された詩編の変わりに、ローマ聖歌集の昇階唱、または簡易ローマ聖歌集の答唱詩編もしくはアレルヤ唱を、それぞれの本の説明に従って歌うことが出来る。


《福音朗読前の応唱》


62 福音の直前に位置する朗読の後には、典礼季節が要求するところに従って、典礼注記によって定められたアレルヤ唱あるいは他の歌が歌われる。このような応唱は、それ自体が独立した儀式、または行為であり、これによって、信者の集会は福音朗読によって自らに語りかける主を迎えてあいさつし、自らの信仰を歌によって表明する。聖歌隊あるいは先唱者が先導して、全員が起立して歌い、場合によっては繰り返すが、唱句は聖歌隊あるいは先唱者によって歌われる。
1.アレルヤ唱は、四旬節以外のすべての季節に歌われる。唱句は、朗読聖書あるいはローマ聖歌集からとる。
2.四旬節には、アレルヤ唱の代わりに朗読聖書に示された福音朗読前の唱句を歌う。ローマ聖歌集の指示に従って、他の詩編あるいは詠唱を歌うことも出来る。


63 福音の前にただ一つの朗読が行われる場合、
1.アレルヤを唱えるべき季節には、アレルヤ詩編、もしくは詩編とアレルヤとその唱句を唱えることが出来る。
2.アレルヤを唱えない季節には、詩編と福音朗読前の唱句、
もしくは詩編だけを唱えることが出来る。
3.アレルヤ唱、または福音朗読前の唱句は、歌わない場合、省略することが出来る。

64 続唱は主の復活と聖霊降臨の日以外は任意で
あり、アレルヤ唱の後に歌う。


《説   教》


65 説教は典礼の一部であって、大いに奨励されている。それは、キリスト者の生活の糧に必要なものだからである。説教は、祝われている神秘や会衆の特別な必要を考慮に入れて行われるべきものであって、朗読された聖書の内容の一面、もしくはその日のミサの通常式文または固有式文の一部の説明となるはずのものである。

66 説教は通常、司式司祭が行う。
もしくは、司式司祭から委ねられた共同司式司祭、あるいは状況によっては助祭によっても行われる。ただし、信徒が行うことは出来ない。特別な事情があり、正当な理由がある場合、説教は祭儀に参加しているが共同司式をすることの出来ない司教もしくは司祭によっても行われる。
 主日と守るべき祝日には、信者の参集のもとに祝われるすべてのミサにおいて、重大な理由がない限り、説教を省くことは出来ない。その他の日にも、とくに待降節、四旬節、復活節の週日に、さらに他の祝日および信者が比較的多く教会に参集する機会に説教がすすめられる。
 
説教の後に、短い沈黙の一時をふさわしく入れるようにする。


《信 仰 宣 言》


67 信条すなわち信仰宣言は、集まった全会衆が聖書からとられた朗読を通して告げられ、説教を通して解説された神の言葉に応答し、典礼で用いるために認可された式文によって信仰の規範を表明して、聖体の祭儀が始められる前に、信仰の偉大な秘儀を思い起こし、固めることを目差している。

68 信条は、主日および祭日に、会衆とともに司祭によって
歌われるか唱えられるべきである。また、より盛大に祝われる特別な祭儀においても唱えることが出来る。
 歌唱される場合には、
司祭あるいは状況によっては先唱者もしくは聖歌隊が歌い始め、全員が一緒に歌うか、あるいは会衆と聖歌隊が交互に歌う。
 歌唱しない場合は、全員が一緒に朗唱するか、あるいは会衆が二つに分かれて交互にこたえて朗唱する。


《共 同 祈 願》


69 共同祈願すなわち信者の祈りにおいて、会衆は信仰のうちに受け入れた神の言葉に何らかの方法で答え、洗礼による自分の祭司職の務めを実行して、すべての人の救いのために神に祈りを捧げる。会衆が参加するミサにおいては、通常この祈りを行って、聖なる教会のため、指導権を託された人々のため、種々の必要に迫られている人々のため、さらにすべての人と全世界の救いのために、嘆願の祈りをすることが望ましい。

70 意向は通常、次の順序で行う。
1.教会の必要のため。
2.国政に携わる人々と全世界の救いのため。
3.困難に悩む人々のため。
4.現地の共同体のため。
ただし、堅信、結婚、葬儀などの特別な祭儀においては、特殊な機会をもっと考慮して意向の順序を決めることが出来る。

71 
自席から祈願を先導するのは司式司祭である。司式司祭自ら、信者を祈りへ招く短い勧めの言葉によって祈願を導き、祈りによって結ぶ。告げられる意向は偏りのないもので、よく考えて自由に、簡潔な言葉で作られ、共同体全体の願いを表明するようにすべきである。通常、意向は朗読台あるいは他のふさわしい場所から、助祭あるいは先唱者、もしくは朗読者か信徒の一人によって告げられる。 会衆は、意向の後に唱える共同の呼唱によって、あるいは沈黙のうちに祈ることによって、祈りが自分のものであることを立って表現する。

C.感謝の典礼

72 最後の晩餐において、キリストは過越の生贄と会食とを制定されたが、主ご自身が行い、そしてご自身の記念として行うよう弟子達に託されたのと同一のことを、司祭が主キリストの代理として行うことにより、十字架の生贄が教会において絶えず現存するものとなる。
 それは、キリストが、パンと杯を取り、感謝を捧げ、割って、弟子に与えて、「取って、食べなさい、飲みなさい。これは私のからだである、これは私の血の杯である。これを私の記念として行いなさい」と仰せになったからである。したがって、教会は感謝の典礼の祭儀全体を、このキリストの言葉と行いに対応するように秩序づけたのである。すなわち、
1.キリストが手に取られたもの、すなわちパンと、ぶどう酒と水が供えものの準備として祭壇に運ばれる。
2.感謝の祈りにおいて、救いのわざ全体に対して神に感謝が捧げられ、捧げものがキリストのからだと血になる。
3.
パンの分割と信者の拝領によって、使徒たちがキリスト自身の手から受けたのと同じように、信者がどれほど多くても、一つのパンから主のからだと血を受ける。



《供 え も の の 準 備》


73 感謝の典礼の初めに、キリストのからだと血になる供えものが祭壇に運ばれる。
 まず、感謝の典礼全体の中心である祭壇、すなわち主の食卓の準備のため、コルポラーレ、プリフィカトリウム、ミサ典礼書、および祭器卓に準備されていないならカリスが祭壇に置かれる。
 次に供えものが運ばれる。信者がパンとぶどう酒を奉納することは、ほむべきことである。司祭あるいは助祭が適当な場所でそれを受け取り、
祭壇に運ぶ。今は昔のように、信者が典礼のためのパンとぶどう酒を自分の家から持って来ないとしても、この儀式は霊的な効力と意味を保っている。
 貧しい人のため、また教会のために信者が持ってくるか、あるいは教会堂内で集めるかした献金または他の捧げものも奉納される。それは、感謝の食卓以外の適当な場所に置かれる。

74 行列して供えものを運ぶ間、奉納の歌が歌われる(37−2参照)。それは、少なくとも供えものが祭壇に置かれる時まで続ける。歌い方についての規定は、入祭の歌と同じである(48参照)。
歌は常に奉納の式と結び付いたものにする。

75 
パンとぶどう酒は、定められた式文を唱えながら司祭が祭壇の上に置く。司祭は祭壇の上に集められた供えものに献香し、それから十字架と祭壇そのものに献香することが出来る。それは、教会の捧げものと祈りとが、香のように神のみ前にまでのぼることを意味するためである。続いて、司祭は自らの聖なる奉仕職のゆえに、また会衆は洗礼による尊厳のゆえに、助祭または他の奉仕者によって献香を受けることが出来る。

76 それから、司祭は
祭壇の脇で手を洗う。この儀式は心の清めの望みを表す。


《奉 納 祈 願》


77 供えものの奉納とそれに伴う儀式が終ると、司祭とともに祈るようにとの招きと奉納祈願によって、供えものの準備が完了し、感謝の祈りの準備が整う。
 
ミサにおいては、奉納祈願は一つだけ唱えられ、短いほうの結びの言葉、すなわち、「私達の主キリストによって」によって結ばれる。終わりが子に言及されている場合は、「キリストは世々に生き、支配しておられます」によって結ぶ。


《感 謝 の 祈 り》


78 ここで祭儀全体の中心であり頂点である感謝の祈り、すなわち感謝と聖別の祈りが始まる。司祭は会衆に、祈りと感謝のうちに心を神に上げるように招き、共同体の名によって、イエス・キリストを通して聖霊において神である父に捧げる祈りの中で、会衆とともに一つになる。この祈りの意義は、信者の集まり全体が自らをキリストに結び合わせて、神の偉大なわざを宣言し、生贄を奉献することにある。

79 感謝の祈りを構成するおもな要素は、次のように区別することが出来る。

1.感謝(とくに叙唱において表現される)…司祭は、聖なる民全体の名によって、神である父の栄光を称え、救いのわざ全体のため、または、日、祝日、季節に従って、それぞれの特別な理由のために感謝を捧げる。
2.応唱…全会衆が天の諸能力に合わせて、感謝の賛歌を
歌う。この応唱は、感謝の祈りそのものの一部をなしており、全会衆が司祭とともに述べる。
3.聖霊の働きを求める祈り(エピクレシス)…この特別な祈りによって、教会は
聖霊の力を願い求め、人々の供えものが聖とされるよう、すなわち、キリストのからだと血になるよう、また、これを拝領することによって、汚れのない生贄が、それにあずかる人々の救いとなるよう祈る。
4.制定の叙述と聖別…キリストの言葉と行いによって生贄が捧げられる。それは、キリストご自身が最後の晩餐において制定されたものであって、パンとぶどう酒の形態のもとに、ご自分のからだと血を捧げ、使徒たちに食べ、飲むよう与えられ、同じ神秘を永続させるよう命令を残されたのである。
5.記念(アナムネシス)…教会は使徒を通して主キリストから受けた命令を実行し、キリスト自身の記念を行い、とくに、その幸いなる受難、栄光ある復活、そして昇天を思い起こす。
6.奉献…この記念の中で、教会、とくに今ここに集まった教会は、聖霊のうちにあって、汚れのない生贄を父に捧げる。しかし教会は、信者が汚れのない生贄を捧げるだけでなく、自分自身を捧げることを学び、キリストを仲介者として、日々神との一致と相互の一致の完成に向かい、ついには神がすべてにおいてすべてとなるようにと意図している。
7.取り次ぎの祈り…この祈りは天上と地上の全教会の交わりの中で感謝の祭儀が行われることを表し、キリストのからだと血によって得られたあがないと救いに参加するよう招かれた教会と、生者と死者を問わず、そのすべての構成員のために、奉献が行われることを表現する。
8.結びの栄唱…神の栄光への賛美が表され、会衆は応唱「アーメン」によってこれを確認して結ぶ。



《交 わ り の 儀》


80 感謝の祭儀は過越の会食であるから、主の命令に従って、主のからだと血は、心の準備の整った信者が霊の食物として拝領する。パンの分割やその他の準備の儀式はこれをめざしており、これらの儀式によって信者は、直接、拝領による交わりへ導かれる。


《主 の 祈 り》


81 主の祈りでは、キリスト信者にとってはとりわけ聖体のパンが暗示されている日々の糧を求め、また、罪から清められるように祈る。それは、聖なるものが聖なる者たちに与えられるように、ということである。司祭は祈りへの招きを述べ、信者は司祭とともに祈りを唱える。それから司祭が一人で副文を付け加え、会衆が栄唱をもってこれを結ぶ。副文は、主の祈りの最後の願いを発展させて、信者の共同体のために、悪の権力からの開放を願う。
 祈りへの招き、祈りそのもの、副文、そして会衆がこれを締め括る栄唱は、歌によるか、あるいは大きな声で唱える。


《平 和 の あ い さ つ》


82 続いて行われる平和のあいさつによって、教会自らと人類家族全体のために平和と一致を願い求め、秘跡を拝領する前に、信者は教会の交わりと愛を互いに表す
 平和の
しるしを伝える方法については、国民性や習慣に従って、司教協議会が定めるものとする。しかしながら、各自が近くにいる人に、個別に平和のしるしを与えることがふさわしい。


《パ ン の 分 割》


83 司祭が御聖体となったパンを分割する。最後の晩餐でキリストが行われたパンを割る動作は、使徒時代には感謝の祭儀全体の名称となり、多くの信者が、一つの生命のパン――それは世の救いのために死んで復活したキリストである――を分かち合うことによって、一つのからだとなることを意味している(一コリント10・17)。パンの分割は平和のあいさつの後に始められ、ふさわしい尊敬をもって行われるが、不必要に長引かせたり、過度に重要性を強調するべきではない。この式は司祭と助祭に保留される。
 司祭がパンを割って、その一部をカリスの中に入れる間に、通常、平和の賛歌
による呼びかけが聖歌隊あるいは先唱隊あるいは先唱者によって歌われるか、少なくとも大きな声で唱えられ、会衆はこれに応答する。この呼びかけパンの分割に伴って行われる。そのため、この式が終るまで必要なだけ繰り返すことが出来る。最後の回は、「われらに平安を与えたまえ」の言葉で結ぶ。


《拝   領》


84 司祭は、キリストのからだと血を実り豊かに受けるために、沈黙のうちに祈り、自らを整える。信者も同様、沈黙のうちに祈りながら準備する。
 次に司祭は、
パテナあるいはカリスの上で御聖体のパンを信者に示し、信者をキリストの会食に招き、定められた福音の言葉を用いて、信者とともに謙虚な信仰心を起こす。

85 
司祭自身に義務づけられているのと同じように、信者が、そのミサで聖別されたパンから主のからだを拝領し、許容される場合は杯にもあずかることは、非常に望ましいことである(283参照)。それは、拝領による交わりが、現に捧げられている生贄への参加であることが、しるしによっても表現されるからである。

86 
司祭が秘跡を拝領している間に、拝領の歌が始まる。それは、拝領者の霊的一致を声の一致で表現し、心の喜びを示し、聖体を受けに行く行列の「共同体的な」特徴をより際立たせるためである。歌は、信者に秘跡が配られている間、続けられる。しかし、拝領の後に賛歌がある場合には、拝領の歌は適当なときに打ち切る。
 先唱者も適宜拝領することが出来るよう配慮する。

87 
拝領の歌のために、ローマ聖歌集の交唱を詩編をつけて、または詩編なしに用いることが出来る。もしくは、簡易ローマ聖歌集の交唱を詩編をつけて用いるか、あるいは司教協議会によって認可された他の適当な歌を用いることが出来る。聖歌隊だけ、または聖歌隊もしくは先唱者と会衆とによって歌われる。
 歌われない場合には、ミサ典礼書にある交唱(拝領唱)が、信者によって、または、その幾人かによって、あるいは朗読者によって朗唱される。そうでなければ、司祭自身が、拝領してから信者にキリストのからだを授与する前に唱える。

88 拝領が終ってから、司祭と信者は、適宜、しばらくの間沈黙のうちに祈る。望むならば、賛歌、詩編あるいは他の賛美の歌を、全会衆で歌うことも出来る。

89 神の民の祈願を締め括るため、また交わりの儀全体を締め括るために、司祭は拝領後の祈願を唱え、祝われた神秘の実りを祈り求める。
 ミサにおいては、拝領後の祈願は一つだけ唱えられ、短いほうの結びの言葉で結ばれる。
・父に向かう場合「私達の主キリストによって」。
・父に向かうがその終わりが子に言及されている場合「キリストは世々に生き、支配しておられます」。
・子に向かう場合「あなたは世々に生き、支配しておられます」。
 会衆は「アーメン」の応唱によって祈願を自分のものとする。


D.閉  祭

90 
閉祭には以下のことが含まれる。
1.必要に応じて行われる短いお知らせ。

2.司祭のあいさつと祝福。一定の日や場所によっては、会衆のための祈願、あるいは他の、より盛儀の式文によって豊かなものとしたり、表現したりする。
3.助祭あるいは司祭による会衆の解散。
4.司祭と助祭による祭壇への接吻。続いて、司祭、助祭、他の奉仕者による祭壇への深いおじぎ。



第3章 ミサにおける務めと奉仕


91 感謝の祭儀はキリストと教会の行為であり、聖なる人々が司教のもとに一つに統合された「一致の秘跡」である。そのため、感謝の祭儀は教会のからだ全体にかかわるものであり、このからだを表し、これに働きかける。つまり、その個々の成員に、序列、役割、現実の参加の違いによって、それぞれ異なったしかたで関係する。こうして、キリストを信じる人々は、「選ばれた民族、王の祭司、聖なる民、獲得された民」として、そのつながりと位階的序列を示すのである。それゆえ、すべての人は、奉仕者であっても信徒であっても、自らが果たす役割や務めによって、自分に属することのみを、そしてそのすべてを行わなければならない。

