帰天日 2005年 2月 13日

ファティマのシスタールチアからある司祭への手紙




 神父様へ

 お手紙を拝見して神父様が、私たちが生きるこの時代が混乱に満ち、方向づけを失っていることを憂慮されているのがよくわかりました。これほど多くの人々が世界を舐め尽くす悪魔的な波に身を委ね、押し流されるままになっているのを見るのは本当に悲しいことです。
彼等はあまりにも盲目なので、自分の誤りに気づかないのです。しかし、こういった人々の一番の誤りは、祈りを棄ててしまったことにあります。このようにして彼らは神から離れ、そして、神なしにいる彼らは全てにこと欠くこととなります。なぜなら、「神なしにあなた方は何一つすることができないからです。」


 私が神父様にお勧めいたしましたのは、何よりもまず
御聖櫃に近づき、祈ることです。熱心な祈りの内に神父様は自らを支え、また他の人たちと分かち合うための光と力、恩寵を受けられます。


 御自分の監督の下にある人たちを謙遜と優しさ、しかし、同時に断固とした態度をもって導くようになさってください。なぜなら、長上は何ものにもまして真理をその正しい位置に置くこと、より一層励んで祈り、神のお側近くに身を置き、自分たちの抱えている仕事や問題について他の人々と話す前に、主に申し上げるようにしなければなりません。道に従って歩まれるならば、神父様はご自分が多くの本を読んだり、あるいは立派な研究をするよりも、祈りの中により多くの知識と力、恩寵と徳を見出すことができることを悟られることでしょう。


 祈りを通して過ごす時間が無駄に失われた時間だとは決して思わないでください。祈りにおいて天主は神父様がなすことを思し召される全てを成し遂げるために必要な光と力、恩寵をお授けになります。私たちにとってただ重要なただ一つのことは、神様の御旨を果たすことです。つまり神様が御望みになるところに身を置き、神様が私たちからお求めになる全てのことをすることです。しかし、そうする際にいつも謙遜をもって、また自分自身では私たちは何者でもないこと、また御業を果たすべく私たちの中で、また私たちを通して働かれるのは神様であることを自覚していなければなりません。



 ですから、私たちは皆、神様との親密な一致により内的生活を強める必要があり、そして、私たちはただ祈りを通してこれを成し遂げることができます。祈りにおいてこそ霊魂は私たちの力であり、あらゆる善の源である神様と直接出会うのです。他のどんなことに割く時間が足りなくなったとしても、祈りにだけは時間が不足するということがないようにしてください。そうすれば、神父様は祈りをした後では、短時間に多くのことを成し遂げられるということを体験されるでしょう。


 私たち皆、とりわけ皆の長上となる者が祈りを怠り、あるいは物質的な事柄のために祈りを犠牲にするなら、中は空で裂けた葦のような存在となってしまいます。それはただ、卵白をかき混ぜ、泡を立たせますが、その状態を保つための砂糖がなければすぐにその泡は溶けて濁った水となってしまいます。このため、イエズス・キリストは、「あなたたちは地の塩である。しかし、もしその塩がその味を失ってしまうならば、それはもはや何の役にも立たず外に投げ捨てられるのみである」と仰せられました。私たちはただ神様からの御力を得ることができます。神様が私たちにその力をくださるよう、私たちは神様に近づかなければなりません。私たちはこの近さをただ祈りによってのみ気づくことができます。なぜなら、祈りの中にこそ霊魂は神様と直接出会うからです。


 神父様がこれらの勧めを同じ修道会の兄弟らに伝えてくだされば幸いです。どうぞその方たちにそれを試してみる機会をお与えください。そうすれば神父様は私の申しあげたことが間違っているかどうかおわかりになるでしょう。私はこの世にはびこる悪と、これほど多くの奉献された霊魂の堕落の主な原因は、祈りにおける神様との一致の不足にあると確信しています。


 悪魔は非常に聡く、私たちを攻撃するために、私たちの弱点を観察します。もし私たちが神様からの力を得ることに注意深く心を配らないなら、私たちは落ちてしまうでしょう。なぜなら私たちの時代は非常に悪く、私たちはとても弱いからです。ただ神様の御力のみが私たちを支えることができます。全てのことに平静な心と神様への信頼をもって当たるようにしてください。神様は私たちが自分ではなし得ないことを、私たちのためにしてくださるでしょう。神様は私たちの不足なところを補ってくださるのです。


                               シスター・ルチア・ドス・サントス I.C.D