・.聖なる位階の務め

92 合法的な感謝の祭儀はすべて、司教の指導のもとにおかれ、司教は自ら、あるいは、その協力者である司祭を通して指導する。
 会衆が集まり、司教がミサに臨席する場合、
司教自らが感謝の祭儀を司式し、共同司式者として司祭たちが聖なる行為において司教に協力することが最もふさわしい。このことは、儀式の外的な荘厳さを増すためではなく、一致の秘跡である教会の神秘を、より生き生きと表すためである。
 司教が感謝の祭儀を司式しないで他の者にこれを行うよう委任する場合、司教は
胸掛十字架をつけ、アルバの上にストラとプルヴィアーレを着用して、ことばの典礼を司会し、ミサの終わりに祝福を与える。

93 
教会において、キリストの代理として生贄を捧げる権能を有する司祭も、信者の集会を司会し、その祈りを指導し、救いの知らせを宣言し、キリストによって、聖霊において、神である父に生贄を奉献するにあたって、会衆とともに一つになり、兄弟たちに永遠の命のパンを与え、それを分かち合う。したがって、感謝の祭儀を行う時、神と会衆に品位と謙虚さをもって奉仕し、動作と神の言葉を述べる態度とによって、キリストの生き生きとした現存を信者にわからせなければならない。

94 
司祭に次いで、受けた叙階の力によって、助祭は感謝の祭儀で奉仕する人々の中で、首位を占める。助祭職という聖なる位階には、すでに使徒の時代から教会において大きな栄誉が与えられていた。助祭は、ミサにおいて固有の役割をもっていて、福音を告げ知らせ、神の言葉を説教し、共同祈願において意向を告げ知らせ、司祭を助け、祭壇を準備し奉献の祭儀に仕え、信者への聖体の授与、とりわけぶどう酒の形態の授与を行い、時としては人々の動作と姿勢を指示する。

・.神の民の奉仕職

95 ミサの祭儀において、信者は聖なる民、獲得された民、王の祭司となって、神に感謝を捧げ、また司祭の手を通してばかりでなく、司祭とともに汚れのない生贄を捧げ、そして自分自身を捧げるように努める。それゆえ信者は、深い宗教的感情によって、また同じ祭儀に参加している兄弟に対する愛によって、それを表すように配慮しなければならない。
 したがって、天にただ一人の父を持っていること、またそれゆえに、皆が互いに兄弟であることを念頭において、孤立や差別を印象付けることはいっさい避けなければならない。 96 神の言葉を聞く時にも、祈願や歌を分担するときにも、特に生贄をともに捧げる時にも、主の食卓にともにあずかる時にも、皆が一つのからだを形成するように心がける。この一致は、信者がそろってする動作や姿勢によって、美しく表現される。

97 信者は、祭儀において何かの特別な
奉仕職や役割を果たすよう依頼されるとき、神の民に喜んで仕えることを断ってはならない。 ・.特別な奉仕職



《選任された祭壇奉仕者と朗読奉仕者の奉仕職》



98 祭壇奉仕者は、祭壇での奉仕と、司祭および助祭を助けるために選任される。祭壇奉仕者には、とくに祭壇と祭器の準備をすること、必要な時に聖体奉仕者として聖体を信者に授けることが委ねられる。
 
祭壇での奉仕職では、祭壇奉仕者が固有の任務をもち(187‐193参照)。祭壇奉仕者自らが果たさなければならない。

99 朗読奉仕者は、福音を除き、聖書を朗読するために選任される。また、共同祈願の意向を述べ、詩編唱者がいない時には、朗読の間に詩編を唱えることが出来る。
 朗読奉仕者は、感謝の祭儀において固有の役割をもっている(194‐198)。この役割は、
叙階された奉仕者がいる場合にも、朗読奉仕者自らが果たさなければならない。


《そ の 他 の 役 割》


100  祭壇奉仕者が不在の場合、祭壇で奉仕し、司祭と助祭を助けるために信徒の奉仕者を任命することが出来る。この者は、十字架、蝋燭、香炉、パン、ぶどう酒、水を運び、聖体奉仕者として御聖体を配ることが出来る。

101  朗読奉仕者が不在の場合、聖書の朗読を行うために他の信徒が任命される。この者は、この役割を果たすのに真にふさわしい者で、十分に準備されなければならない。こうして、信者は神の言葉を聞くことによって、聖書に対するあたたかな生き生きとした愛情を心に抱くことが出来る。

102  朗読の間にある詩編、または聖書賛歌を朗唱することは詩編唱者の務めである。その務めを正しく果たすために、詩編唱者は、詩編朗唱の技術と正しく発音して唱える能力を備えていなけれならない。

103  信者の中にあって、聖歌隊あるいは合唱団は自己の典礼的な役割を果たす。その務めは、歌の種類に従って、自分の担当する部分を正しく歌うことと、歌による信者の行動的参加を促進することである。聖歌隊について述べられることは、守るべきことを守った上で他の演奏者、とくにオルガン奏者についてもあてはまる。

104  会衆の歌を指揮し、支えるために、先唱者または合唱指揮者がいるとよい。そればかりでなく、聖歌隊がない場合には、会衆の参加を得て種々の歌を指導するのは、先唱者の務めである。


105  
さらに典礼において果たす務めには次のようなものがある。
1.祭器室係…ミサの祭儀に必要な典礼書、祭服、その他のものを正しく整える。

2.解説者…信者を祭儀に導き、よりよく理解させるために、信者に
適宜、短く指示や説明を与える。
解説者の注意は正確で、簡潔明瞭でなければならない。その役割を果たすに際して、解説者は信者に、向かって適当な場所に立つ
が、朗読台には立たない
3.聖堂で献金を集める者。

4.案内係…他方によっては、教会の入り口で信者を迎え、適当な席に案内し、また行列を整理する。


106  
少なくとも司教座教会と大きな教会においては、聖なる儀式を適切に指揮し、また奉仕者によって美しく、秩序正しく、そして信心深く行われるように配慮するふさわしい奉仕者もしくは式典係が任命されることが望ましい。

107  典礼における役割は司祭や助祭に固有のものではなく、上記の役割(100‐106)については、主任司祭や教会主管者司祭によって選ばれたふさわしい信徒にも、典礼で行われる祝福あるいは一時的な任命によって委ねることが出来る。祭壇で司祭に仕える役割に関しては、自教区のために司教によって定められた規定が守られる。


役割の分担と祭儀の準備


108  同一の司祭が、自分に関係するすべてのことにおいて、常に主司式の役割を果たさなければならない。ただし、司教が臨席するミサに固有の事柄は除く(92参照)。


109  同じ役務を果たすことが出来る者が多数いる場合、同じ役務
や務めの種々の分を分担して果たすことはなんら差し支えない。たとえば、歌う部分のために一人の助祭を、そして祭壇の奉仕のために別の助祭を起用することが出来る。また、多くの朗読が行われる場合、多くの朗読者に割り当てるのがよい。他の事柄に関しても同様である。ただし、祭儀のただ一つの要素を複数の人が互いに分け合うことは決してふさわしくない。たとえば、主の受難についての朗読のほかに、同一の朗読が二人の人によって、二つに分けて朗読されることがあげられる。

110  会衆の参加のもとに行われるミサにおいて、奉仕者がただ一人しかいない場合、一人で種々の役割を果たすことが出来る。

111  それぞれの典礼的祭儀の効果的準備は、教会責任者の指導のもとに、直接信者に関係することについては信者の意見を聞いて、儀式、司牧上の事柄、音楽について、関係のあるすべての者が
典礼書に基づいて互いに心を合わせて誠実に行わなければならない。しかし、祭儀に同席する司祭は、自分に果たすことが出来ることに関して指示を与える権利を常にもっている。


第4章 ミサの種々の形式



112  地方教会においては、司教が司式し、その司祭団と助祭と信徒の奉仕者がこれを囲み、神の聖なる民が十分に行動的にこれに参加するミサは、その意味の上から第一位におかれる。そこでは教会がもっともよく表明されるからである。
 
司教が司式するミサにおいて、あるいは感謝の祭儀は司式しないが司教が臨席する時、『司教儀典書』に見られる規定に従う。

113  ある共同体、とくに小教区共同体とともに行われるミサは、一定の時と場所において、とくに主日の共同体的祭儀において、普遍教会を表現するものとして、重要な位置を占めている。

114  ある共同体によって行われるミサのうち、それが日々の政務の一部となっている修道院ミサ、または「共同体」のミサは、特別な位置にある。修道院ミサは、なんら特別な執行形式をもつものではないが、修道者にしろ、聖務者その共同体のすべての会員の充実した参加を得て、歌唱によって行われるのがふさわしい。それゆえ、そこでは、各人が受けた叙階、または役務に従って自分の務めを果たすものとする。そのミサにおいては、すべての司祭は、信者の司牧的な利益のため個別にミサを捧げる必要がない場合、できるだけ共同司式することが望ましい。なお、その共同体に属するすべての司祭は、信者の司牧上の善のために個別にミサを捧げなければならない場合にも、同じ日に修道院ミサ、あるいは「共同体」のミサを共同司式することが出来る。
さらに、感謝の祭儀に同席する司祭は、正当な理由がある場合を除き、通常は位階に固有の役割を果たし、そのため、祭服を着用して共同司式をしているように参加しなければならない。

・.会衆の参加するミサ

115  会衆の参加するミサとは、信者の参加を得て祝われるミサをいう。できる限り、とくに主日と守るべき祝日には、歌をもって、また適当な数の奉仕者をもって祭儀が行われるのがふさわしい。ただし、歌なしでも、また奉仕者が一人でも行うことが出来る。

116  
どのような形式のミサであっても、助祭が出席するなら、自分の務めを果たす。司式司祭のほかに、通常は祭壇奉仕者、朗読奉仕者、先唱者がいることが望ましい。なお、以下に述べる儀式は、より多数の奉仕者を用いる自由を考慮に入れている。



《準備すべきこと》


117  祭壇は少なくとも一枚の白い色の食卓布で覆われる。祭壇上もしくは祭壇の近くに、すべての祭儀において少なくとも二本、あるいは四本もしくは六本、とりわけ主日のミサや、守るべき祝日の場合、またはその教区の司教が司式する場合には七本、火をともした蝋燭を立てるものとする。なお、祭壇上あるいは祭壇の近くに、十字架に磔られたキリスト像のついた十字架を置く。蝋燭台と十字架に磔られたキリスト像で飾られた十字架は、入堂の行列の際に奉持することが出来る。他の朗読書とは別冊の朗読福音書は、入堂の行列に際して奉持されない場合、祭壇上に置くことが出来る。

118  同様に次のものを準備する。
1.司祭の席の近くにミサ典礼書、および適当であれば聖歌集。
2.朗読台に朗読書。
3.祭器卓にカリス、コルポラーレ、プリフィカトリウム、そして適当であればパラ、パテナ、そして必要ならば、いくつかのピクシス、
同席する司祭と助祭と奉仕者と会衆の拝領のためのパン、ぶどう酒と水の入った小びん(ただし、これらすべてが奉納行列で信者によって運ばれない場合)、灌水を行うなら聖水の入った容器、信者の拝領のために用いる受け皿、手を清めるために必要なもの。
 カリスは
尊敬をこめてベールで覆っておくが、ベールはその日の典礼色か白色を用いることが出来る。

119  祭器室には、祭儀の種々の形式に従って、司祭と
助祭と他の奉仕者の祭服を準備する(337‐341参照)。
1.司祭のため…アルバ、ストラ、
カズラもしくはプラネタ。
2.助祭のため…アルバ、ストラおよびダルマチカ。ただし、ダルマチカは必要に応じて、あるいは盛儀の祭儀でない場合には、省くことが出来る。
3.他の奉仕者のため…アルバあるいは正式に承認された他の祭服。
アルバを着用する者はすべて、チングルムとアミクトゥスを使用する。ただし、
アルバの形によってはこの限りではない。
入堂の行列が行われる時は、さらに次のものを準備する。朗読福音書、主日と祝日に献香が行われる時は香炉と香の入った香入れ、行列の時に運ぶ行列、火をともした蝋燭をつけた蝋燭台。

A.助祭のいないミサ



《開   祭》


120  会衆が集まると、祭服を着用した司祭と奉仕者は、行列して祭壇に行く。行列の順序は次のとおりである。
1.香が用いられる場合、
香が焚かれている香炉を持った香炉係。
2.
火をともした蝋燭を奉持した奉仕者と、その間に十字架を奉持した祭壇奉仕者もしくは他の奉仕者。
3.祭壇奉仕者とその他の奉仕者。
4.朗読者…
朗読聖書ではなく朗読福音書を少し高く掲げて運ぶことが出来る。
5.ミサを司式する司祭。
香を用いる場合、司祭は行列が始まる前に香炉に香を入れ、
沈黙のうちに十字架のしるしをして祝福する

121  祭壇に向かう行列の間、入祭の歌が歌われる(47,48参照)。

122  祭壇に到着すると、司祭と奉仕者は深く
おじぎをする。
 行列の際に奉持された、十字架に磔られたキリスト像のついた十字架は
、祭壇の近くに立てることが出来る。奉仕者が奉持した蝋燭台は、祭壇の近く、または祭器卓に置く。福音書は祭壇上に置く。



123  司祭は祭壇にのぼり、接吻をもって表敬する。次に、適当であれば、十字架と祭壇を回りながら献香する。

124  これが終ると、司祭は席に行く。入祭の歌が終ると、司祭と信者は皆立ったままで、十字架のしるしをする。司祭は「父と子と聖霊のみ名によって」と唱え、会衆は「アーメン」と答える。それから司祭は、会衆に向かって手を広げ、定められた式文の一つを用いて、あいさつする。なお、司祭あるいは他の奉仕者が、簡単な言葉で、その日のミサを信者に説明することも出来る。

125  回心の祈りの後、典礼注記に従って(52参照)、あわれみの賛歌を歌うか唱える。

126  定められている場合、栄光の賛歌を歌うか唱える(53参照)。


127  それから司祭は、会衆を祈りへ招く。手を合わせて「祈りましょう」と唱える。一同は、司祭とともにしばらく沈黙のうちに祈る。続いて司祭は、手を広げて集会祈願を唱える。終ると会衆は「アーメン」と応唱する。



《こ と ば の 典 礼》



128  集会祈願が終ると一同は着席する。司祭は非常に短い言葉で、信者をことばの典礼に招くことが出来る。朗読者は朗読台へ行き、すでにミサの前にそこに置かれていた朗読聖書から第一朗読を行う。一同は座って聞く。終わりに朗読者は「主のみ言葉」と呼びかけ、一同は「神に感謝」とこたえる。ここで適当であれば短い沈黙のひとときを取ることが出来る。こうして一同は聞いたことを黙想することが出来る。

129  朗読が終ると詩編唱者あるいは朗読者自身が詩編を唱え、
通常、会衆は答唱する。

130  福音の前に第二朗読がある場合、朗読者は朗読台
から朗読を行う。上記のように(128参照)一同はそれを聞き、終わりに応唱によってこたえる。それから、適当であれば、短い沈黙のひとときを取ることが出来る

131  
一同は起立し、典礼季節に従ってアレルヤ唱あるいは他の歌を歌う(62‐64参照)。

132  香を用いる場合には、アレルヤ唱あるいは他の歌が歌われる間に、司祭は香を入れ、
祝福する。その後、手を合わせて祭壇の前で深くおじぎをし、「主の福音をふさわしく……」を沈黙のうちに祈る。

133  それから、
朗読福音書が祭壇にあれば司祭はそれを取り、信徒の奉仕者を先頭に、朗読福音書を少し高く掲げて朗読台にのぼる。奉仕者は香炉と蝋燭を持って行くことも出来る。奉仕者は立ったまま朗読台の方を向き、キリストの福音に対する特別な尊敬を表す

134  司祭は朗読台で福音書を開き、
両手を合わせ、「主は皆さんとともに」と唱える。会衆は「また司祭とともに」とこたえる。それから「〇〇〇による福音」と唱え、親指で福音書と自分の額、口、胸に十字架のしるしをする。他のすべての者も同じようにする。会衆は「主に栄光」と言って叫ぶ。香を用いる場合、司祭は本に献香する(277,278参照)。続いて福音を告げ知らせ、終わりに「主のみ言葉」と呼びかけ、一同は「キリストに賛美」とこたえる。司祭は本に接吻して、「主のみ言葉によって」と沈黙のうちに祈る。

135  朗読者がいない場合、司祭は自らすべての朗読を行い、朗読台に立って
詩編を唱える。香が用いられる場合、香を入れて祝福し深く頭を下げて「主の福音をふさわしく……」と祈る。

136  司祭は座席あるいは朗読台、あるいは適当であれば他のふさわしい場所に立って、説教を行う。終わりに沈黙を取ることが出来る。

137  信条は、司祭が会衆とともに
全員立って歌うか唱える(68参照)。「御からだを受け……」の言葉で、一同は深く頭を下げる。ただし、神のお告げの祭日と主の降誕の祭日には、跪く。

138  信条を唱え終わると、司祭は座席で立ち、両手を合わせ、短い勧めの言葉によって信者を共同祈願に招く。続いて、助祭あるいは先唱者か朗読者か他の者が、朗読台もしくは他のふさわしい場所から会衆に向かって意向を唱える。会衆は自らの役割を果たすために尊敬をこめてこたえる。最後に、司祭は両手を広げ、祈りによって嘆願の祈りを結ぶ。


《感 謝 の 典 礼》


139  共同祈願が終ると一同は着席し、供え物の行列が行われるなら、奉納の歌を歌い始める(74参照)。
 
祭壇奉仕者あるいは他の信徒の奉仕者はコルポラーレ、プリフィカトリウム、カリス、パラ、ミサ典礼書を祭壇に置く。

140  信者が、感謝の祭儀のためのパンとぶどう酒、あるいは、教会の維持と貧しい人々を助けるための他の捧げものを奉納することによって、参加を表すことが望ましい。
 信者の奉納品は、
祭壇奉仕者あるいは他の奉仕者の助けを得て司祭が受け取る。感謝の祭儀のためのパンとぶどう酒は司式者のもとに運ばれる。司式者はパンとぶどう酒を祭壇の上に置くが、他の供え物は別のふさわしい場所に置かれる(73参照)。

141  司祭は祭壇でパンを載せたパテナを受け取り、両手でそれを祭壇の上に奉持して、
「神よ、あなたは万物の造り主……」と沈黙のうちに唱える。それから、パンを載せたパテナをコルポラーレの上に置く。

142  その後、
司祭は祭壇の脇に立って奉仕者から小びんを受け取り、「この水とぶどう酒の……」と沈黙のうちに唱えながらぶどう酒と少量の水をカリスに注ぐ。祭壇の中央に戻り、カリスを取って両手で奉持し、「神よ、あなたは万物の造り主……」と小声で唱える。それから、カリスをコルポラーレの上に置き、場合によってはパラで覆う。
 
奉納の歌が歌われない場合、あるいはオルガンの演奏が行われない場合は、パンとぶどう酒を示す時、司祭は祝福の定句を声に出して唱えることが出来る。会衆は「神よ、あなたは万物の造り主……」と応唱する

143  カリスを祭壇の
上に置いてから、司祭は深く頭を下げ、「神よ、悔い改める私達を……」を沈黙のうちに祈る。

144  続いて、香を用いる場合、司祭は香を香炉に入れ、供え物と十字架と祭壇に献香する。奉仕者は祭壇の脇に立って司祭に献香し、続いて会衆に献香する。

145  「神よ、悔い改める私達を……」の祈りの後、あるいは献香の後、司祭は
「神よ、私の汚れを……」を沈黙のうちに唱え、祭壇の脇で手を洗う。奉仕者が水を注ぐ。

146  それから、祭壇の中央に戻り、
司祭は会衆に向かって立ち、手を広げてから合掌し、「皆さん、この捧げものを……」と唱えて会衆を祈りに招く。会衆は立って「神の栄光と賛美のため……」と答唱する。続いて、司祭は両手を広げて供え物の上に奉納祈願を唱える。終わりに会衆は「アーメン」と応唱する。

147  その後、司祭は感謝の祈りを始める。典礼注記に従って、司祭はローマ・ミサ典礼書にある感謝の祈り、あるいは使徒座によって認証された感謝の祈りから一つを選ぶ。感謝の祈りは本来、叙階の効力により、司祭だけがそれを唱えることが求められる。会衆は信仰をもって沈黙のうちに、また感謝の祈りの中に挿入された定められた方法で、司祭に自分自身を合わせる。それらは、叙唱の対話句、感謝の賛歌、聖別後の応唱、結びの栄唱後の「アーメン」、さらに、司教協議会によって認可され使徒座が認証した他の応唱である。
 感謝の祈りの旋律のついた部分を司祭が歌唱して唱えることは、大変ふさわしい。

148  感謝の祈りの初めに、司祭は手を広げて「主は皆さんとともに」と歌うか唱え、会衆は「また司祭とともに」と答える。「心を上に」と唱える時、司祭は手を上にあげる。会衆は「主に向けています」と答える。司祭は手を広げて「私達の神である主に感謝しましょう」と続ける。会衆は「それはよいこと、正しいことです」と答える。その後、司祭は手を広げて叙唱を続ける。その結びで手を合わせ、立っている一同とともに「感謝の賛歌」を歌うかはっきりとした声で唱える。(79.2参照)。

149  それぞれの奉献文に記されている典礼注記に従って、司祭は感謝の祈りを続ける。
 司式者が司教である場合には、感謝の祈りの「私達の教皇〇〇〇〇」の後に「しもべわたくし」と付け加える。あるいは「私たちの教皇〇〇〇〇」のあとに「取るに足りないこのわたくし」と付け加える。司教が自教区以外のところで司式する場合には、「私達の教皇〇〇〇〇」のあとに「しもべわたくしと〇〇教区の兄弟〇〇〇〇」と付け加える。
 教区司教あるいは法律上彼と同等とされる者は、「私達の教皇〇〇〇〇、私達の司教(あるいは代理区長、高位区長、知牧区長、大修道院長)〇〇〇〇」と告げられなければならない。
 協働司教、あるいは補佐司教の名前を感謝の祈りに加えることが出来るが、偶然同席している他の司教の名前は加えない。多数の場合には「私達の司教〇〇〇〇と補佐司教」と言う。
 これらの言葉は、それぞれの奉献文の文体に合わせるようにする。


150  聖別の少し前に、適当であれば、奉仕者は小鐘を鳴らして信者の注意を喚起する。同じく地方の習慣に従って、それぞれ、パンとカリスが会衆に示された時に小鐘を鳴らす。
 
香を使用する場合、聖別の後、会衆にホスチアとカリスを示す時に奉仕者が献香する。

151  聖別の後、司祭は「信仰の神秘」と言い、会衆は定められた言葉のうちの一つを用いて応唱する。
 感謝の祈りの結びで、司祭はホスチアを乗せたパテナとカリスを取って高く掲げ、司祭のみが栄唱「キリストによって」を唱える。会衆は最後に「アーメン」と応唱する。続いて、司祭はパテナとカリスをコルポラーレの上に置く。



152  感謝の祈りが終ると、司祭は手を合わせて、主の祈りの前の招きを述べる。主の祈りは、手を広げて会衆とともに唱える。

153  主の祈りを終ると、司祭は一人で手を広げて、副文「慈しみ深い父よ、すべての悪から……」を唱える。終わりに会衆は「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」と応唱する。

154  それから司祭は
手を広げ、大きな声で「主イエス・キリスト、あなたは……」を唱える。終ると司祭は手を広げ、そして手を合わせて会衆に向かい、「主の平和がいつも皆さんとともに」と平和のあいさつをする。会衆は「また司祭とともに」と答える。その後適当であれば、司祭は「互いに平和のあいさつをかわしましょう」を加える。
 
司祭は奉仕者に平和のあいさつをすることが出来るが、常に司祭席域にとどまり、祭儀を中断しないようにする。正当な理由から幾人かの信者に平和のあいさつをしようとする場合も同様である。司教協議会の決定に従って、一同は平和、親交、愛を互いに表明する。平和のあいさつをする時、「主の平和があなたとともにと言い、「アーメン」と答えることが出来る。

155  その後、司祭はパンを取り、パテナの上で割り、小片をカリスの中に入れて「今ここに……」を沈黙のうちに祈る。その間に聖歌隊と会衆は平和の賛歌を歌うか、または唱える(83参照)。

156  次に、司祭は沈黙のうちに
手を広げ、「神の子、主イエス・キリスト……」または「主イエス・キリスト……」と拝領前の祈りを唱える

157  祈りが終ると、司祭は跪き、パテナ
あるいはカリスに添えてホスチアを奉持し、会衆に向かって「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と唱える。そして、会衆とともに「主よ、あなたは神の子キリスト……」を一度唱える。

158  続いて、司祭は祭壇に向かって立ち、「キリストの御からだが……」を沈黙のうちに祈り、恭しく拝領する。次にカリスを取って、「キリストの御血が……」を沈黙のうちに祈り、恭しく拝領する。

159  司祭が秘跡を拝領する間に、拝領の歌を始める(86参照)。

160  それから、
司祭はパテナまたはピクシスを取って、通常は行列をして近づく拝領者のもとに向かう。
 
信者が聖別されたパンやカリスを自ら手に取ること、ましてそれらを互いに手で渡すことは許されない。信者は司教協議会の決定に従って、跪くか立って拝領する。立って拝領する場合、決定された規則に従って、秘跡を受ける前にふさわしい尊敬を表すよう勧められる。

161  パンだけの拝領であれば、
司祭はパンを取り上げて一人ひとりに示し、「キリストのからだ」と言う。拝領者は「アーメン」と答え、口で、あるいは許可されている場合は手で秘跡を受ける。拝領者はホスチアを受けるとすぐにすべてを食べる。
 両形態の拝領には、後述する規定を守る(284‐287参照)。

162  パンを配るとき、そこに居合わせた他の司祭が司式者を助けることができる。このような司祭が同席せず、拝領者の数が非常に多い場合には、司祭は自分を助けるよう臨時の奉仕者を、正しく選任された祭壇奉仕者もしくはこのことのために正しく任命された他の信者にも命じることが出来る。必要なら、司祭はふさわしい信者を臨時に任命することが出来る。
 これらの奉仕者は司祭が拝領する前に祭壇に近づくことは出来ない。そして、信者に配るために両方の形態の御聖体を入れた祭器を司式司祭の手から渡される。


163  聖体の授与が終わり、
ぶどう酒が残った場合は、祭壇ですぐにそのすべてを飲む。聖別されたホスチアが残った場合は、祭壇でそれを食べるか御聖体を保存するために定められた場所に運ぶ。
 司祭は祭壇に戻り、パンのかけらがあればそれを集め、それから祭壇の脇あるいは祭器卓のところに立って、カリスの上でパテナまたはピクシスをふき、次に「口に受けたものを……」と沈黙のうちに祈りながらカリスをすすぎ、プリフィカトリウムでカリスをふく。祭器が祭壇ですすがれた場合は、奉仕者が祭器卓へ運ぶ。すすぐべき祭器がとくに多数ある場合には、適当に覆って、祭壇または祭器卓のコルポラーレの上に残しておき、ミサの後、会衆が解散してから、これをすすぐことも許される。

164  
次に、祭器をすすいでから、司祭は席に戻ることが出来る。しばらく聖なる沈黙を守るか、または賛美の歌、もしくは詩編を歌うことが出来る(88参照)。

165  それから司祭は、席または祭壇の前に立って、会衆に向かい、
手を合わせて「祈りましょう」と言い、手を広げて拝領祈願を唱える。拝領後に沈黙の祈りがなかった場合、祈りの前に短い沈黙の時間をおくことが出来る。祈願の終わりに、会衆は「アーメン」を応唱する。


《閉   祭》


166  拝領祈願が終ると、必要があれば会衆への短いお知らせが行われる。

167  その後、司祭は手を広げて会衆にあいさつし、「主は皆さんとともに」と言う。会衆は、「また司祭とともに」と答える。それから司祭は
再び手を合わせ、直ちに左手を胸の上に置き、右手を上げて、「全能の神」と続け、会衆の上に十字架のしるしをしながら「父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」と唱える。会衆は「アーメン」と答える。
 日と場合によっては、この祝福の言葉の前に、典礼注記に従って、より荘厳な祝福の言葉や会衆のための祈願が加えられる。
 
司教はふさわしい定句によって、会衆の上に十字架のしるしを三回して会衆を祝福する

168  祝福の後すぐに、司祭は手を合わせて「感謝の祭儀を終ります……」を唱え、一同は「神に感謝」と答える。

169  司祭は通常、祭壇に接吻し、
信徒の奉仕者とともに祭壇に深くおじぎをしてから彼らとともに退出する。

170  他の典礼行為がミサに続く場合には、閉祭の部分、すなわち、あいさつ、祝福、解散は省かれる。

B.助祭とともに捧げるミサ

171  感謝の祭儀に助祭が同席するときは、祭服を着用して自らの奉仕職を果たす。助祭は、
1.司祭の近くに立ち、司祭の横を進む。
2.祭壇では、カリスと本の世話をする。
3.福音を告げ、司式司祭に命じられれば説教を行うことが出来る(66参照)。
4.信者会衆に適宜指示を与え、共同祈願の意向を述べる。
5.聖体を配る際に司式司祭を助け、祭器を清め、準備する。

6.他の奉仕者が一人もいない場合、必要に応じて他の奉仕者の務めを果たす。


《開   祭》


172  助祭は朗読福音書を奉持し、司祭の前を歩いて祭壇に向かう。そうでない場合は、司祭の横につく。
173  祭壇に着くと、
助祭が朗読福音書を運んだ場合は表敬を省き、祭壇にのぼる。それから朗読福音書を祭壇に置き、司祭と同時に接吻をもって祭壇に表敬する。
 
助祭が朗読福音書を運ばない場合は、司祭とともに祭壇に深くおじぎをし、司祭とともに接吻をもって祭壇に表敬する。
 香を用いる場合、司祭が香を入れて
十字架と祭壇に献香するのを助ける。

174  祭壇への献香がすむと、司祭とともに席に行き、そこで司祭の横にいて、必要に応じて助祭を助ける。


《こ と ば の 典 礼》


175  アレルヤ唱あるいは他の歌が歌われているときに香が用いられる場合、司祭が香を入れているのを助ける。それから司祭の前で頭を下げて祝福を願い、小声で「祝福をお願いします」と言う。司祭は祝福して、「主の福音をふさわしく……」を唱え、助祭は自分に十字架のしるしをして「アーメン」と答える。それから、祭壇におじぎをして、祭壇にふさわしく置かれている朗読福音書を取り、本を少し高く掲げ、香がたかれている香炉を持った香炉係と火を灯した蝋燭を持つ奉仕者を先頭に、朗読台に向かう。そこで、手を合わせ、「主は皆さんとともに」と言って会衆にあいさつし、次いで「〇〇〇による福音」と言い、親指で本にしるしをし、次に自分の額、口、胸にしるしをする。司祭は本に献香して福音を告げ知らせる。終ると「主の言葉」と告げ、一同は「キリストに賛美」と答える。続いて、接吻をもって本に表敬して「神の言葉によって……」と沈黙のうちに祈り、司祭のところへ戻る。
 
助祭が司教を手伝うとき、接吻を受けるべき本を運ぶか、あるいは助祭自らが本に接吻し、「主の福音によって……」と沈黙のうちに唱える。いっそう荘厳な祭儀では、状況に応じて、司教は朗読福音書によって会衆に祝福を与える。
 それから、助祭は祭器卓あるいはふさわしい高貴な他の場所に朗読福音書を運ぶ。

176  他のふさわしい朗読者がいないなら、助祭が他の朗読を行うことも出来る。


177  共同祈願の意向は、司祭が前文を唱えた後、朗読台または他の適当な場所から助祭が述べる。


《感 謝 の 典 礼》


178  共同祈願の後、司祭は席にとどまり、助祭が祭壇の準備をし、祭壇奉仕者がこれを助ける。祭器を取り扱うのは助祭の務めである。また、会衆の供え物を受け取る司祭を助ける。それから、聖別するためのパンをのせたパテナを司祭に渡す。「この水と……」と沈黙のうちに祈りながら、ぶどう酒と少量の水をカリスに注ぎ、その後カリスを司祭に渡す。カリスの準備、すなわち、ぶどう酒と水を注ぐことは祭器卓で行うことが出来る。香を用いる場合、捧げ物と十字架と祭壇に献香するとき司祭を助ける。その後、助祭または祭壇奉仕者が司祭と会衆に献香する。

179  感謝の祈りの間、助祭は司祭の近くで少し後方に立ち、必要な時にカリスまたはミサ典礼書の世話をする。
 
聖霊の働きを求める祈り(エピクレシス)からカリスを示す時まで、助祭は通常、跪いたままでいる。複数の助祭がいるなら、そのうちの一人が聖別の時に香炉に香を入れ、ホスチアとカリスを示す時に献香することが出来る。

180  奉献文の終わりの栄唱の時、助祭は司祭の横に立って、司祭がパンをのせたパテナを奉持している間、会衆が「アーメン」と応唱するまでカリスを奉持する。

181  司祭が、平和のための祈りと「主の平和がいつも皆さんとともに」を唱え、会衆が「また司祭とともに」と答えた後、助祭は、適当であれば、平和のあいさつへの招きを行い、
手を合わせて会衆の方を向いて、「互いに平和のあいさつをかわしましょう」と言う。助祭は司祭から平和のあいさつを受ける。そして、自分の近くにいる他の奉仕者にあいさつを伝えることが出来る。

182  司祭の拝領が終ると、助祭は
司祭から両形態で拝領し、それから会衆に聖体を授与する司祭を助ける。拝領が両形態で行われる場合には、助祭はカリスの世話をし、授与が終ると、助祭はすぐに祭壇で残ったキリストの血をすべてうやうやしく飲む。必要なら、他の助祭と司祭が手伝う

183  聖体の授与が終ると、助祭は司祭とともに祭壇に戻り、パンのかけらがあればそれを集め、それからカリスおよび他の祭器を祭器卓へ運び、そこですすいで通常どおり片付ける。その間、司祭は席に戻っている。ただし、すすぐべき祭器を適当に覆って祭器卓のコルポラーレの上に残しておき、会衆が解散してから、ミサの後
すぐにそれをすすぐことも許される。


《閉   祭》


184  拝領祈願が唱えられると、司祭が自ら行うことを望む場合を除いて、必要があれば、助祭が会衆に短いお知らせをする。

185  
盛儀の祝福の式文あるいは会衆のための祈願を用いる場合、助祭は「祝福を受けるために頭を下げましょう」と言う。司祭が祝福を与えてから、助祭は「感謝の祭儀を終ります……」と言って会衆を解散させる。

186  それから、司祭とともに接吻をもって祭壇に
深くおじぎをし、入堂のときと同じしかたで行列して退出する。


C.祭壇奉仕者の任務

187  祭壇奉仕者の任務はいろいろあるが、それらが同時に生じることがある。したがって、数名が分担するとよいが、一人しかいない場合には、自分が重要な役目を受け持ち、他の務めをその他の奉仕者に分担する。


《開   祭》


188  祭壇に向かうとき、火を灯した蝋燭を持つ二人の奉仕者の間で十字架を奉持することが出来る。祭壇についたら、十字架を祭壇の近くに立てて、祭壇十字架となるようにする。そうでなければふさわしい場所に置く。それから、司祭席の中の自分の席に着く。

189  祭儀の間、祭壇奉仕者は必要に応じて、司祭または助祭に近づいて本を渡したり、その他必要な手伝いをする。したがって、自席でも祭壇でも、できるだけ自分の務めを果たしやすい場所に位置するとよい。


《感 謝 の 典 礼》


190  助祭がいないときには、共同祈願の後、司祭が自席にいる間に、祭壇奉仕者は祭壇の上にコルポラーレ、プリフィカトリウム、カリス、ミサ典礼書を置く。次に、必要ならば会衆の奉納品を受け取るときに司祭を手伝い、適当であればパンとぶどう酒を祭壇に運び、司祭に渡す。献香が行われるときは司祭に香炉を渡し、奉納品と十字架と祭壇に対する献香を手伝う。それから司祭と会衆に献香する

191  
正式に選任された祭壇奉仕者は、会衆に聖体を授与するとき、臨時の奉仕者として、必要であれば司祭を助けることが出来る。両形態の拝領のとき、助祭がいなければ、拝領者にカリスを差し出したり、パンを浸す場合にはカリスを支えたりする。

192  
同様に、正式に選任された祭壇奉仕者は、聖体の授与が終ると、祭器を拭いて片付ける司祭または助祭を手伝う。助祭がいなければ、祭壇奉仕者は祭器を祭器卓に運び、そこで通常どおり清め、拭いて片付ける。



D.朗読奉仕者の任務


《開   祭》


194  祭壇に向かうとき、助祭がいなければ、朗読奉仕者はふさわしい祭服を着用して朗読福音書を少し高く掲げて運ぶことが出来る。その場合は司祭の前を進む。そうでない場合には外の奉仕者とともに進む。

195  祭壇についたら、
他の者とともに深くおじぎをする。朗読福音書を運んだ場合、祭壇に登って、その上に朗読福音書を置き、他の奉仕者とともに司祭席域内の席に着く。


《こ と ば の 典 礼》


196  福音の前の朗読を朗読台から行う。詩編唱者がいないときには、第一朗読の後、答唱詩編を唱えることが出来る。

197  助祭がいないときには、司祭が前文を唱えた後、朗読奉仕者は共同祈願の意向を
朗読台から唱えることが出来る。

198  入祭の歌、または拝領の歌が歌われないとき、また、ミサ典礼書にある交唱が信者によって朗唱されない場合には、適切なときにそれを
唱えることが出来る

199  共同司式は、祭司職が一つであること、生贄が一つであること、そして神の民全体が一つであることを適切に表現するものであって、司教叙階式、司祭叙階式そして聖香油のミサにおいては儀式自体によって規定されている。
 信者の便宜のために他のことが求められたりすすめられたりしない限り、共同司式は以下の場合にすすめられる。
1.聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサ。
2.教会会議、司教会議、教区会議におけるミサ。
3.修道院ミサ、および教会と聖堂における主要ミサ。
4.教区司祭、修道司祭のあらゆる種類の会合におけるミサ。
 
しかしながら、個々の司祭は感謝の祭儀を個人的に司式することが出来る。ただし、同じ教会堂や礼拝堂で共同司式が行われているのと同じ時に司式することは出来ない。聖木曜日の主の晩餐のミサと復活徹夜祭のミサを個人的に司式することは許されない。

200  訪問中の司祭は、その司祭としての身分によって認められれば、感謝の祭儀の共同司式に喜んで迎えられるべきである。


201  司祭の
数が多いところでは、必要性があるか司牧上役に立つなら、共同司式を同じ日に幾度も行うことが出来る。ただし、異なる時間または別々の場所で行わなければならない

202  法の基準に従って、
自教区のすべての教会堂と礼拝堂における共同司式の規律を指導するのは司教の権限である。

203  ある教区の司祭が、自分の司教とともに共同司式すること、とくに
典礼暦年の重要な祭日のスタチオのミサ、教区の新司教あるいはその補佐司教あるいは協働司教の叙階式のミサ、聖香油のミサ、主の晩餐の夕べのミサ、地方教会の創立者あるいは教区の保護者である聖人の祭儀、および教区会議または司教の訪問の際の共同司式は特別に尊重されるべきである。
 同じ理由で、黙想会、あるいは何かの会合の機会に、司祭が自分の司教とともに集まるときには共同司式が勧められる。このような場合には、すべての共同司式の特徴である一つの祭司職と一つの教会のしるしが、より明らかに表される。

204  儀式の意義や祝祭の特別な理由から、次の場合には、同じ日に二度以上ミサを司式、または共同司式する権限が与えられる。
1.聖木曜日に、聖香油のミサを司式もしくは共同司式した者は、主の晩餐の夕べのミサを司式もしくは共同司式することが出来る。
2.
復活徹夜祭のミサを司式もしくは共同司式した者は、復活祭の日中のミサを司式もしくは共同司式することが出来る。
3.主の降誕には、すべての司祭は三つのミサを司式、または共同司式することが出来る。ただし、これらのミサは、それぞれの時間に行う。
4.死者の日。ただし、祭儀が異なる時間に行われ、第二のミサと第三のミサの適用に関して定められたことが守られる場合。
5.教区会議、司教の訪問、もしくは司祭の会合の際に、司教またはその代理者とともに共同司式する者は、信者の便宜のためにミサをもう一度司式することが出来る。このことは、守るべきことを守った上で、修道者の会合にもあてはまる。

205  共同司式ミサは、いずれの場合にも、
以下に示される規定や変更を除いて、共通に守るべき基準(112‐198参照)に従って行われる。

206  ミサがすでに始められているなら、だれも共同司式するために加わったり、共同司式を認められたりしてはならない。

207  司祭席には次のものが準備されるべきである。
1.共同司式する司祭のための席と本。
2.祭器卓には、十分な大きさのあるカリス、あるいは複数のカリス。

208  共同司式ミサにおいて助祭がいない場合、助祭に固有の役割は、幾人かの共同司式司祭によって果たされる。
 
他の奉仕者がいない場合、奉仕者に固有の役目はふさわしい信者に委ねることが出来る。さもなければ、他の共同司式司祭によって果たされる。

209  共同司式司祭は、祭器室または他の適当な場所で、個別にミサを捧げる際に着用する祭服を着ける。ただし正当な理由がある場合、たとえば共同司式司祭の数が多く、祭服が不足している場合、共同司式司祭は、主司式司祭を除いて、アルバの上にストラを着用し、カズラあるいはプラネタを省くことが出来る。


《開   祭》


210  すべての用意が整ったら、通常どおり行列をして教会堂を通り、祭壇に赴く。共同司式司祭は、主司式司祭の前を進む。

211  祭壇に着くと、共同司式司祭と主司式司祭は
深くおじぎをし、接吻をもって祭壇に表敬する。それから、各自定められた席に行く。主司式司祭は、場合によっては十字架と祭壇に献香し、それから席に行く。


《こ と ば の 典 礼》


212  ことばの典礼の間、共同司式司祭は自分の席について、主司式司祭と同様に着席したり、起立したりする。
 
司教が司式する場合、助祭がいないため福音を告げる司祭は司教に祝福を願い、祝福を受ける。ただし、一人の司祭が司式する共同司式ではこのことを行われない。

213  説教は通常どおり、主司式司祭または共同司式司祭のうちの一人が行う。


《感 謝 の 典 礼》


214  供え物の準備(139‐145参照)は、主司式司祭が行い、他の共同司式司祭は自席にとどまる。

215  
主司式司祭によって奉納祈願が唱えられた後、共同司式司祭は祭壇に近づき、祭壇を囲んで立つ。ただし、式を行うのに妨げとならないよう、聖なる行為が信者によく見えるよう、さらに、助祭が自己の役務のために祭壇に近づかなければならないときに妨げとならないようにする。
 
《感 謝 の 祈 り の 唱 え 方》


216  叙唱は主司式司祭が一人で歌うか唱える。感謝の賛歌は、会衆と聖歌隊とともに共同司式司祭全員によって歌われるか、唱えられる。

217  感謝の賛歌が終ると、共同司式司祭は、次に記す方法で奉献文を唱える。別の注記がない限り、主司式司祭一人が動作を行う。

218  共同司式司祭が一緒に唱える部分、
特に全体を声に出して唱えるべき聖別の言葉では、共同司式司祭はそれを小声で唱え、主司式司祭の声がはっきりと聞こえるようにしなければならない。それは、会衆が式文を容易に理解出来るようにするためである。
 
ミサ典礼書で旋律が用意された共同司式司祭全員が一緒に唱える部分は、歌唱されることが望ましい。


《第一奉献文あるいはローマ典文》


219  第一奉献文あるいはローマ典文では、「慈しみ深い父よ」は、主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。


220  人々のための祈り、および「全教会の交わりの中で」は、共同司式司祭の一人か二人にまかせることが出来る。まかせられた司祭の一人が、両手を広げて大きな声で唱える。

221  「私達――奉仕者と全家族――のこの奉献を」は、再び主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。

222  「神よ、これを祝福し、受け入れ」から、「全能の神よ、慎んでお願いいたします」までは、
主司式司祭が以下の動作を行い、全部を共同司式司祭一同が一緒に唱える。唱え方は次のとおりである。1.「神よ、これを祝福し、受け入れ」は、両手を捧げ物に伸べて唱える。
2.「主イエスは受難の前夜」および「食事の終わりに同じように」は、手を合わせて唱える。3.主の言葉は、適当と考えられる場合、パンとカリスに右手を伸べて唱える。パンとカリスを会衆に示すとき、それを見つめ、その後、深く礼をする。
4.「私達――奉仕者と聖なる民――も」および「この捧げ物を慈しみ深く顧み」は、両手を広げて唱える。
5.「全能の神よ、慎んでお願い致します」は、「今、祭壇で……ともに結ばれる私達が」まで、深く頭を下げ、両手を合わせて唱え、「天の祝福と恵みに満たされますように」は身を起こして、十字架のしるしをしながら唱える。

223  死者のための祈り、および「また、あなたの深い憐れみに頼る私達罪びとを」は、一人か二人の共同司式司祭に
まかせるとよい。まかせられた司祭の一人が、両手を広げて大きな声で唱える。

224  「また、あなたの深い憐れみに頼る私達罪びとを」の言葉で、共同司式司祭一同、胸を打つ。

225  「キリストによって、あなたは常にすべてのよいものを造り」は、主司式司祭が一人で唱える。



《第 二 奉 献 文》


226  第二奉献文では、「まことに尊くすべての聖性の源である父よ」は、主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。

227  「いま聖霊によってこの供え物を」から「キリストの御からだと御血にともに与る私達が」までは、全部を共同司式司祭一同が一緒に唱える。唱え方は次のとおりである。
1.「いま聖霊によってこの供え物を」は、両手を捧げ物に伸べて唱える。
2.「主イエスはすすんで受難に向かう前に」および「食事の終わりに同じように」は、手を合わせて唱える。
3.主の言葉は、適当と考えられる場合、パンとカリスに右手を伸べて唱える。パンとカリスを会衆に示すとき、それを見つめ、その後、深く礼をする。
4.「私達は今、主イエスの死と復活の記念を行い」および「キリストの御からだと御血にともに与る私達が」は、両手を広げて唱える。

228  生者のための取り次ぎ、すなわち「世界に広がるあなたの教会を思い起こし」、および死者のための取り次ぎ、「また、復活の希望をもって眠りについた」は、一人か二人の共同司式司祭に
まかせるとよい。まかせられた司祭の一人が、両手を広げて唱える。



《第 三 奉 献 文》


229  第三奉献文では、「まことに聖なる父よ」は、主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。

230  「あなたに捧げるこの供え物を」から「あなたの教会の捧げ物を顧み」までは、全部を共同司式司祭一同が一緒に唱える。唱え方は次のとおりである。
1.「あなたに捧げるこの供え物を」は、両手を捧げ物に伸べて唱える。
2.「主イエスは渡される夜」および「食事の終わりに同じように」は、手を合わせて唱える。
3.主の言葉は、適当と考えられる場合、パンとカリスに右手を述べて唱える。パンとカリスを会衆に示すとき、それを見つめ、その後、深く礼をする。
4.「私達は今、御子キリストの」および「あなたの教会の捧げ物を顧み」は、両手を広げて唱える。

231  取り次ぎの祈り、すなわち「聖霊によって私達があなたに捧げられた永遠の供え物となり」および「私達の罪のゆるしとなるこの生贄が」は、一人か二人の共同司式司祭に
まかせるとよい。まかせられた司祭の一人が、両手を広げて唱える。


《第 四 奉 献 文》


232  第四奉献文では、「聖なる父よ、私達はあなたを称えます」から「聖霊は世にあってその業を全うし、すべてを尊いものになさいます」までは、主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。

233  「父よ、聖霊がこの捧げ物を尊いものにして下さいますように」から「あなたが教会にお与えになったこの生贄を顧み」までは、全部を共同司式司祭一同が一緒に唱える。
1.「父よ、聖霊がこの捧げ物を尊いものにして下さいますように」は、両手を捧げ物に伸べて唱える。
2.「聖なる父よ、世にいる弟子を愛しておられたイエスは」および「同じようにぶどう酒の満ちた杯を取り」は、手を合わせて唱える。
3.主の言葉は、適当と考えられる場合、パンとカリスに右手を伸べて唱える。パンとカリスを会衆に示すとき、それを見つめ、その後、深く礼をする。
4.「聖なる父よ、私達は今ここに、贖いの記念をともに行って」と「あなたが教会にお与えになったこの生贄を顧み」は、両手を広げて唱える。




234  取り次ぎの祈り、すなわち「父よ、すべての人を心に留めて下さい」は、一人の共同司式司祭にまかせるとよい。まかせられた司祭は、一人で両手を広げて唱える。

235  使徒座によって認証された他の感謝の祈りに関しては、それぞれのために定められた基準に従うこととする。

236  感謝の祈りの結びの栄唱は、主司式司祭のみが他の共同司式司祭とともに唱えるが、信者は唱えない。


《交 わ り の 儀》


237  それから、主司式司祭は手を合わせて、主の祈りへの招きを述べた後、両手を広げて、両手を広げている他の共同司式司祭、および会衆とともに、主の祈りを唱える。

238  「慈しみ深い父よ、……」は主司式司祭が一人で、両手を広げて唱える。共同司式司祭一同は、会衆とともに、結びの応唱「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」を唱える。

239  助祭、あるいは
助祭が不在の場合は一人の共同司式司祭の「互いに平和のあいさつをかわしましょう」の言葉の後、一同は互いに平和のあいさつをかわす。主司式司祭の近くにいる司祭は、助祭の前に主司式司祭から平和のあいさつを受ける。

240  平和の賛歌の間に、
助祭あるいは幾人かの共同司式司祭が主司式司祭を助けて、共同司式司祭、および会衆が拝領するためのパンを割ることが出来る。

241  パンの小片をカリスに入れてから、主司式司祭は一人で、「神の子、主イエス・キリスト……」または、「主イエス・キリスト……」を沈黙のうちに祈る。

242  拝領前の祈りが終ると、主司式司祭は跪いて、少し後ろに下がる。共同司式司祭は一人ずつ順番に祭壇の中央に来て、跪いて、キリストの御からだを祭壇からうやうやしく取り、右手で奉持し、左手をその下に添えて、自分の場所に戻る。ただし、共同司式司祭は自分の場所にとどまり、パテナからキリストの御からだを取ることが出来る。この場合、パテナを、主司式司祭、もしくは一人かまたはそれ以上の共同司式司祭が、共同司式司祭に順次に持っていくか、あるいは次の者に渡して、最後の者まで回すようにする。

243  それから主司式司祭は
そのミサで聖別されたパンを取り、それにパテナあるいはカリスを添えて奉持し、会衆に向かって「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と言う。続いて共同司式司祭および会衆とともに「主よ、あなたは神の子キリスト……」を唱える。

244  それから主司式司祭は祭壇に向き、「キリストの御からだが永遠の命の糧になりますように」と沈黙のうちに祈る。そしてキリストの御からだをうやうやしく拝領する。共同司式司祭も同様に
自分で拝領する。助祭は、その後で、主司式司祭から主のからだを受ける。

245  御血は、直接カリスから飲むか、
あるいはパンを御血に浸すか、あるいは管を用いるか、あるいはスプーンを用いて拝領することが出来る。

246  直接カリスから飲む場合、次の方法のうち、いずれかを用いることが出来る。
1.主司式司祭はカリスを取って、「キリストの御血が永遠の命の糧になりますように」と沈黙のうちに祈る。そして御血を少し拝領し、カリスを助祭か、あるいは共同司式司祭に渡す。それから、
信者に聖体を授与する(160‐162参照)。
共同司式司祭は一人ずつ、またはカリスを二つ使う場合は、二人ずつ祭壇に近づき、
跪き、拝領し、カリスの縁をふいてから席に戻る。
2.主司式司祭は、通常どおり、祭壇の中央に立って御血を拝領する。
共同司式司祭は、自分の場所にいて御血を拝領することが出来る。カリスは、助祭、または一人の共同司式司祭が持って差し出すか、もしくは順次、手渡すかする。飲む人、またはカリスを渡す人が常にカリスをふく。拝領がすんだ者は各自、席に戻る。

247  助祭は残っている御血をすべて祭壇でうやうやしく拝領する。必要なら他の共同司式司祭が助け、それからカリスを祭器卓に移す。そこで、助祭あるいはふさわしく選任された祭壇奉仕者が通常の方法でカリスをすすいでからふいて、片付ける(183参照)。

248  共同司式司祭の拝領はまた、次のように行うことも出来る。すなわち、各自、祭壇上で主の御からだを拝領し、その後すぐに主の御血を拝領する。
 この場合、主司式司祭は、
通常の方法で(158参照)両形態で拝領をする。ただし、それぞれの場合に選んだ御血の拝領の方法を守る。他の共同司式司祭はこれに続く。
 主司式司祭が拝領を済ませると、カリスは祭壇の
脇の別のコルポラーレの上に置かれる。共同司式司祭は一人ずつ順番に祭壇の中央に近づき、跪き、主の御からだを拝領する。それから、祭壇の脇に行って、御血の拝領のために選ばれた儀式に従って、前述のように主の御血を拝領する。
 前述と同じように、助祭の拝領とカリスのすすぎが行われる。

249  共同司式司祭の拝領が、パンを御血に浸して行われる場合、主司式司祭は、通常どおり主の御からだと御血を拝領する。ただし、カリスには、共同司式司祭の拝領のために、十分に御血が残るように気をつける。それから、助祭、あるいは一人の共同司式司祭がカリスを祭壇の中央か、もしくは祭壇の
脇の別のコルポラーレの上に、パンの小片をのせたパテナとともに置く。
 共同司式司祭は、一人ずつ順番に祭壇に近づき、跪き、そしてパンの小片を取り、それを少しカリスに浸す。それから、パテナを口の下に添えて、浸した小片を拝領する。その後、ミサの初めの時のように自席に戻る。
 助祭もパンを御血に浸して拝領する。共同司式司祭の一人が、「キリストの御からだと御血」と唱えると、助祭は「アーメン」と答える。助祭は、祭壇で、残った御血を全部拝領する。
必要なら他の共同司式司祭が助け、カリスを祭器卓に移す。そこで、助祭あるいは選任された祭壇奉仕者が通常の方法でカリスをすすいでからふいて、片付ける。


《閉   祭》


250  その他、ミサの終わりまでの事柄は、通常どおり(166‐169参照)主司式司祭が行う。共同司式司祭は自席にとどまる。

251  祭壇を立ち去る前に、
祭壇に深くおじぎをする。主司式司祭は通常どおり接吻をもって祭壇に表敬する。

・.ただ一人の奉仕者が助けて行われるミサ

252  ただ一人の奉仕者が司祭を助け、司祭にこたえて行われるミサでは、会衆が参加するミサの儀式(120‐169参照)に従い、会衆の唱える部分を適宜、奉仕者が唱える。

253  ただし、奉仕者が助祭の場合、助祭は自分に固有の役割を果たし(171‐186参照)、会衆の部分も担当する。


254  奉仕者あるいは少なくとも幾人かの信者がいない祭儀は、正当な理にかなう理由がない限り行わないものとする。このような祭儀の場合、あいさつと
勧めの言葉とミサの終わりの祝福は省かれる。

255  カリスはミサの前に、祭壇の近くの祭器卓、または祭壇上の
右側に準備する。ミサ典礼書は、祭壇の左側にふさわしく置くことが出来る


《開   祭》


256  司祭は、祭壇の前に立って深くおじぎをした後、「父と子と聖霊……」を唱えながら十字架のしるしをする。所定の言葉の中から一つを選んで奉仕者にあいさつする。そして、回心の祈りを唱える。

257  それから祭壇にのぼり、接吻をもって祭壇に表敬する。次に祭壇の左側の
ミサ典礼書の方を向き、共同祈願の終わりまでそこにとどまる。

258  入祭唱を読み、典礼注記に従って、憐れみの賛歌と栄光の賛歌を唱える。

259  続いて両手を合わせて、「祈りましょう」と言い、適当な間を置いてから、両手を広げて集会祈願を唱える。終わりに奉仕者は「アーメン」と応唱する。



《こ と ば の 典 礼》


260  朗読は、出来る限り、朗読台または聖書台から行うようにする。

261  集会祈願を唱え終わると、
奉仕者が、第一朗読および詩編を読む。それから、唱えるべき場合には、第二朗読およびアレルヤ唱の唱句、またはそれに代わる他の歌を読む。

262  続いて、司祭は頭を下げて「主の福音をふさわしく……」を沈黙のうちに祈り、福音を読む。終わりに、
司祭は「主の言葉」と言い、奉仕者は「キリストに賛美」とこたえる。次に司祭は「神の言葉によって……」と沈黙のうちに祈りながら、本に接吻して表敬する

263  その後、司祭は典礼注記に従って、奉仕者とともに信条を唱える。

264  続いて共同祈願があるが、このミサにおいても唱えることが出来る。司祭が意向を唱え、奉仕者が答える。



《感 謝 の 典 礼》


265  感謝の典礼では、以下のことを除いて、すべてのことは会衆が参加するミサのときのように行われる。

266  
主の祈りに続く副文の終わりの応唱が終ると、司祭は「主イエス・キリスト、あなたは……」の祈りを唱え、それから、「主の平和がいつも皆さんとともに」と唱え、奉仕者が「また司祭とともに」と答える。適当な場合には、司祭は奉仕者に平和のあいさつをする。

267  それから、奉仕者とともに平和の賛歌を唱えながら、司祭はパテナの上でパンを割る。平和の賛歌が終ると、「今ここに一つとなる……」を沈黙のうちに祈りながら、パンの小片をカリスに入れる。

268  その後、司祭は、「神の子、主イエス・キリスト……」または「主イエス・キリスト……」を沈黙のうちに祈る。それから、跪き、パンを取り、奉仕者が拝領する場合は奉仕者に向かい、パテナを添えてパンを奉持し、「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と言い、奉仕者とともに、「主よ、あなたは神の子キリスト……」を一度唱える。それから、祭壇の方に向いてキリストの身体を拝領する。奉仕者が拝領しない場合、跪いてから、司祭はパンを取り、祭壇の方に向いて「主よ、あなたは神の子キリスト……」と
「キリストの身体が永遠の……」を一度沈黙のうちに祈ってキリストの身体を拝領する。それから、カリスを取り、「キリストの御血が永遠の」を沈黙のうちに唱えて御血を拝領する

269  奉仕者に御聖体を授与する前に、司祭は拝領唱を唱える。


270  司祭は祭壇の脇あるいは祭器卓でカリスをすすぐ。カリスを祭壇ですすぐ場合は、奉仕者が祭器卓まで運ぶか、あるいは祭壇上の脇に移すことが出来る。


271  カリスのすすぎが終ると、司祭は暫らくの間、沈黙のうちに祈ることが
望ましい。その後、拝領祈願を唱える。


《閉   祭》



272  閉祭は、「感謝の祭儀を終わります……」を省いて、会衆の参加するミサと同様に行われる。司祭は通常どおり接吻をもって祭壇に表敬し、奉仕者とともに深くおじぎをしてそこを離れる



すべての形式のミサのための一般的基準


《祭壇と朗読福音書に対する表敬》


273  伝統的習慣に従って、祭壇および朗読福音書に対する表敬は、接吻によって行われる。しかし、このようなしるしが、ある地方の伝統や慣習にかなっていない場合には、使徒座の同意を得て、その代わりに用いるしるしを定めることは司教協議会の権限である。


《跪 拝 と お じ ぎ》


274  右膝を曲げて地面につける跪拝は崇敬を意味している。それゆえ、御聖体に対して、また主の受難の金曜日の典礼における荘厳な崇敬から復活徹夜祭の始まるまでの間に聖なる十字架に対して、この跪拝が守られる。
 ミサでは主司式司祭によって跪拝が三回行われる。すなわち、パンを示した後、カリスを示した後、および拝領の前である。共同司式ミサで留意すべき特別な事柄はそれぞれの箇所に述べられている(210‐251参照)。
 司祭席に御聖体を安置した聖櫃がある場合、司祭と助祭と他の奉仕者は祭壇に近づくとき、あるいは祭壇から離れるとき、跪く。ただし、ミサの祭儀そのものが続く場合は除く。
 その他の場合、御聖体の前を通り過ぎるすべての者は、行列の形で進む場合を除いて跪く。
 行列用十字架あるいは蝋燭を運ぶ奉仕者は、跪くところでは頭を下げる。


275  
おじぎは、人あるいはその人が示す者に対して敬意と栄誉が与えられることを意味している。おじぎには二種類ある。すなわち、頭を下げるだけの一礼と深く頭を下げるおじぎである。
1.前者は、父と子と聖霊の名が同時に唱えられるとき、またイエス、おとめマリア、および、そのミサで祝う聖人の名前に対して行う。
2.後者、すなわち深いおじぎは次の場合に行う。
祭壇に対して、また「主の福音をふさわしく……」と「神よ、悔い改める私達を……」の祈りのとき、ニケア・コンスタンチノープル信条の中の「御からだを受け……」の言葉のとき、ローマ典文において「全能の神よ、慎んで……」の言葉を唱えるときに行う。同じおじぎは、助祭が、福音を告げ知らせる前に祝福を願うときに行う。なお、司祭は、聖別にあたって主の言葉を唱えるとき、少し頭を下げる。



《献   香》


276  献香または散香は、聖書で示されているように(詩編140・2、黙示録8・3参照)敬意と祈りを表すものである
 香は、どの形式のミサにおいても、任意に用いることが出来る。すなわち、
1.入堂の行列の間。
2.ミサの初めに
十字架と祭壇に献香するため。
3.福音の行列と朗読のとき。
4.
パンとカリスを祭壇上に置いた後、供え物、十字架と祭壇、司祭、および会衆に献香するため。
5.聖別後にパンとカリスを示すとき。

277  司祭は香炉に香を入れ、沈黙のうちに十字架のしるしをもってこれを祝福する。
 
献香の前と後に、献香される人あるいは物、祭壇、ミサの奉献のために取りおかれた供え物に対して深くおじぎをする。
 以下に対しては香炉を三回振って献香する。すなわち、御聖体、表敬のために公開された聖なる十字架の遺物と主の御像、ミサの奉献のための供え物、祭壇用十字架、朗読福音書、復活の蝋燭、司祭と会衆。
 表敬のために公開された聖人の遺物と御像に対しては、香炉を二回振って献香する。ただし、祭儀の初めと祭壇が献香される時に限られる。
祭壇は香炉を一回振って次のように献香される。

1.祭壇が壁から離れている場合、司祭は祭壇を回りながら献香する。
2.祭壇が壁から離れていない場合、司祭は祭壇の前を通りながら、まず祭壇の右側に、次に左側に献香する。
 
十字架が祭壇上または祭壇の近くにある場合は、祭壇に献香する前に献香する。その他の場合は、司祭が十字架の前を通るときに献香する。
 供え物は、司祭が十字架と祭壇に献香する前に香炉を三回振って献香するか、あるいは供え物の上に香炉で十字架のしるしを作って献香する。




《す す ぎ》


278  パンのかけらが指に付着しているときは、特にパンを割った後、あるいは信者の拝領の後、司祭はパテナの上で指を拭うか、または必要に応じて洗う。同様に、パンのかけらがパテナの外にあるならば、それを集める。

279  祭器は、司祭あるいは助祭、または
選任された祭壇奉仕者が、拝領後またはミサの後、出来る限り祭器卓でこれを清める。カリスのすすぎは、ぶどう酒と水、または水だけで行われ、すすぎを行った者がこれを飲む。パテナは、通常どおりプリフィカトリウムでふく。
 
拝領のときに授与した後に御血が残ってしまった場合、すぐに全部を祭壇で飲むよう留意しなければならない

280  パン、またはその小片が散らばった場合、うやうやしく取り上げる。御血をこぼした場合、落ちた場所を水で洗う。この水は後で、
祭器室に設置されたサクラリウムに流す。



《両 形 態 に よ る 拝 領》


281  しるしの観点からすれば、両形態のもとになされる拝領は、より充実した形式を備えている。この形式においては、感謝の会食のしるしがより完全に現れ、新しい永遠の契約が主の血によって確認されることがより明確に表示され、さらに、感謝の会食と父の国における終末の会食との関連がより明確に現れる。

282  司牧者は、儀式に参加するか、または出席する信者に、拝領の形式に関するカトリックの教義を、トリエント公会議に従って、出来る限り適当な方法で思い起こさせるよう配慮するものとする。とくに、たとえ、いずれかの形態のもとにおいてだけであっても、欠けるところのないキリストのすべてと、真の秘跡とが拝領されるということがカトリックの信仰によって教えられているということ、またそれゆえに、秘跡の効果に関しても、ただ一つの形態のみを受ける者が、救いに必要な恩恵を何ら失わないということを、キリスト信者に注意すべきである。
 さらに、教会が諸秘跡の授与に関して権能をもっており、諸秘跡の実体を除いて、事と時と場所の違いに応じて、諸秘跡の崇敬と拝領者の利益のために、より望ましいと判断されることを定めたり、変更したりする権能をもっていることを教えるようにする。しかし同時に、信者が、感謝の会食のしるしがより完全に現れる聖なる儀式に参加することを熱心に望むように教えるようにする。

283  両形態による拝領は、儀式書で示されている場合のほかに、以下の者に許される。1.ミサを司式あるいは共同司式できない司祭。
2.助祭、およびミサで何らかの役割を果たす他の人。
3.修道院ミサまたは「共同体」のミサと呼ばれるミサにおける共同体の会員、神学生、黙想中のすべての人、あるいは霊的もしくは司牧的集いに参加したすべての人。
 教区司教は自教区のために、両形態による拝領に関する規定を定めることが出来る。それは、修道会の教会堂でも小さな集会においても守られるべきものである。また、信者がよく養成され、御聖体に対する汚聖の危険がまったくない場合、あるいは参加者が多数であったり、別の理由から式が混乱することが避けられる場合に、司式司祭がふさわしいと判断したときはいつでも、両形態による拝領を許可する権限が教区司教には与えられている。
 しかしながら、信者に両形態で御聖体を授与する方法について、またその権限の拡大については、使徒座による承認を得て、司教協議会が基準を発表することが出来る。

284  両形態による拝領が行われる場合
1.通常は助祭がカリスの奉仕をする。助祭がいない場合は、司祭がそれを行う。あるいは、ふさわしく選任された祭壇奉仕者もしくは御聖体のための他の臨時の奉仕者が行う。あるいは、必要な場合はこのことのためにこの務めを委ねられた信者も行うことが出来る。
2.御血が残ってしまった場合は、祭壇で、司祭あるいは助祭、あるいはふさわしく選任され、カリスの奉仕をし、祭器を通常の方法ですすいでふき、片付ける祭壇奉仕者が飲む。
パンの形態だけの拝領を望む信者がいる場合、この形態で御聖体が与えられるべきである。

285  両形態による御聖体の授与のためには次のものを準備する。
1.カリスからの拝領を直接カリスから飲んで行う場合、十分な大きさのある一つのカリス、あるいは複数のカリスを準備する。ただし、祭儀の結びに飲まなければならない御血が必要以上に多く残らないようにするよう常に心がける。
2.御血にパンを浸して拝領する場合、パンがあまり薄すぎたり、小さすぎたりしないよう、また御血に一部を浸して支障なく授けることが出来るよう、普通のものよりやや厚めのものであるようにする。

286  御血の拝領をカリスから飲んで行う場合、拝領者はキリストの御からだを受けた後、カリスの奉仕者のところに行き、その前に立つ。奉仕者は「キリストの御血」と言い、拝領者は「アーメン」とこたえる。奉仕者はカリスを渡し、拝領者自身が自分の手でカリスを口にもっていく。拝領者はカリスから少量を飲み、カリスを奉仕者に返してから戻る。その後、奉仕者はカリスの縁をプリフィカトリウムでぬぐう。

287  カリスからの拝領が御血にパンを浸して行われる場合、拝領者は口の下に拝領用の受け皿を添えて、カリスを持つ司祭に近づく。司祭の脇にはパンを入れた容器を持つ奉仕者が立つ。司祭はパンを取り、その一部をカリスに浸し、それを示しながら、「キリストの御からだと御血」と言う。拝領者は「アーメン」とこたえて、司祭から御聖体を口に受けた後、戻る。




第5章 感謝の祭儀を捧げるための教会堂の配置と装飾


・.一般原則

288  感謝の祭儀を捧げるために、神の民は教会堂に集まるか、教会堂がないか
十分な広さがない場合、この偉大な神秘にふさわしい場所に集まる。それゆえ、教会堂あるいはそれに代わる場所は、祭儀を行うため、また、信者の行動的参加を得るために適したものでなければならない。さらに、聖堂および礼拝に関連する事物は、真にふさわしく、美しく、天上のことがらのしるしであり、シンボルとならなければならない。

289  したがって教会は、常に諸芸術の
助けを求め、あらゆる民族と地方の芸術の意義を認める。そればかりではなく、芸術作品と過去幾世紀に渡って伝えられたその宝庫を保存するように努め、必要のある限り新しい要求にこたえ、各時代の性格に調和する新しいものを生み出す事をめざしている。それゆえ、芸術家を任命したり、教会堂に容認出来る芸術作品を選択する場合、芸術的に真に優れたもので信仰と信心を養い、真の意味と目的にかなうものを求めなければならない。

290  すべての教会堂は奉献されるか、少なくとも祝福されなければならない。ただし、司教座聖堂と小教区聖堂は荘厳な式によって奉献されなければならない。

291  聖堂を正しく建設し、改築し、内部を配置するにあたっては、関係者はすべて、典礼と教会芸術に関する教区委員会に諮るものとする。
教区司教は、この件に関する基準の設定、もしくは新しい聖堂の設計の認可、もしくは重要な問題の判断に際して、同委員会の意見と協力を得るものとする。

292  教会堂の装飾は、華美なものよりむしろ品位ある簡素さを尊ぶべきである。飾りに属するものを選ぶにあたっては、ものごとの真実さに心を配り、信者の教育効果と聖堂全体の品位をめざすべきである。

293  教会堂とその付属品の適当な配置にあたっては、現代の必要にこたえるものであるよう注意する。典礼行為に直接関係するものに注意をはらうだけでなく、
人々が集まる場所に通常用意されるものや、信者の便宜も考えなければならない。

294  ミサに集まる神の民は、密接に結び付いた位階的な秩序をもっており、それは種々の役務と種々の行為によって祭儀の各部分において表現される。それゆえ、聖堂の一般的な配置は、集会の姿をいくらか表しているもので、諸事万端をふさわしく組織することを可能にし、さらに、各自が役割を正しく果たすことを助けるものであることが必要である。
 信者および聖歌隊は、その行動的参加をたやすくする場所を占める。
 
司式司祭と助祭、および他の奉仕者は、司祭席に場所を占める。同じように、共同司式司祭の席が準備される。共同司式司祭の数が多い場合、教会堂の他の場所で祭壇に近いところに席を設ける。
 これらすべては、位階的配置と種々の役割を表現するものでなければならないとはいえ、聖なる民全体の一致がはっきり現れるように、内的に、そして密接に結び付いた一致を形成しなければならない。場所とすべての備品の性質と美しさによって信仰が養われ、祝われる諸神秘の聖性が示されるようにする。

・.聖なる集会のための司祭席の配置

295  
司祭席とは、祭壇が据えられ、神の言葉が告げられ、司祭と助祭および他の奉仕者がその務めを果たす場所である。司祭席は、少し高くするか、もしくは特別な構造と装飾によって、聖堂内一般(信者席)と適当に区別されるようにする。その広さは、感謝の祭儀が支障なく行われ、それが見えるような程度にする



《祭 壇 と そ の 装 飾》


296  祭壇は、十字架の生贄が秘跡的なしるしのもとに現在のものとなる場所であるとともに、またミサにおいて、それにあずかるよう神の民がともに招かれている主の食卓でもあり、感謝の祭儀によって実現される感謝の行為の中心である。

297  感謝の祭儀は、聖堂においては、
祭壇で行われるべきである。聖堂以外の場所においては、適当な机の上でも行うことが出来る。ただし、必ず食卓布とコルポラーレ、十字架と蝋燭を備えなければならない。

298  
すべての教会堂には固定祭壇を置くことが望ましい。それが生きた石(一ペトロ2・4、エフェソ2・20参照)であるキリスト・イエスを、一層はっきりとたえず表すからである。しかし、他の場所には、聖なる祭儀を捧げるために、可動祭壇を置くことが出来る。
 固定祭壇とは、床に固定され、動かすことが出来ないように建造されている祭壇をいう。可動祭壇とは、移動することが出来るものをいう。

299  
祭壇は普通、容易に周りを回ることが出来るよう、また会衆に対面して祭儀を行うことが出来るよう、壁から離して建造する。可能なところではどこでもそうすることが望ましい。またその位置は、全会衆の注意がおのずから集まる真に中心となる場所であるようにする。通常、祭壇は固定され奉献される

300  固定祭壇であれ可動祭壇であれ、
司教典礼書に記載されている儀式に従って奉献される。ただし、可動祭壇は祝福するだけでもよい。

301  教会の伝統的習慣、およびそれが表す意味から、固定祭壇の平板は石製とし、自然石を用いるものとする。ただし、司教協議会の判断によって、堅固で精巧に作られた他のふさわしい材料を用いることが出来る。祭壇の脚、もしくは平板を支えるための台は、ふさわしく、堅固な物である限り、どのような材料で造ることも出来る。
 可動祭壇は、品位があり堅固な、そして各地方の伝統と習慣から、典礼的使用にふさわしいどのような材料によっても造ることが出来る。



302  殉教者のものに限らず、奉献する祭壇の下に聖人の遺物を安置する習慣は守るものとする。ただし、このような遺物は、その真実性が確証されたものであるよう注意する。

303  新築の教会堂では、信者の集会の中に、唯一のキリストと教会の唯一の感謝の祭儀を示すただ一つの祭壇が造られることが望ましい。
 しかし、すでに建てられた教会堂で、古い祭壇が人々の参加を困難にするような場所に造られている場合、あるいはその芸術的価値を損なわずに移動することが出来ない場合、固定されたもう一つの祭壇が造られる。これは技巧を凝らして造られ、儀式によって奉献される。聖なる祭儀はこの祭壇の上でのみ執り行われるべきである。信者の注意が新しい祭壇から離れて行かないようにするため、古い祭壇は特別な方法で飾られるべきではない。


304  主の記念祭儀に対する尊敬、ならびに、主の御からだと御血が供される会食に対する尊敬を表すために、
ミサが執り行われる祭壇上には少なくとも一枚の白い色の食卓布を敷く。その形、大きさ、およびそれに施される装飾は、祭壇そのものの構造に調和させる。

305  祭壇の装飾に関しては節度を守らねばならない。
 待降節には、この季節の特徴にふさわしい節度をもって、祭壇を花で飾ることが出来る。ただし、主の誕生の満ち溢れる喜びを先取りしないようにする。四旬節には、祭壇を花で飾ることは禁じられる。ただし、四旬節第四主日(レターレの主日)と祭日と祝日は例外である。
 花による装飾は常に節度を守らねばならない。そして、祭壇の上面に置くよりも、むしろ祭壇の周りに置くようにする。

306  祭壇の上面には、ミサの祭儀に必要なものだけを置く事が出来る。すなわち、祭儀の初めから福音を告げる時までの間は朗読福音書を置く。供え物の奉納から祭器のすすぎまでは、カリスとパテナ、および必要であればピクシス。最後にコルポラーレ、プリフィカトリウム、そしてミサ典礼書。
 さらに、司祭の声を拡声するために必要とされるものが、特別な方法で配置される。

307  蝋燭台は、崇敬と祝いの喜びを表すために、すべての典礼行為の際に必要であるが(117参照)、それは、祭壇および司祭席周辺の構造を考慮して、全体の配置が適当なものとなるように、祭壇上、もしくは祭壇の近くに置くものとする。なおそれは、信者が祭壇上で行われること、あるいは祭壇上に置かれるものを容易に見ることを妨げないようにする。

308  祭壇上、または祭壇の近くに、
十字架に磔られたキリスト像のついた十字架を置き、会衆からよく見えるようにする。信者の心に主の救いの十字架を思い起こさせるこうした十字架は、典礼祭儀以外のときにも祭壇の近くに置いたままにしておくことが望ましい。



《朗 読 台》



309  神のことばはその尊厳のゆえに、教会堂の中にふさわしい場を設け、そこから告げ知らせるものとする。それは、ことばの典礼の間、信者の注意が自然に向けられる場所でなければならない。一般的には、この場所は、動かすことの出来る簡単な書見台ではなく、固定された朗読台であることが適当である。朗読台は、それぞれの教会堂の構造に応じて、叙階された奉仕者と朗読者が信者からよく見え、言葉がよく聞き取れるように配置しなければならない。
 朗読台から
のみ、聖書朗読が行われ、答唱詩編および復活賛歌が唱えられる。さらに、説教を行い、共同祈願すなわち信者の祈りの意向を唱えることができる。
 
新しい朗読台は、典礼で使用することが決められる前に、ローマ儀式書に記載された儀式に従って祝福されることが望ましい。



《司式司祭および他の人のための席》



310  司式司祭の席は、会衆の座長としての役割と、祈りを指導する役割とを表さなければならない。したがって、その位置は、司祭席の奥に会衆に対面して設けられることが極めて適当である。ただし、聖堂の構造、あるいはその他の状況によって、それが妨げられる場合はこの限りではない。たとえば、離れすぎていて司祭と会衆との間の対話が困難となるような場合、あるいは聖櫃が祭壇後方の中央に置かれている場合である。司教高座の形式は一切避けるべきである。席は典礼で使用することが決められる前に、ローマ儀式書に記載された儀式に従って祝福されることが望ましい。同じように、共同司式をする司祭のための席、ならびに聖歌隊服を着用して祭儀に参加するが共同司式はしない司祭のための席も設けられる。
 助祭の席は司式者の近くに置かれる。他の奉仕者のための席は、教役者の席と明確に区別され、自分に委ねられた務めを容易に果たすことの出来るように配置される。

・.教会堂内の配置



《信 者 席》



311  信者席は、信者が目と心をもって聖なる祭儀にふさわしく参加することが出来るよう、十分な配慮のもとに配置されなければならない。習慣どおり、信者用の椅子、すなわち席が置かれることが望ましい。ただし、席を特定の個人のために保留する習慣は認められない。席、すなわち椅子は、特に新築の教会堂では、信者が祭儀の種々の部において求められる動作を容易に行うことができ、拝領に近づくのに差し支えないように配置する。
 なお、信者が、司祭および
助祭と朗読者を見ることが出来るばかりでなく、現代の機械設備を用いて、司祭および他の奉仕者の声をよく聞き取ることが出来るように配慮しなければならない。



《聖歌隊席と楽器の場所



312  聖歌隊は、その本来の性格、すなわち、それが信者会衆の一部分であり、特別の役割を果たすものであることをはっきりと示すとともに、その務めをふさわしく果たす事が出来るように、それぞれの教会堂の配置を考慮してその位置を定めなければならない。なお、その位置は、聖歌隊員の各自にとって、ミサへの完全な参加、すなわち秘跡的参加が容易に出来る場所でなければならない。


313  オルガンおよび合法的に認められた楽器は、聖歌隊が歌うときにも会衆が歌うときにも伴奏しうるよう、また、楽器だけが演奏される場合には全会衆が聞くことが出来るよう、適当な場所に置くものとする。オルガンは、典礼における使用が決められる前に、ローマ儀式書に記載された儀式に従って祝福されることが望ましい。
 待降節には、この季節の特徴にふさわしい節度をもって、オルガンと他の楽器を用いることが出来る。ただし、主の誕生の満ち溢れる喜びを先取りしないようにする。四旬節には、オルガンと他の楽器の演奏は、歌を支えるためだけに許される。ただし、四旬節第四主日(レターレの主日)と祭日と祝日は例外である。


《御聖体を保存する場所》


314  各教会堂の構造と地方の合法的な慣習に基づいて、御聖体は、教会堂内の、よく知られ、重要で、はっきりと目立ち、美しく飾られ、祈りにふさわしい場所にある聖櫃に保存される。通常、聖櫃はただ一つだけ置かれる。聖櫃は固定され、堅固で不可侵な材質で造られ、不透明で、汚聖の危険が最大限遠ざけられるよう閉じられていなければならない。さらに、典礼における使用が決められる前に、ローマ儀式書に記載された儀式に従って祝福されることが望ましい。

315  中に御聖体を保存している聖櫃をミサが執り行われる祭壇に置かないようにすることは、しるしとしての意味とよく調和する。
 さらに、教区司教の判断に基づいて、聖櫃は以下のところに置くようにする。
1.司祭席内。この場合、祭儀を行う祭壇から離れたところに、よりふさわしい形と場所を選ぶ。ただし、もはや祭儀のために使用されない古い祭壇の上を妨げるものではない。
2.あるいは、他の礼拝堂内。この場合、信者の個人的な礼拝と祈りに適しており、教会堂と有機的につながった、信者の目にとまる場所にする。
316  受け継がれてきた慣習に基づいて、聖櫃の近くには、油もしくは蝋を燃料とした特別なランプが絶えずともされなければならない。これによって、キリストの現存が示され、称えられる。

317  御聖体の保存に関して、法の規定に定められた他のすべてのことも無視してはならない。


《聖 像 と 聖 画》


318  地上の典礼において、教会は天上の典礼を前もって味わい、これに参加している。この天上の典礼は、旅する教会が目指す聖なる都エルサレムにおいて行われており、そこにはキリストが神の右に座している。また、教会は諸聖人の記念を尊敬して、彼らと何らかのかたちで交わりをもつことを望んでいる。
 そのために、
主キリスト、聖母マリア、および聖人の聖像や聖画を、教会の古くからの伝統に従って、信者の崇敬のために聖堂内に置き、そこで執り行われる信仰の秘儀に信者を導くように配置することが出来る。そのため、その数があまり多くならないように、その配置が適正な秩序によって行われるように、信者の注意が祭儀そのものからそらされることがないように配慮しなければならない。同一の聖人の聖像や聖画は、通常、二つ以上置かないようにする。一般的に聖像と聖画に関して、教会の装飾と配置は、共同体全体の信仰心、および聖像と聖画の美しさと品位を考慮しなければならない。



第6章 ミサを捧げるために必要なもの



・.感謝の祭儀のためのパンとぶどう酒

319  キリストの模範にならって、教会は主の会食を行うために、パンと、水を入れたぶどう酒を常に用いてきた。

320  感謝の祭儀のためのパンは小麦粉のみで作られ、新鮮なものでなければならず、ラテン教会の古来の伝統に従って、種無しパンでなければならない。

321  しるしの観点から、感謝の祭儀で用いられるものは、本当に食物に見えるものでなければならない。それゆえ、感謝の祭儀のパンは、種無しパンで伝統的な形のものも、会衆とともに捧げられるミサにおいて、司祭がパンをいくつかの部分に実際に割って、少なくとも幾人かの信者にそれを授与することが出来るようなものであることが望ましい。ただし、拝領者の数やその他の司牧上の理由によって小さなパンが必要な場合、決してそれを排除するものではない。使徒時代にはパンを割ることが端的に感謝の祭儀を指していたのであるが、一つのパンにおける全員の一致のしるし、ならびに一つのパンが兄弟達の間で分けられることによる愛のしるしとしての効果と重要性を、パンを割るという行為によって、はっきりと表現することが出来るのである。

322  感謝の祭儀のためのぶどう酒は、ぶどうの実から作ったもの(ルカ22・18参照)で、天然の純精酒、すなわち他の成分が混入されていないものでなければならない。

323  感謝の祭儀のためのパンとぶどう酒は、完全な状態で保存されるよう細心の注意をはらわなければならない。すなわち、ぶどう酒が酢になったり、パンが悪くなったり、容易に割ることが出来ないほど固くなったりしないように配慮しなければならない。

324  聖別の後、もしくは拝領の時に、ぶどう酒ではなく水を注いだことに気が付いたならば、司祭は水を他の容器に移し、ぶどう酒と水をカリスに注ぎ、カリスの聖別に関する制定の言葉を唱えてこれを聖別する。再びパンを聖別する必要はない。

・.備品一般

325  教会堂の建設についてと同様に、教会の備品全般についても、備品そのものの用途によく合っている限り、教会は各地方の芸術の様式を認め、各民族の才能と伝統に適合した適応を受け入れる。この点に関しても、真の芸術にそなわっている、あの品位ある簡素さということが熱心に配慮されなければならない。

326  教会の備品のための材料の選定にあたっては、従来用いられてきたものに加えて、現代の感覚から品位あると考えられるもの、長持ちするもの、そして教会における使用によく適合しているものであれば認められる。このことに関しては、各地の司教協議会が判断するものとする。

・.祭器

327  ミサの執行に必要なものの中で、とくに大事な祭器としてカリスとパテナがある。これを用いて、ぶどう酒とパンが奉納、聖別され、拝領されるからである。

328  祭器は、高貴な材料で作らなければならない。金属製の祭器は、錆を生じるものであれば、あるいは金ほど上質なものでなければ、内側全面を金メッキしなければならない。

329  祭器は聖なる用途にふさわしいものである限り、司教協議会の判断に基づき、使徒座の承認を得て、その地域の共通の評価として高貴とされている他の固い材質、たとえば象牙もしくは堅い木材によって作ることも出来る。この場合、容易に壊れたり、傷がついたりすることのない材質が常に優先される。パテナ、ピクシス、テカ、オステンソリウム、その他これに類するものなど、パンを入れるために作られた容器はすべて、これらのことが守られる。

330  主の御血を入れるためのカリスまたは他の容器は、液体を吸収しないような材料で作られたコップの部分を備えていなければならない。台の部分は堅固な、ふさわしい材料で作ることが出来る。

331  パンの聖別のためには、司祭と
助祭のためのパンも、奉仕者と信者のためのパンも、ともにのせることが出来る、大きな一つのパテナを用いることがふさわしい。

332  祭器の形態に関しては、土地の習慣に適合するように、これを作ることは芸術家の仕事である。ただし、それぞれの祭器は、それが用いられる典礼的用途にふさわしいものであり、
日常で使う為のものとは明らかに区別されなければならない。

333  祭器の
祝福に関しては、典礼書に規定されている儀式を守らなければならない。

334  祭器や布を洗った水を流すためのサクラリウムを祭器室に作る習慣は、守られなければならない(280参照)。



・.祭服

335  キリストの身体である教会においては、すべての構成員が同じ役割を果たしているのではない。
感謝の祭儀における務めのこの多様性は、祭服の違いによって外面的にも表される。したがって、祭服は各奉仕者に固有の役割のしるしでなければならない。なお、祭服は葬儀そのものの気品に寄与するものでもなければならない。司祭と助祭、および信徒の奉仕者が着用する祭服は、祝福されることがふさわしい。

336  
叙階と選任を受けたあらゆる段階の、すべての奉仕者に共通の祭服はアルバである。アルバがチングルムなしでもからだに合うように作られているのでなければ、腰のまわりをチングルムで縛る。アルバが首のまわりの平服を覆うのでなければ、アルバを着用する前に首のまわりにアミクトゥスを着ける。カズラまたはダルマティカを着用すべき場合、もしくは規則に従ってカズラまたはダルマティカなしでストラのみを着用すべき場合には、スータンの上に用いるとしても、アルバをスルプリで代用することが出来ない。

337  ミサ、およびミサと直接結びついている他の儀式の際の司式司祭の本来の服装は、ほかの注記がない限り、アルバとストラの上に着用する
カズラ、すなわちプラネタである。

338  助祭の本来の服装は、ダルマティカであって、アルバとストラの上に着用するものとする。
しかし、必要性から、あるいは荘厳さの段階が下位である場合は、ダルマティカを省くことが出来る。

339  
祭壇奉仕者、朗読奉仕者、および他の信徒の奉仕者は、アルバ、またはそれぞれの地域で司教協議会によって正式に認められている祭服を着用することが出来る。

340  ストラは、司祭は首のまわりから胸の前にさげて用いるが、助祭は左肩から胸の上を斜めに体の右側までのばし、そこで固定する。

341  プルビアーレ、すなわちカッパは、各儀式固有の典礼注記に従って、行列あるいは他の儀式の際に、司祭が着用する。

342  祭服の形に関しては、それぞれの土地の必要と習慣とに応じるよう、司教協議会は適応を規定し、使徒座に提案することが出来る。

343  祭服の製作にあたっては、従来の材料の他に、その土地固有の天然繊維、さらには、祭儀と人物の品位に適合する人工繊維を用いることが出来る。このことについては、司教協議会が判断するものとする。

344  祭服の美と高貴さは、多くの装飾を付け加えることに求めるのではなく、用いられる材料と形に求めるのがふさわしい。装飾を施す場合には、祭儀用にふさわしくないものはこれを避け、聖なる用途を示す図形、絵、象徴を施すものとする。

345  祭服の色の多様性は、祝われる信仰の神秘の特徴や、典礼暦年の流れにおいて進展していくキリスト教生活の意味を、外面的にも効果的に表すことを目的としている。

346  祭服の色に関しては、伝統的な使い方を守るものとする。すなわち、
1.白色は、復活節と降誕節の「教会の祈り」とミサにおいて用いられる。さらに、受難の日以外の主の
祝祭、聖母マリア、天使、殉教者でない聖人の祝祭、諸聖人(11月1日)と洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)の祭日、聖ヨハネ使徒福音記者(12月27日)と聖ペトロの使徒座(2月22日)、および聖パウロの回心(1月25日)の祝日に用いられる。
2.赤色は、受難の主日と聖金曜日、聖霊降臨の主日、主の受難の諸祝日、使徒および福音記者の帰天の日、そして殉教者の諸祝日に用いられる。
3.緑色は、年間の「教会の祈り」とミサに用いられる。
4.紫色は、待降節と四旬節に用いられる。なお、死者のための「教会の祈り」とミサにも用いることが出来る。
5.黒色は、
習慣のあるところでは死者のためのミサに用いることが出来る。
6.ばら色は、
習慣のあるところでは待降節第三主日(ガウデーテの主日)および四旬節第四主日(レターレの主日)に用いることが出来る。
しかし、
典礼色に関しては、司教協議会は、国民の必要と性質に適合するように、適応を規定して使徒座に提案することが出来る。

347  他の儀式を伴うミサは固有の色、または白、あるいは祝祭にふさわしい色で行う。種々の機会のミサはその日の色、または季節固有の色、回心を表す場合には紫色を用いる(例えば、種々の機会のミサの
31,33,38)。信心ミサは、そのミサに適当な色、もしくは、その日またはその季節固有の色をもって行う。

・.その他の教会用具

348  ある特別な材料が定められている祭器もしくは祭服の他に、典礼的使用のため、もしくは他の目的のために教会に受け入れられる備品は、品位あるものであって、それぞれの用途にあったものでなければならない。

349  典礼書、とりわけ神の言葉を告げるために定められ、そのため特別の尊敬を受ける朗読福音書と朗読聖書は、典礼行為において霊的ことがらの真のしるしであり象徴であるよう、またそれゆえ品格、装飾、美しさによって特徴づけられるよう、特別な方法で配慮しなければならない。

350  さらに、祭壇と感謝の祭儀に直接に結びつけられたもの、たとえば祭壇用十字架や行列で運ばれる十字架などには、細心の注意が払われなければならない。


351  芸術的にはそれほど重要な値打ちのないものではあっても、芸術の要請を適切に守るよう、また、品位ある簡素さと清潔さを常に結び合わせるよう熱心に配慮しなければならない。


第7章 ミサおよび各部の選択


352  朗読、祈願、聖歌の式文が、出来る限り参加者の必要と心の準備、および能力によく適合したものであるとき、祭儀の司牧的効果も確かに上がるものである。それについては、以下に記す選択の多様な自由を適当に用いて実績を上げることが出来る。
 したがって司祭は、ミサの式次第を考えるに際しては、自分の
好みよりはむしろ神の民の霊的共通善に心を用いるものとする。さらに、このようなミサの式文の選択は、信者に直接関係のあることについては決して信者を無視することなく、祭儀において役割を果たす他の人々と協調して行わなければならないことを忘れてはならない。
 ただし、ミサの種々の部分を選択する多様な自由があるので、助祭、朗読者、詩編唱者、先唱者、解説者、聖歌隊、そして各人が、いわば不意を突かれることがないように、祭儀の前に、自分の分担に関して、どの式文が用いられるかをよく知っているようにする必要がある。調和のとれた式次第と儀式の執行は、感謝の祭儀への参加のために信者の心を整えるのに大いに力があるからである。

・.ミサの選択

353  祭日には、司祭は、ミサが行われる教会の暦に従わなければならない。

354  主日、待降節、四旬節、復活節の週日、祝日および義務の記念日には、
1.会衆の参加するミサの場合、司祭はミサが行われる教会の暦に従わなければならない。
2.会衆の参加しないミサの場合、司祭はその教会の暦、もしくは固有の暦を選ぶことが出来る。

355  任意の記念日には、
1.12月17日から24日までの待降節の週日、主の降誕の八日間、および灰の水曜日と聖週間を除く四旬節の週日には、当日のミサを捧げる。一般暦の中で、その日に記入されている記念については、灰の水曜日と聖週間以外は、その集会祈願を唱えることが出来る。
復活節の週日には、聖人の記念日は正規の方法で祝うことが出来る。
2.12月17日より前の待降節の週日、1月2日からの降誕節の週日、および復活節の週日には、司祭は週日のミサ、その記念が行われる聖人、または聖人たちのうちの一人の聖人のミサ、その日の聖人伝に記されている聖人のミサを選ぶことが出来る。
3.年間の週日には、週日のミサ、その日に当たる任意の記念のミサ、その日の聖人伝に記されている聖人のミサ、および種々の機会のミサ、または信心ミサを選ぶことが出来る。
 会衆とともにミサを捧げる場合、司祭は週日用の朗読聖書にそれぞれの日のために定められている朗読を、たびたび、しかも十分な理由なしに省かないよう注意する。なぜなら、教会は、神の言葉のより豊かな食卓が信者のために備えられるように望んでいるからである。
 同じ理由によって、死者のためのミサは控え目に行われなければならない。いかなるミサも、死者のためにも生者のためにも捧げられるからであり、奉献文の中で死者の記念が行われるからである。
 信者が聖母マリア、または聖人の任意の記念日を大切にしている場合には、信者の正当な信仰心を
満たすようにしなければならない
 一般暦に定められている記念日と、教区もしくは修道会の暦の記念日との間に選択の自由がある場合には、伝統によって、他の点で違いがなければ、特別な記念日を優先的に選ぶものとする。

・.ミサの各部の選択

356  ミサの種々の部分の式文を選ぶにあたっては、季節と年間のミサであれ、聖人のミサであれ、次の基準を守らなければならない。



《朗   読》


357  主日と祭日には三つの朗読、すなわち預言書、使徒書、および福音書が定められている。これらの朗読によってキリストを信じる民は、神の偉大な計画に導かれて、救いのわざが続いていることについて学ぶのである。
 祝日には二つの朗読が割り当てられている。しかし、規則に基づいて祝日が祭日の等級に上げられるなら、共通の部からとられた第三の朗読が加えられる。
 聖人の記念日には、固有の朗読を持たないなら、通常、週日に割り当てられた朗読が行われる。ある場合には、聖人の霊的生涯や業績の特別の側面に光を投げかけるふさわしい朗読が用意されている。これらの朗読の使用は、司牧的な理由から真に勧められる場合以外は、強制されていない。


358  週日用の朗読聖書には、一年の全周期を通して各週のそれぞれの日のために、朗読が配分されている。したがって、
祝われる聖人についてその中で言及している新約聖書のふさわしい朗読を持っている祭日、祝日、または記念日に当たらない限り、ほとんどの場合、これらの朗読が、その定められた日に行われる。
 しかし、
ある祭日かある祝日、あるいはある特別な祭儀のために継続朗読が週の間で中断されることがあれば、司祭は、その週全体の朗読配分を念頭において、省くべき部分を他のものと合わせるか、もしくは、どの部分が他のものに優先すべきであるかを決めることが許される。
 特殊な集会のためのミサにおいては、司祭は、認可されている朗読聖書の中から、特殊な祭儀に適した箇所を選ぶことが出来る。

359  ある秘跡または準秘跡が行われる
儀式を伴うミサのため、もしくはある事情のために捧げられるミサのために、朗読聖書の中には特殊な箇所を聖書から選んだものがある。このような朗読聖書は、神の言葉を聞くことによって、信者が、参加している神秘をより完全に理解するように、また、神の言葉に対する愛を燃え立たせることを教えるように作成されたものである。
 したがって、
祭儀において読まれる箇所は、適当な司牧的配慮と、このことに関する選択の自由を念頭において決定すべきである。


360  同じ個所が、長い形と短い形で用意されている場合がある。これら二つの形のどちらを選択するかは、司牧上の基準が念頭におかれなければならない。その際、長短いずれの朗読が信者の聞く力からみて一層実り豊かなものとなるか、また説教によって説明される長文の箇所を聞く力があるかどうかという点に留意しなければならない。

361  規定の二つの朗読箇所のうちいずれかを選ぶ自由が与えられている場合、または任意に選ぶことが出来る場合、参加者の利益を考慮すべきである。すなわち、使用する朗読箇所についてはどちらが分かりやすいか、あるいは集まった会衆にどちらがよく合っているかを考える。同じ箇所を繰り返して用いるか、または後日のために取っておくかについては、その箇所がある祭儀に固有のものとして指示されているのか、あるいは司牧上有益なので任意にそれを用いるのかを考えるべきである。このようなことが起こるのは、同一の箇所をたとえば主日と次の週の週日のように近日中にもう一度朗読しなければならないか、もしくはあるキリスト信者の集会で聖書のある箇所に困難を感じることが懸念される場合である。しかし、聖書の箇所の選択に際しては、その部分が永続的に除外されることがないように配慮しなければならない。

362  すでに述べたように、よりふさわしい朗読箇所を選ぶ権限に加えて、司教協議会には特別な状況がある場合、朗読箇所が正しく認可された朗読聖書からとられるという条件のもとで、朗読に関して別の適応を明らかにする権限がある。


《祈   願》


363  どのミサにおいても、別の注記がない限り、そのミサに固有の祈願が唱えられる。
 
聖人の記念日においては、集会祈願は固有のもの、またはそれがなければ共通の部からふさわしいものが唱えられる。奉納祈願と拝領祈願は、固有のものがない場合、共通のもの、もしくはその季節の週日から選ぶことが出来る。
 年間の週日には、前の主日の祈願以外に、年間の他の主日の祈願、またはミサ典礼書に掲載されている種々の機会のミサの祈願の一つを選ぶことが出来る。また、そのミサの中から、ただ集会祈願のみを用いることも常に許される。
 このようにして式文がより豊かに提供され、
それによって信者の祈る心が一層豊かに養われる。 すでに、このような適応は、年の重要な季節のためには、ミサ典礼書の中に毎日のために定められている季節固有の祈願によって行われている。


《感 謝 の 祈 り》


364  多くの叙唱によって、ローマ・ミサ典礼書は豊かになったわけであるが、それは、感謝の祈りにおける感謝の主題が一層十全に明らかになり、救いの神秘の種々の面が豊かな光に照らされることを目指しているのである。

365  
ミサの式次第に出てくる感謝の祈りの選択は、次の基準によって行われる。
1.第一奉献文すなわちローマ典文は、いつでも
唱えることが出来るが、固有の「全教会の交わりの中で… …」が定められている日、もしくは固有の「私達――奉仕者と……」がある日、さらに奉献文の中に名前の出てくる使徒と聖人の祝祭、また司牧上の理由から第三奉献文が採用されるのでない限り、主日に用いるのが適当である。
2.第二奉献文は、その特徴から、週日または特殊な事情において用いるのが適当である。固有の叙唱を備えているが、他の叙唱、とりわけ救いの神秘をまとめて述べているもの、たとえば
共通の叙唱とともに用いることが出来る。ミサが特定の死者のために捧げられる場合、該当の箇所、すなわち「また、復活の希望をもって……」の前に記されている特別な祈りの言葉を用いることが出来る。
3.第三奉献文は、どの叙唱とともにも用いることが出来る。主日と祝日には優先的に用いられる。
この奉献文が死者のためのミサで用いられる場合、該当の箇所、すなわち「あなたの子がどこにいても……」の後に記されている死者のための特別な祈りの言葉を用いることが出来る。
4.第四奉献文は、いつも同じ叙唱があり、救いの歴史のかなり完全な要約を備えている。固有の序唱のないミサの場合、
および年間の主日に用いることが出来る。
 この奉献文には、その構成上、死者のための特別な祈りの言葉を入れることが出来ない。


《  歌  》


366  ミサの式次第の中に入れられた歌、たとえば「平和の賛歌」のような歌は、他の歌で代えることは出来ない。

367  朗読の間の歌、また入祭の歌、奉納の歌、拝領の歌の選択にあたっては、該当の箇所に定められている基準を守らなければならない
(40,41,47,48,61‐64,74,87,88参照)


第8章 種々の目的のためのミサと祈願、死者のためのミサ



・.種々の目的のためのミサと祈願

368  秘跡および準秘跡の典礼は、よい心構えをもった信者のために、人生の殆どあらゆる出来事を、過越の神秘から湧き出る神の恩恵によって聖化する働きをもっており、また、感謝の祭儀は諸秘跡中の秘跡であるから、ミサ典礼書は、全世界、もしくは全教会、または地方教会の必要に応じて、キリスト者の生活の種々の機会に用いることの出来るミサと祈願を備えている。

369  朗読と祈願を選択する広範な自由を考えれば、種々の目的のためのミサは控え目に、すなわち、それが適切である場合に用いることが望ましい。

370  種々の目的のためのすべてのミサにおいて、明確に別の注意がない限り、またその祭儀に適当であるなら、週日の朗読および朗読の間の歌を用いることが許される。

371  このようなミサには、儀式を伴うミサ、種々の機会のミサ、種々の目的のためのミサ、および信心ミサが含まれる。

372  
他の儀式を伴うミサは、ある秘跡または準秘跡の執行と結び付いている。待降節と四旬節と復活節の主日、および祭日、主の復活の八日間、死者の日、灰の水曜日、聖週間には禁止される。なお、儀式書またはミサ典礼書に記載されている規則を守らなければならない。

373  
種々の機会のミサは、不定期あるいは定期的に生じる、ある事情において行われる。これらの中から、嘆願のためのミサを権限ある権威者が選ぶことが出来る。それは、一年の流れに応じて司教協議会が定めるものとする。

374  ある重大な必要時に際して、または司牧上有益であれば、
教区司教の命令または許可によって、祭日および待降節と四旬節と復活節の主日、主の復活の八日間、死者の日、灰の水曜日、聖週間を除くすべての日に、この必要に適合したミサを捧げることが出来る。

375  信心ミサは、主の神秘、もしくは聖母マリア、天使、ある特定の聖人、すべての聖人を称えるために、信者の信心に応じて、年間の週日に、またその日が任意の記念日にあたっていても捧げることが出来る。しかしながら、主あるいは聖母マリアの生涯の神秘のために捧げられるミサは、無原罪の聖マリアのミサを除いて、信心ミサとして執り行うことは出来ない。それは、これらの祭儀は典礼暦年の展開と密接に結び付いているからである。

376  義務の記念日に当たる日、または12月16日までの待降節、1月2日からの降誕節、主の復活の八日間後の復活節の週日には、種々の機会のミサと信心ミサは原則として禁じられる。しかし、それが真に必要あるいは司牧上有益であるならば、会衆が参加するミサにおいて、教会責任者または司式司祭自身の判断によって、その必要性または有益性に応じるミサを用いることが出来る。

377  任意の記念日が当たるか、週日の「教会の祈り」が行われる年間の週日には、種々の目的のためのどのミサを行うことも、また、その中のどの祈願を用いることも許される。ただし、他の儀式を伴うミサを除く。

378  土曜日に行われる聖マリアの記念は特に勧められる。なぜなら、贖い主の母に対しては、教会の典礼において、とりわけすべての聖人に優先して崇敬が行われるからである。

・.死者のためのミサ

379  キリストの復活の感謝の生贄を、教会が死者のために捧げるのは、キリストのすべてのからだは互いに結ばれているので、ある人には霊的援助を嘆願し、ある人には希望に満ちた慰めをもたらすためである。

380  死者のためのミサのうちで葬儀ミサは首位を占める。それは、
法の規定に従って守るべき他のすべてのことに留意して、守るべき祭日、聖木曜日、過越の三日間および待降節と四旬節と復活節の主日を除いて、すべての日に行うことが出来る。

381  死去の知らせを受けたとき、または死者の最終的埋葬の日、または一周忌の日には、主の降誕の八日間でも、義務の記念日でも、また、灰の水曜日あるいは聖週間以外であれば週日にも死者のためのミサを行うことが出来る。
 その他の死者のためのミサ、すなわち「毎日の」ミサは、それが真に死者のために適用される場合に限り、任意の記念日が当たるか、週日の「教会の祈り」が行われる年間の週日に行うことが出来る。

382  葬儀ミサにおいては、通常どおり短い説教が行われる。ただし、いかなる種類の儀礼的賛辞も排除するものとする。

383  信者、なかでも死者の家族の者は、死者のために捧げられる感謝の生贄に、拝領によって参加するよう勧められる。

384  ミサが葬儀と直接結び付けられる場合、拝領祈願が済んでから、閉祭を省いて葬送すなわち告別が行われる。この儀式は、遺体(あるいは遺骨)が安置されている限り行われるものとする。

385  死者のためのミサ、とりわけ葬儀ミサの選択可能な式次第とその部分、たとえば祈願、聖書朗読、共同祈願などを選ぶにあたっては、死者およびその家族、または会葬者についての司牧的配慮を念頭におかなければならない。
 さらに司牧者は、葬儀の機会に、典礼祭儀に列席する人々、または福音を聞く人々に特に配慮しなければならない。こうした人々の中には、カトリック信者以外の人々、あるいはカトリック信者ではあっても決して、あるいは殆ど感謝の祭儀に参加しない人々、あるいは信仰を失っていると思われる人々があり、司祭はすべての人のためにキリストの福音の奉仕者であるからである。


第9章 司教と司教協議会が行うことのできる適応


386 第二バチカン公会議の教令の規定に従って現代に行われたローマ・ミサ典礼書の刷新は、全ての信者が、感謝の祭儀において、充実した、意識的かつ行動的な参加を果たすことができるよう、たえず考慮してきた。こうした参加は、典礼自体の本質から要求されるものであり、参加については信者が自らの身分によって、権利と義務を持っている。
 しかし、祭儀が典礼の規則と精神に十全にこたえるために、本総則とミサの式次第において、いくつかの他の順応と適応が以下に示されている。それらは、教区司教もしくは司教協議会の判断にゆだねられている。

387  教区司教は、自らの牧する群れの大祭司とみなされ、その信者のキリストにおける生活は、いわば司教から導き出され、司教に依存している。司教は自教区において、典礼生活をはぐくみ、指導し、監督しなければならない。本総則では、共同司式の原則を定めることについて(202参照)、祭壇で司祭に仕える役割について(107参照)、両形態による拝領について(284参照)、教会堂の建築とその配置について(291‐294参照)、それぞれの基準を定めることは司教にゆだねられている。しかし、司教が第一に行わなければならないことは、司祭、助祭、および信徒のうちに典礼の精神を育てるよう努めることである。

388  以下で述べる、より広い調整が求められる適応は、法の規定に従って、司教協議会において決定されるべきである。

389  司教協議会は、使徒座の承認を得て、関係する地域で使用するために、第一に、本ローマ・ミサ典礼書の公認の国語による版を準備し認可する権限を持っている。
 ラテン語によるものであれ、合法的に認可された国語版であれ、ローマ・ミサ典礼書は完全な形で出版されなければならない。

390  司教協議会は、ミサ典礼書自体に、本総則とミサの式次第で示された以下のような適応を導入することについて、使徒座の承認を得て、決定する。
・信者の動作と姿勢(24,43参照)
・祭壇と朗読福音書に対する表敬の動作(274参照)
・入祭の歌、奉納の歌、拝領の歌の歌詞(48,74,87参照)
・特別な状況で用いる聖書の朗読箇所(362参照)
・平和のあいさつの形式(82参照)
・御聖体を受けるための方法(160,161,284参照)
・祭壇と備品、とくに祭器の材質、および祭服の材質、形、色(301,329,332,342,345,346,349参照)
 司教協議会が有益と判断した教書や司牧指針は、あらかじめ使徒座の承認を得て、ローマ・ミサ典礼書のふさわしい箇所に挿入することができる。

391  ミサの祭儀で用いる聖書本文の訳に特別の配慮をすることは同じ司教協議会の務めである。それは、聖書から朗読が行われ、これが説教によって説明され、聖歌から詩編が歌われるからである。そして、行為としるしがその意義を聖書から受けるために、典礼の祈りや祈願や聖歌は聖書の息吹と感動から湧き出たのである。
 聖書の諸書で用いられたさまざまな話法に固有な特徴は保ちながら、言葉は、信者の力に応じたもので、公に告げられるにふさわしいものが用いられなければならない。

392  同じように、他の式文の翻訳を熱心な努力をもって準備することは司教協議会の役割であろう。こうして、各言語の特徴を保ちつつ、もとのラテン語の式文の意味が十全かつ忠実に伝えられる。この仕事を行う際に、ミサ典礼書で用いられている異なる文学類型、すなわち公式祈願、交唱、応唱、答唱、連願形式の嘆願などについて考慮することが有益である。
 式文の翻訳は第一に、黙想することではなく、むしろ祭儀の行為の中で声に出して告げられ歌われることをめざしていることを念頭におかなければならない。
 言葉は地域の信者に適したものが用いられなければならない。しかし同時に、品位があり、文学的質を備えており、いくつかの単語や表現の聖書的かつキリスト教的意味について何らかのカテケジスの必要性が常に残るようにすることである。
 同じ言語を持つ地域では、典礼式文、とくに聖書の本文とミサの式次第のために、できるかぎり同じ翻訳を持つことが勧められる。

393  祭儀の中で歌が占める重要性、すなわち典礼の必要不可欠の部分であることに留意して、とくにミサの式次第の式文、会衆の答唱と応唱、そして典礼暦年を通して現れる特別な儀式のために、ふさわしい旋律を認可することは司教協議会の務めである。
 同様に、司教協議会は、どのような音楽様式、旋律、楽器が礼拝に導入できるか、それらがどれほど真に聖なる用途にかなっており、適合しうるかを判断することができる。

394  それぞれの教区が、独自の暦とミサの固有の部を持つようにしなければならない。司教協議会としては、使徒座の承認を得て、その国に固有の暦を作るか、あるいは他の司教協議会とともにより広い管轄地域のために暦を作るべきである。
 この仕事を果たす際には、主の日が根源の祝日として最大限守られ、保たれなければならない。そのため、他の祭儀は、真にきわめて重要なものでない限り、主日に優先させてはならない。同様に、第二バチカン公会議の教令によって改定された典礼暦年が、二次的な要因によって覆い隠されないように注意しなければならない。
 国の暦を作る際には、祈願日と(カトリックの)四季斉日が明らかにされ、これらの祭儀の形式と式文、および他の特別な決定を念頭におかなければならない。
 ミサ典礼書の出版に際しては、全国あるいは全管轄地域に固有の祭儀は、一般暦の祭儀に該当する箇所に挿入されることがふさわしい。ただし、ある地域や教区に固有の暦は、付録の特別な箇所に入れられる。

395  最後に、信者の参加と彼らの霊的善が多様性と一層深い適応を必要とすべきであるなら、聖なる祭儀が異なる民族の特質と伝統にこたえるために、司教協議会は使徒座の同意を得てそれらを導入するため、とくに人々により頻繁に福音が告げられるために、『典礼憲章』第40条の規定に従って、それを使徒座に提示することができる。『ローマ典礼とインカルチュレーション』についての指針によって示された特別な基準に留意するようにする。
 これによって進めていくための方法については、以下のことが守られなければならない。
 第一に、必要な許可が与えられて、実行されるべき個々の適応が進められるために、優先する計画が使徒座に個別に提示されなければならない。
 この計画が使徒座によって認証されたら、特定の時間と場所のもとで試みが行われる。適当であれば、試みの期間が終ったときに、司教協議会は適応をさらに進めていくことについて決定し、熟慮した計画を使徒座の判断によって決定する。

396  しかし、新しい適応、とくにより深い適応に取り掛かる前に、教役者と信者の相応の養成が賢明かつ秩序をもって進められ、すでに予見された権能が行使され、祭儀の精神にふさわしい司牧的基準が十全に実施されるように、慎重に配慮しなければならない。

397  また、各部分教会が普遍教会と一致していなければならないのは、信仰の原則と秘跡のしるしに関することに限られない。誤りを避けるためだけでなく、信仰がことごとく伝えられるために、使徒から継続した伝統によって認められた普遍的な慣習に関することについても、普遍教会と一致していなければならない。それは、教会の祈りの法は信仰の法にかなうものだからである。
 ローマ典礼様式は典礼の宝の際立った卓越した部分とカトリック教会の遺産を作り上げ、その豊かさは普遍教会にとって有益なものとなっている。そのため、それが損なわれることは普遍教会にとってきわめて大きな損害である。
 ローマ典礼様式は、時代の流れの中で、ローマ市に源を発する典礼の習慣を保持するだけでなく、深く、有機的かつ調和的な方法でそれ自体のうちに他のいくつかの様式を組み込んできた。それらは、異なる民族および西と東のさまざまな部分教会の慣習と特質から導き出されるもので、こうしていわば地域を超えた特徴を獲得するのである。現代においては、教皇の権限によって発布された典礼書の規範版と、司教協議会によってその管轄地域のために認可され使徒座によって承認された版にふさわしい典礼書において、ローマ典礼様式の独自性と唯一の表現が見出されるのである。

398  第二バチカン公会議による基準は、典礼の刷新における改革は、真に教会のために確実に役立つものとして要求されているものでなければ行わないように、また、すでに存在している形態から、新しい形態がいわば有機的に生じるように慎重に配慮するよう定めている。この基準は、ローマ典礼様式自体のインカルチュレーションを果たすためにふさわしいものでなければならない。さらに、インカルチュレーションは、性急さと不注意によって正統の典礼の伝統が損なわれないように、相応の時間を必要とする。
 最後に、インカルチュレーションの探求は、決して新しい様式のグループを作り出そうとするものではない。それは、ミサ典礼書に導入された適応、あるいは他の典礼書と調和した適応が、ローマ典礼様式固有の特質と矛盾しないような方法で、与えられた文化の必要にこたえようとするものである。

399  こうして、ローマ・ミサ典礼書は、言語の違いと若干の習慣の多様性があっても、将来にわたって、いわばローマ典礼様式の完全さと一致の道具であり、その卓越したしるしとして保たれなければならないのである。